第592話◆それは誰?

 黒。

 全ての蠟燭が消え真っ暗な室内。

 まるで自分が闇の一部にでもなったように何も見えないただの黒。


 夜目は利く方だがまったく光がなければ、目が慣れるまで時間がかかる。

 しかし冒険者たるもの暗闇の中でも周囲の状況くらい把握できるものだ。


 蠟燭を吹き消した直後から魔力の動きには注意を払っているが、魔力が動いた気配はまったくなかった。

 そして今も魔力の動きはまったく感じられない。


 まったく。


 恐ろしいほど静かで、何か召喚された気配などまったくない。


 静か?


 そう、静かなのだ。

 そこでようやく違和感に気付いた。

 すぐ近くにいるはずのアベル達の呼吸音や身じろぎの音どころか、先ほどまでうるさいほどに耳についていた雨音や雷の音まで聞こえないのだ。


 無音。


 その異常さに気付き明かりを点けようと、ローテーブルの上に置いてあるはずの照明魔道具に手を伸ばそうとした。


 あれ?

 そういえば俺、クッションを抱えていたよな。クッションはどこにいった?


 真っ暗な闇の中、まったく感覚がない。まるで自身が闇に溶けたような感覚。

 抱え込んでいるはずのクッションがそこにある感覚がまったくない。

 そしてまったく音のしない闇の中、周囲にいるはずのアベル達の気配がまったく感じられない。


 やばい、これは百物語で何か魔術的な要素が発動した!?

 いつの間に?

 まったく、魔力が動いたような感覚がなかったぞ!?


 とにかく明かり点けて周囲がどうなっているか確認しないと。

 真っ暗すぎてローテーブルの位置すら怪しいので、とりあえず収納から照明魔道具を出そうとした。

 そして気付く。


 まったく感覚がないことに。


 暗闇しか見えない。音も聞こえない。周囲の気配も感じない。

 クッションを抱えている感覚がない。座っているソファーに触れている感覚がない。

 収納を使うために手を動かそうとするが動かない。いや、そこに自分の手がある感覚がわからない。

 手どころか自分自身の体の感覚がまったくない。


 まるで自分の体が暗闇に溶けてしまったよう。


 俺はどこだ?


 そう思った瞬間、恐怖が込み上げてきた。

 声を上げようとしたが、口も喉も感覚がない。

 焦りと恐怖で体を動かそうとするが、そこに体の感覚はなく、ただ真っ黒の中にポツリと意識があるだけだった。


 油断をするとこのまま闇になってしまいそうな感覚。自分という存在がなくなってしまいそうな恐怖。 

 真っ暗中、自分という意識を見失わないようにひたすら、自分の存在を意識する。

 俺はここにいる。俺はここにいる。俺は闇ではく、グランだ。





 ――――。――――――。


 真っ暗中、自分を見失わないよう必死だった。

 時間の感覚すらなく、一瞬なのか永遠なのかすらわからない。

 ただ何か囁くような音が聞こえた気がする。


 ――――ト。――リ――ト。


 女の人の声だろうか。何か話しかけられているようにも聞こえる。

 その声の方に必死で意識を向ける。


 そこに誰かいるのだろうか?

 俺達が百物語をしていたリビングには女性はいなかったはずなのだが、そんなことよりこのまったく感覚がない状態から抜け出したい。

 そこにいるのは誰? 俺を呼んでいるの?


 ――あげるから。――に――――あげるから。


 少し懐かしさを感じる、心地の良い女性の声。

 だんだんとその声がはっきり聞こえるようになってきた。


 ――もうすぐ自由に動ける体ができるからね。ふふ、そうしたらたくさんおしゃべりをして、たくさん遊んで、たくさん美味しいものを食べて、たくさん世界を見てまわりましょう。

 ――ねぇ、貴方の体が完成したら何がやりたい?

 ――ふふ、もうすぐ何でもできるようになるからね。貴方は貴方の望むように生きることができるようになるの。

 ――自分の耳で聞いて、自分の目で見て、自分の足で歩いて、自分の手で触れることができるようになるから。

 ――私ができることを――にもできるようにしてあげるから。

 ――大丈夫、ちゃんと体を作ってあげるから。大丈夫、私達は失敗作じゃない。絶対に捨てさせない、私も、貴方も。



 ――誰かから奪い取ってでも貴方に自由を。貴方の望む未来を。貴方に幸せを。



 いやいやいやいや、すごく優しい声でなんか物騒なことが聞こえたぞ?

 確かに今の状態は不便で、動き回ってどういう状況か確認したいけれど、他人のものを奪うのはまずいんじゃないかな?

 奪う? って何を? ていうか誰!? 失敗作って何!?

