第593話◆一人じゃない

 蠟燭の火が消え、暗闇を認識するまで何故か妙に時間がゆっくりと過ぎたような感覚があった。


「ふ、ふおおおおおおおおお!?!?!?」


 真っ黒な闇の中、何故かよくわからない恐怖が沸き起こり思わず大きな声を出して、クッションを投げだし腰のナナシに手を伸ばした。

 背筋が凍るような感覚。

 真っ暗で何も見えず妙な気配も魔力も動きもないのだが、恐ろしい何かがそこにいるような気がしてならなかった。


 百物語で何か呼んじまったか!?

 直前までそんな気配はなかったのに。


 直前?


 俺が蠟燭を吹き消したのは一瞬前のはずなのに、真っ暗になる直前にアベルの声を聞いて随分時間が過ぎたような感覚。

 いや、そんなことより今はこの呼んじまったナニカをどうにかしなければ。

 指先がナナシに触れると、いつもと違う感じでカタカタとされた。まるで不意に触られて驚いて跳ねるようなカタカタ。

 バカヤロウ! 敵襲だ! よくわかんねーものが出たぞ! 家の中で装備を外しているから身に着けている武器はお前だけなんだよ、仕事しろ!

 闇の中で、こんなよくわからない相手を普通の武器で斬れるかなんてわからない。魔剣ナナシなら何とかなるかと、手をかけた。


 のだが。


「あれ?」


 ナナシのカタカタする感触で少し冷静になれたのか、真っ暗な中何も異変がないのにただ恐怖だけで剣を抜こうとしていたことに気付いた。

 あれ?

 俺は何に恐怖したんだ?

 冷静に思い返して、何故か怖かっただけで、蠟燭を消した後何もおかしなことは起こっていない。

 蠟燭を消した瞬間に何かやべー存在が現れて、それが襲ってくるような気がしたけれど、何でそんなことを思ったんだ?


 どんなに周囲に注意してもやはり変な気配も魔力も感じられない。

 真っ暗な部屋の中、ザーザーという雨の音とゴロゴロという雷の音が聞こえるだけ。

 何でもないのに俺に手をかけられたナナシが腰で不思議そうにカタカタしている。


 冒険者として活動をしていると突然の暗闇には慣れているものなのだが、何故あんなに怖いと思ってしまったのだろうか?

 い、いや、こ、ここここここここここ怖くなんかないぞっ! ちょっとびっくりしただけだ!!

 周囲におかしな変化は感じないはずなのに意味不明な恐怖を感じたことで心細さを覚え、まだ暗闇に慣れぬ視界の中、安心を求めて近くにいるはずのアベル達の気配を探した。


 すぐ近くではアベルが落ち着きなく身じろぎをする服の擦れる音。

 怖がりのアベルもそわそわしているようだが、何かを警戒しているような雰囲気ではない。

 やはり、蠟燭が全て消えても何も変化はなかったようだ。


 カリュオンは黙っていても何故か気配はうるさい。

 不安な時にこのカリュオンのやかましい気配は心強さを感じる。

 カリュオンもいつも通り。アベルより圧倒的に勘のいいカリュオンが普通ならやはり何もないのだろう。


 ラトは相変わらず気配がないのだが、暗闇に慣れていない目でも真っ白なラトはぼんやりと白く見えてわかりやすい。

 森の番人様がいればきっと何があっても安心。

 というか番人様が平然と座っているので、おかしなことは起こっていないのだろう。


 ソファーの上でごそごそしているのはカメ君と毛玉ちゃん。

 毛玉ちゃんは暗闇に慣れているようでいつも通り。カメ君は何かモゾモゾしている。

 こちらもいつも通りの緩い雰囲気。やっぱ怖かったのは気のせい!!


 すぐ近くに同居人達の気配に、それまで感じていた強い不安が消えた。

 ああ、ここが俺の居場所なんだ。

 よかった、帰って来た。


 帰って?


 ずっとここにいたよな?

 まぁ、家にいても何故かおうちに帰りたいって思うことはたまにあるな。

 そうそう、疲れている時とかよくある。家にいるのに家に帰りたいって思うやつ。

 きっと、それだな。



 怖い話を百も話したわけではないが、用意していた蠟燭が全て消え百物語は終わった。

 だが――いや、やはり何も起こらなかった。そして起こる気配もない。

 怪談タイムは終わりかな?

 ただ暗い部屋の中、部屋の照明魔道具のスイッチ場所へと向かう。


 ゴッ!!


