第559話◆閑話:変わるもの、変わらぬもの

 母親はいつも豪快で肉好きな人だった。

 魔法は苦手だが力が強く武器の扱いに長けた狩人だった。

 あの湿っぽいエルフの里の中で唯一、カラッとした太陽のような人だった。


 父親は森引き籠もりの古くさい風習に縛られたハイエルフ。もちろん肉などほとんど食えない。

 魔法は得意だがヒョロヒョロとして、ぶん殴れば気持ち良く吹き飛んでいきそう。

 エルフの手本のような気難しい顔をして口数のすくない男。


 種族も違うし、性格も真逆。人間とエルフ、住んでいる場所も生活習慣も違う。

 どうしてそんな二人が出会って番ったのか詳しい話は知らないが、ただ母が森に落ちていた父を拾ったのがきっかけだと聞いている。

 どこに惹かれ合ったのかその二人は番い、あの辛気くさいエルフの里で共に暮らし子を設けた。

 

 そんな両親の間に生まれた子は、どこでどう間違ってそんなギフトとスキルが芽生えてしまったのか、その名の通りクルミの殻のように頑丈なハーフエルフ。

 カリュオン――どこかの国の言葉でクルミという意味らしい。

 それが俺の名前だ。




 ハイエルフの歴史は非常に古く、創世の時代に神の手足として作られた種族の次にこの世界に現れた種族だという。

 それは神が自らを模して作った存在だともいわれ、ハイエルフ達はそのことを非常に誇りに思っている。それがまたハイエルフが排他的、閉鎖的である原因でもある。

 ちなみに世界各地に存在する様々なエルフの亜種は、元を辿ればハイエルフになる。


 ハイエルフより後に現れた人間もまた神を模したものだといわれることがあるが、ハイエルフよりも短い歴史、短い寿命、低い魔力故、ハイエルフ達は自分達こそが正統なる神の模擬体だと信じて疑わない。

 まぁ、そんな大昔の伝説なんてどうだっていい。


 ハイエルフ達は自分達がハイエルフであることに非常に誇りを持っており、ハイエルフ以外の種族と交わることを嫌う。年寄りになるほどその傾向が強い。

 故に森を出て世界各地へと散らばり、森の外の者と交わり森以外の場所に順応し、ハイエルフからかけ離れていったエルフ達を同じエルフでありながら非常に嫌う。

 いや、ハイエルフ以外の種族を、そしてその血が混ざっている者を嫌う。


 だというのに、ハイエルフの中でも長寿の部類である俺の父は、何故か人間である母と番った。

 そして、ハイエルフと人間のハーフである俺が生まれた。


 もちろんそんな気質のハイエルフだから、俺も母もエルフの里では異物だった。

 なのに何故か母はエルフの里で父と共に暮らしていた。

 父はエルフらしく生きる男だった。母は自分の好きなように生きる人だった。


 豪快な母だった。明るい母だった。力強い母だった。

 陰気なハイエルフ達に何を言われても笑い飛ばして、独特の持論で言い負かし、時には殴り合いのケンカもしていた。

 ハイエルフの森で動物を狩り、ハイエルフの里で肉を焼き、食らう。

 母は言う、持って生まれて変えられぬことを嘆いても仕方がない。変わらぬことを嘆き続けるより、楽しいと思う生き方をみつける方がいい。泣いても怒っても、その後にまた笑えればいい。

 辛気くさいハイエルフの里で母は誰よりも感情が豊かだった。

 いつしかハイエルフ達も諦めたのか、それとも母のペースに慣れてしまったのか、それとも自分達が食べることのできない肉が羨ましかったのか、異物ではあったがあの陰湿なハイエルフ達に受け入れられていた。

 俺もそんな母を見て育ち、母のような生き方に憧れた。いや、俺も母同様あの里では異物だったから、母の生き方に希望を見ていたのかもしれない。


 だけどあの里では母も俺もやはり異物であった。


 ハイエルフの寿命は魔力の量に左右されるため個体差は大きいが、だいたい八〇〇年程度、長い者では千を超え中には二千に迫る者もいる。

 寿命が長いぶん人間よりも成長が遅く五〇年以上かけて大人になり、そこから数百年その姿を維持することになる。


 しかし人間の血が混ざっている俺は二〇年足らずで今の姿となった。

 同じ時期に生まれたハイエルフの子、俺より十数年先に生まれたハイエルフの子がまだ子供の姿をしているというのに、俺だけ大人になった。


 そして、母は年老いた。


 俺もこのまま母と同じように人間の速度で年を取るのかと思い、姿の変わらぬハイエルフと自分を比べ漠然と死に怯えたこともあった。

 だが俺の体は今の姿になったところで変わらなくなった。


 時が過ぎても俺の姿は変わらなくなり、母だけが年を取るようになった。


 一度は自分の寿命に怯えたが、今度は母の寿命に怯え、寿命というものをはっきりと意識をした。

 それでも母は明るかった。

 生き物はいつしか必ず死ぬものだと。まだまだ死ぬ気はないが、いつかくる日が幸せな思い出でたくさんになるようにと笑っていた。


 俺がテムペスト様の森を訪ねたのはその頃だった。

 それでも俺は母の老いを止める方法を探し、テムペスト様の試練に挑戦することを決意したのだ。

 今思えば馬鹿げた願いだった。

 だがそれが俺の将来を大きく変えるきっかけになった。


 テムペスト様のバカでかい本体はハイエルフの里からもよく見えるが、あれに近づくことはできない。

 テムペスト様は森のような姿をしているけれど、あれで竜だ。その話を聞いた時、よくわからない親近感が湧いたのを覚え、竜としては異質である姿に強烈な憧れを抱いたのは、今でもはっきりと記憶に残っている。