 まだ真っ暗で何も見えない。体の感覚も戻らない。ただ女の人の声だけが聞こえる。

 中途半端に覚醒した状態で夢を見ているような感覚。視界は真っ黒で自分の体の存在すらまったく感じないが、一方的に話しかけられているという状況だけが頭で理解できている。

 俺は何を見て、何を聞いているのだろう。


 ――ふふ、ベル兄様の腕を一本盗ってきたの。こっちはアル兄様の右目。エル兄様やアス兄様、他の兄様達にも少しずつ体の一部を分けてもらったの。

 ――これでやっと貴方の体も完成しそう。

 ――ふふふ、お兄様達にちょっとずつ体を分けてもったから、お兄様の特技がちょっとずつ使えるようなっているはずよ。

 ――その力で貴方はやりたいことをたくさんできるようになるの。


 おいいいい!? 奪ってくるって腕ええええ!? 目ええええ!?!?

 体の一部を分けてもらったって、穏便に分けてもらったわけじゃないよね!?

 めっちゃホラーな話してない!? お兄様達大丈夫!?

 って、体が完成するってどういうこと!?

 聞こえてくる言葉は、優しい口調とは裏腹にその内容はめちゃくちゃ物騒だ。


 ――作り物の体だから私と貴方は似ていないけれど、魂はちゃんと双子だから。

 ――さぁ、もうすぐ貴方にも光が見えるわ。すぐには動けないかもしれないけれど、成長すれば自分の足で立って、自分の手で触って、自分の言葉で話せるようになるわ。

 ――ふふ、もう目はすぐに覚めるかしら。やっと貴方と話すことができるのね。


 ――おはよう、目は覚めた気分はどう?


 おはよう、世界。


 おはようの言葉と共に視界に光があふれた。

 暗闇から眩しい銀色の光が俺の目に飛び込んできた。

 その中にユラユラと揺れるラベンダーの花畑。

 いや、違う。

 ラベンダー色の長い髪。


 えっと、誰だっけ?

 知り合い?

 眩しくて顔がよく見えない。



 ――はじめまして――――。私は貴方の姉の――――。



 姉?

 俺の兄弟は上は男ばかりだった気がするけど?

 えぇと、誰だっけ?

 しぱしぱと瞬きをして、銀色で満ちた視界の中に見えるラベンダー色の髪の人物の顔を見ようとする。





 もう少しで見えそう。





 そう思った時、視界がスッと何かに覆われるように暗くなった。

 柔らかくて温かい感覚。

 これは人の手?


 ――あらあら、レディの記憶を勝手に覗いたらダメよ?

 ――ふふ、悪戯をして不完全な召喚魔法が発動しちゃったのね。

 ――儀式の参加者達が私と縁があったから、心だけ私のところに繋がっちゃったのかしら?

 ――大丈夫よ、貴方の居場所に帰してあげるわ。

 ――貴方にはもう居場所がちゃんとあるでしょ?


 ああ、そうだ俺には家があって、居候がすっかり増えたけれど楽しく暮らしているのだ。

 うん、俺の居場所はちゃんとあるよ。

 俺はどっか違うところに来ちゃったのかな? もしかして百物語が何か悪さした?

 話の感じからして、何かを召喚したのじゃなくて俺が召喚された?

 やっべー、アベルにまたお小言を言われそう。


 ――ふふ、そうね。もう変な遊びはしちゃダメよ?


 うん、別の世界の遊びだから平気だと思っていたけれど迂闊だったよ。

 あっ!


 ――ふふ、大丈夫よ。誰にも言わないから。


 ありがとう!

 じゃあ俺は家に帰るよ。


 ――ええ、じゃあまたね。私はいつまでも貴方達の幸せを祈っているから。


 うん、またね!

 おねーさんにもたくさん幸せがありますように!!


 目隠しをされたまま応え、軽く手を上げる。

 もうすっかり感覚が戻ってきている。


 ――ふふ、ありがと。でも元の場所に戻ったらここでのことは覚えていないと思うわ。


 そうなんだ、残念だな。


 ――でも、もう変な悪戯をしないように、少しだけ怖い記憶を植え付けておきましょうか。

 ――グラン君は昔からすぐに調子に乗ってハメを外すから、少しお仕置きが必要ね


 なんだか底冷えのするような声が耳元でした。


 え? ちょっとまって!? 怖いのは嫌かも!!

 あっ! やば! なんかやばい気がする!!

 悪い遊びはもうしません! アベルを揶揄いすぎるのも程々にしておきます!!

 だから怖すぎるのはやめてええええええええ!!



 あっ! ああああああああーーーーーーー!!!



 ――またね、グラン君。無限の幸せが貴方にありますように。




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