「ぐおっ!」


 謎の恐怖は和らいだのだが、妙に気が急いていて早く明かりを点けたいと思って真っ暗な部屋の中家具の位置を考えず動いてしまい、ローテーブルの足に自分の足の小指をぶつけてしまった。

 痛い。これは痛い。近年稀に見る痛恨の一撃。

 絨毯の上なので靴下だけだったため、めちゃくちゃ痛い。

 あまりの痛さに明かりを点けるより先にその場にしゃがみ込んで、ぶつけた足の小指を押さえた。


「くあ……っ」


 痛すぎて言葉すら出せず、背中を丸めてしゃがみ込んでいるとパッと視界が明るくなった。

「グラン、一人で騒いで何やってるの? やっぱり怖かったんでしょ?」

「何も出なかったように見えたけど、グランだけには何か見えたのかなぁ?」

 アベルがクスクスと笑いながら話す声とカリュオンの脳天気な声が聞こえてきた。

「ふむ、やはり不完全な儀式では何も起こらなかったな。してグランは一人で何をしているのだ?」

「カ? カァ?」

「ホホォ?」

 ラトが不思議そうな顔でこちらを見下ろし、カメ君と毛玉ちゃんもソファーの上で首を傾げている。

 自分の中では長い時間が流れた気分ではあるが、実際のところ蠟燭を消して部屋の明かりが点くまでほんの数秒しか過ぎていない。

 俺が一人でバタバタとしていただけだ。


「くうう……明かりを点けようと思ってテーブルの足に足の小指をぶつけたんだよ。ここここ怖いわけじゃない! くあぁ……いたぁ……痛いだけで怖くなんかなぁい! くあぁ……っ!」

 怖くない怖くない。

 足の小指をぶつけて痛いだけ、痛いだけ。

 ううううう、痛すぎてなんか背中がゾクゾクしてきた。

 う……これは……もしかして、ぶつけた足の小指の骨が折れたか、ヒビでも入ったか!?

 骨が折れたりヒビが入るとその痛みで、気分が悪くなったり目眩がしたり、折れた箇所とは違う箇所にも不調が出ることがあるんだよなぁ。


「はいはい、怖くないね。それよりぶつけたの大丈夫? グランって何だかんだで鈍くさいんだからー。あんまり痛いならカリュオンに回復魔法をかけてもらいなよ」

 くそぉ、アベルが可哀想な子を見る目でこちらを見ているぞ。こ、怖くなんかなかったし、鈍くさいだなんて失礼だな。

 でもめちゃくちゃ痛いし、骨までいっていたら嫌だからカリュオンに回復魔法をかけてもらおっと。

「ぐおおおお……カリュオン、回復魔法を頼んでいいか?」

「おう、足の小指か? 足の小指はぶつけるといてーんだよなぁ」

 痛みを耐えながらソファーに戻って横向きに座り、ぶつけた方の足を肘置きの上へと伸ばす。

「だからちょっと待てって言ったでしょ。真っ暗な中で変な儀式が発動してもやばいし、発動しなくても火が消えて真っ暗な中無計画に動いたら危ないでしょ!」

「お、おう、すまんかった」

 何だろうちょっとした悪ふざけだったのが、妙に素直に謝りたい気分だった。

 何も出てこなかったからよかったけれど、家の中で変なものが出てきても困るし、つい悪乗りをしてしまう癖があるのは気を付けよう。


「おーおー、結構強くぶつけたみたいだな」

「うげぇ、内出血してる。ぐぅ、でも動くから折れてはなさそうだな」

 靴下を脱ぐと、ぶつけた場所がすでに赤黒くなっていて痛みもあるが、指は普通に動かすことはできる。

 ぶつけて腫れている指をピコピコと動かしていたら、カリュオンが回復魔法をかけてくれた。

 腫れが引いていくが、強くぶつけたばかりなので痛みはまだ残っている。


「これは回復魔法をかけても暫く痛みは残りそうだねぇ。氷で冷やしとく?」

「うん、って氷そのまま張り付けるのはやめて! 流石にそれは冷たい! ヒヤッ!!」

 カリュオンが回復魔法をかけてくれた直後に、アベルの氷魔法で患部に氷の塊が張り付いた。

 バカヤロウ! 冷やすって肌に魔法で直接氷を張り付ける奴がいるか!

 あ、カメ君、冷やしてくれようとするのはありがたいけれど水鉄砲はやめよう。冷やす前に痛いし、家の中が濡れるからね、ストップ・ザ・水鉄砲。

 ラトも落ち着け、変なキノコを出してこなくていいぞ。カリュオンの回復魔法で間に合っているからな!?

 それ痛み止めではなくて変な幻覚キノコじゃねーの? やばいキノコ禁止!!

 うんうん、毛玉ちゃんは心配してくれるだけでも可愛いよ。余計なことをしないのが一番!!


 くそぉ、アベルをびびらせるつもりが俺が一人で騒ぐことになるし、足の小指をぶつけて痛い思いをすることになるし、やっぱしょうもない悪戯をしようなんて考えるもんじゃないな。

 だけどこのどうしようもない時間が、くだらないやりとりが、たまらなく楽しい。

 何でだろう、今日はいつもより誰かといることがありがたく思える。


 窓の外は相変わらず激しい嵐。

 一人だったら不安だったかもしれない。

 一人じゃないっていいな。


 動物の皮でできた小さな袋にアベルの出した氷を詰め込みながら思う。



 足に押し当てた氷袋の冷たさが、ただひたすらに気持ち良かった。










 その夜、無数の白い手が迫ってくる怖い夢を見て飛び起きて、ふとトイレに行きたくなったのだがトイレに行くと白い手が出てきそうな気がして、夜明けまでトイレを我慢してしまった。

 前世の遊びとはいえ、変な儀式じみた遊びをするのはやめよう。

 今度はこっくりさんでリベンジをしようかなと思っていたけれど、やっぱりやめよう。

 もっと安全な方法でアベルを怖がらせよう。








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