 同じ理由で、書物で見ただけのクーランマランやマグネティモスにも憧れた。

 異質故の強さ――その時はまだ伝説の生き物達への漠然とした憧れの理由はわからなかった。


 テムペスト様の森へ行くと、入り口で苔の塊みたいな姿をしたテムペスト様の眷属に出迎えられ、試練という名の難問を出される。

 それに答えることができるとテムペスト様のところに行けるらしいが、未だその難問に答えることができたことはない。里のハイエルフの中でも、その試練に合格できた者は数えるほどしかいない。

 それでも俺はテムペスト様の森へ通った。俺があまりに頻繁に行くものだから、苔玉が哀れんで遊び相手になってくれるようになった。


 テムペスト様の試練に合格するために必死で年寄りハイエルフどもに教えを請い、里にある書物を読み漁った。

 それでも俺は苔玉の出してくる難問に答えることができない。俺があまりに答えられないので、試練に失敗する度に苔玉がヒントをくれる。そしてそれを元に学ぶ。それでも次回はまた違う難問で答えることができない。

 こうしてどんどんと使うことのない無駄知識が増えていった。

 しかも森の奥まで通っているせいで無駄に体力が付く。人間の血が混ざっているせいでハイエルフよりは体力もあり、元々わりと丈夫だった。

 それがテムペスト様のところに通っているうちに更に丈夫になった。

 クルミの殻が、岩のように、金属のように、宝石のようになった。

 苔玉曰く、これが俺に与えられた祝福で、人間でありハイエルフである俺だからこそ得たギフトで、俺にしか使いこなせないギフトだと。

 

 苔玉のとこに通い始めて俺の無駄知識は膨大になり、俺に与えられた祝福というものもだんだん使いこなせるようになっていった。

 何度かズルをして入り口を突破しようとしたこともあって、その度に苔玉と実力行使の殴り合いになったせいで更に頑丈になった。

 苔の塊みたいな小さな植物のくせに妙に強くて困る。さすがテムペスト様――の眷属。


 不倒不屈の構え。

 それが俺のギフト。俺が諦めなければ決して怯むこと倒れることのない能力。いや、それはさすがに少し言いすぎか?

 まぁ、とにかく俺が生きていて諦めない限り、どこまでも俺を頑丈にするギフト。

 どこまでも前向きだった母の性格を思い出すギフト。


 しかしそのギフトはデメリットも大きかった。

 兎にも角にも燃費が悪い。防御面に関して常時身体強化状態みたいなもんで、何かぶつかってもあまり痛くないし傷つくこともない。

 無意識に垂れ流している防御を越える攻撃を受けた時は、勝手に魔力を消費して勝手に防御する。魔力でもカバーできないくらいの強い攻撃を受けたらさすがにダメージを食う。

 こんなデメリットだから魔力を消費しまくって腹は減るし、勝手に魔力を消費されているため、ハイエルフの血を引いていて魔力はそこそこあるはずなのに、実際に自由にできる魔力はかなり限られている。

 それでもハイエルフの中でも特に高い魔力を持っていた父の血を引いていたために、このくっそ燃費の悪いギフトを使いこなすことができた。


 まぁ、苔玉と遊んでいるうちに俺自身も鍛えられ、制御しなければ魔力を際限なく垂れ流すギフトもすっかり扱い慣れた。

 苔玉と遊んでいるうちにどれだけの時が過ぎただろうか。変化に乏しいハイエルフの里は時間を見失いやすい。

 ただ母だけが急速に衰えていった。

 いや、人間なら当たり前の速度、むしろ今になって思えば本来の人間よりずっと緩やかに老い、長く生きたのだと思う。

 その頃の俺はまだ母しか人間を知らなかったから。


 年老い小さくなった母を見送ったのは五〇年ほど生きた頃か。

 そこの頃にはもう生き物はいつしか死ぬということも、人間とハイエルフの寿命の違いもはっきりと認識し、母の寿命を受け入れることができた。

 だから最期の最期まで笑って旅立っていた母を、俺は笑いながら見送った。本当は泣きたかったけれど、母が笑うなら俺も笑う。


 その時が初めてだった、寿命が尽きて誰かが死ぬというのを見たのは。

 ハイエルフの時は長い。五〇年生きている間、事故で死ぬ者はいても寿命で死ぬ者はいなかった。

 ただ穏やかに訪れた予定された別れ。

 その時初めて俺は、命の終わりというものを現実的に意識した。


 そして、泣いた。


 見送り終えるまで笑っていたつもりが気付けば泣いていた。

 あの辛気くさいハイエルフ達も集まり、皆泣いていた。

 それでも母は最期まで穏やかな笑顔だった。


 父だけは全く表情を変えることがなかった。


 結局たくさん泣いた。泣いたけれど、その後は笑うことにした。楽しく生きようと思った。母ならそうすると思ったから。母のように生きたいと思ったから。


 母の死後、里はより辛気くさくなった。いや、母がいた時期がおかしくて、これが本来のハイエルフの里の姿なのだろう。

 そしてエルフの里はより閉鎖的になった。

 たまに森に迷い込む人間はすぐに追い返し、母がいた頃は僅かにあった人間の町との交流もほとんどなくなった。

 元々他種族との交流は多くなかったが、それでも多少はあったし、人間以外の種族との交流はちょいちょいある。

 ただ人間との交流が明らかに減った。


 その頃からだろう、俺が父親を長老と呼ぶようになったのは。


 父は何人かいるハイエルフの長老の一人。ハイエルフとしての力も強く、影響力もそれなりにある。

 しかし母と違って感情をあまり表に出さず、いつもむっつりとした顔をして何を考えているのかもわからない。

 人間との交流が減ったのは、父を含む長老達がそういう方針にしたからだ。




 ハイエルフの里を出ることを決意したのは、俺が母が亡くなった歳に近づいた頃か。

 人間との交流が減り、元から辛気くさかった里が更に辛気くさくなり、変化のない時の流れがどうしても好きになれなかった。

 そして母がいなくなったことで異物は俺だけになり、俺だけが異質だった。

 里の者との関係が悪いわけではなかったが、どうしても居心地が悪かった。


 ハイエルフの森で動物を狩り、ハイエルフの里で肉を焼き、食らう。俺だけが動物の肉を食う。


 一人だけ浮いている生活に嫌気がさしたのもある。

 苔玉に色々教えてもらって森の外に興味があったのもある。

 外に行けば自分が異物ではないかもしれないという思いもあった。

 外に行けば母のような人がたくさんいて、この辛気くさい里より楽しいかもしれない。

 嘆くよりも別の道を。逃げたのではなく、進んだのだ。


 苔玉に里から出ることを告げると、餞別にと大昔森に捨てられたという盾と鎧をくれた。鎧は属性毎にいっぱいくれた。こんなに持てないと言ったら小さなマジックバッグもくれたけれど、小さすぎて貰った鎧でいっぱいになった。

 苔玉の話によると、近所に住んでいる悪友が時々ゴミを捨てにくるらしく、その友人が捨てていったものらしい。

 確かに役に立ちそうなものだけれど、友達は選んだ方がいいんじゃないか?


 こうして俺はハイエルフの里を出た。

 父は相変わらず無口で無表情だった。


 旅立つ前に苔玉が言っていた。


 ――隣の森は青く見える。


 苔玉はいつも難しいことを言う。

 おかげでその意味がわかるまで数十年かかった。

 エルフでもなく人間でもない俺は、外の世界でも異物だった。


 だけど十数年過ぎてそれが気にならなくなった。

 更に時が過ぎてたくさんの種族に会ううちに、気がつけば自分が異物だとは思わなくなっていた。

 エルフでも人間でもないからエルフであり人間であるに。

 異質は個性に。

 美味い飯を食うと肉を食べることができてよかったと思う。

 ざまあ見ろ、ハイエルフ。俺は肉を食って楽しく生きているぞ。


 違うことは悪いことではない――ただそれだけのことに気付くのに随分と時間がかかった。

 

 隣の森は青かったけれど、今はわりと楽しく生きている。

 最初は母のようにありたくて少し無理をして楽しそうにしていたけれど、今は本当に楽しい。

 苔玉がくれた鎧は顔までスッポリ隠れるから、変わらぬ自分を隠すのに便利だったけれど、今はそれを外すことに躊躇いはない。

 かつては少し無理をしながら使っていたギフトは、もう完全に俺の一部になっていた。


 ギフトは俺の心。母に憧れた想い。

 それをエルフの魔力で使う。寡黙で無口な父から受け継いだ力で。


 里を出てよかったと思う。

 自分より短い命の者を何人も見送り避けられない悲しみはたくさんあったが、同じだけ良い出会いがあった。

 そして今も良い仲間に囲まれている。


 きっと俺は彼らを見送る側になる。

 だけどそれを嘆いてもその現実は変えることができない。

 だから笑う。母がしていたように、たくさんの楽しいを残すために。

 大切な人を見送る時、決して後悔しないように。


 そんな俺もいつか苔玉に見送られるのだろう。

 まだまだ先の話だけれど、その時が近くなったら里に帰って俺が見聞きした楽しいことをたくさん話してやろう。

 その時はテムペスト様の試練を合格して本体の傍で。



 初めてテムペスト様の元を訪れた時と同じように、寿命というものに怯えながら。




 でも、あの時とは違う理由で。
















 その頃にはいつも無表情な父の気持ちが少しくらいわかるようになっているかもしれない。







 いや、やっぱわからなくていいや。







 俺はこれからもずっと不撓不屈の心で笑っていたい。


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