第482話◆超朝練

「ふあああああああああ……ねみぃー、そして頭いってぇ……」

「カメェ……」

 夜更かししすぎた、そして飲み過ぎた。カメ君も俺の肩の上で大あくびをしている。

 何故かゲストハウスの裏に設置されている、鍛錬用の広場。そこで体を軽くほぐしながら、出てきたばかりの朝日に目を細めた。

 俺のすぐ近くではジュストもせっせと準備運動をしている。

 少し気だるい朝だが、久々にジュストのいる朝の鍛錬は少し懐かしさを感じる。




 ダンジョンにいる間は安全のため気が張っているので、酒を飲んでも少しだけだし、セーフティエリアでも最低限の警戒は解いていない。

 そんな場所から帰還して、昨夜は久々の安全な場所だったためついはしゃいでしまった。

 辺境伯様のお城の敷地内とか、間違いなく安全な場所すぎてつい緩んじゃったよね。

 ジュストと会えたのも嬉しくて、気付けばカパカパと酒を飲んでしまい、せっかくの上級お貴族様宅の超高級ベッドで寝るはずがソファーで寝落ちしてしまった。

 ジュストの訓練校生活の話を聞きながら酒を飲んでいると何だか楽しくなって、あれこれ収納から出してジュストに細工や付与を教えながら色々作ったのは覚えているのだけれど、途中から記憶があんまないんだよな。

 気付いたらソファーで寝ていて、一度アベルに起こされてベッドに移動したのはなんとなく覚えている。その後、お貴族様仕様のフカフカ高級ベッドの感触が全く記憶にないまま、朝練の時間だとドリーにたたき起こされた。

 その一瞬の間だけサラサラとしたシーツの感触はあったが、すぐに剥ぎ取られてしまった。

 そして飲み過ぎて喉がカラカライガイガである。


 ドリーは俺より飲んでいて俺より遅くまで起きていたと思うのに元気だな。さすが筋肉お化けの体力お化け。

 のろのろと起き出して、とりあえず水、そして着替え。

 朝練面倒くさいなと思いつつ着替えを済ませ、防具は着けていない状態でリビングに行くと、ジュストとカリュオンはすでに準備を終えて待機していた。

 俺が最後かと思ったが、アベルがいないな。アイツ寝起き悪いもんな。だが、ドリーがアベルだけ朝練を免除するわけがない。

 俺より遅い奴がいると安心するな。面倒くさいと思ってもドンケツはやだ。


 そんなことを思っていると、髪の毛が寝癖だらけのアベルが不機嫌そうな顔でドリーに引っ張られてやってきた。

 冒険者は体が資本であり鈍ってしまうと命取りになる。アベルもそれをわかっているので、うちにいる時も嫌々ながらも鍛錬は一応時々やっていた。

 うちにいる時は自分の匙加減でやるから、無意識にぬるくなるし、面倒くさくなると切り上げるし、起きられない日はやらないからな。

 今日はドリーにたっぷりしごいてもらうといい。俺も他人事ではないけれど。


 準備運動をしっかりして体が温まってきたら、久しぶりにジュストと組み手だな。

 リヴィダスとシルエットは不参加の男臭い鍛錬だが、久しぶりにジュストと組み手ができるのは楽しみだな。

 暫く会わなかった間にどれだけ成長しているか、お兄さんがしっかりチェックしてあげよう。

 ふはははは、俺もジュストと別れた後、実家に行ったり食材ダンジョンに籠もったりで少し強くなったからなー? 覚悟はいいかー?

 まぁ、優しい先輩だからちょっとくらい手加減はしてあげるぞお?






 の、つもだったのに、あれ?

「ヒィッ!? ハイヒールやばっ! っていうかスカートにハイヒールでその動きやばいっす!! ヒッ!!」

 前に出した左足を軸に後ろ側の右足を横に左にずらし、それに合わせ体の角度を変えると、俺の右頬の真横を赤い影が高速で掠めていった。

「ふむぅ。そうは言っているがまだまだ余裕があるようだな? ドリーから筋のいい若手冒険者がいると聞いていたが、なかなかやるな、グラン君。気に入ったぞ!」

「あ、ありがとうございます! ヒッ! でも余裕はないっす! 避けるのに精一杯です!! ヒッ! ハイヒールの蹴りヤバッ!」

 俺にビシビシと高速で撃ち込まれているのは赤い悪魔……じゃなくて、赤いハイヒールによる蹴り。

 いやいや、ハイヒールとかいう安定の悪い靴で組み手とかないっしょ!? なんて思ったらその尖ったヒールという凶器。


 武器は禁止のただの組み手のはずだけれど、靴は武器じゃないからなぁ!! 俺も靴にナイフは仕込んでいるが、仕込みナイフは武器扱いだからなぁ!!

 え? ヒールは靴の一部? 安定が悪いぶんただのハンデ? そっかー、なるほどー?

 いやいやいやいや、顔面を狙った上段蹴りをギリギリで避けたら、なびいた俺の髪の毛の先を掠ってそこで髪の毛が千切れて舞っているよね?

 毛根にダメージはないけれど威力やば! さよなら、毛先くん!! 長いダンジョン生活で伸び放題だったから、散髪してくれてありがとうございマッスル!!


「さすがグランさんですね。僕、カーラ様と初めて組み手をした時は十秒かからずにノックアウトでしたよ」

「ジュストもオルタ家の洗礼を受けたの……。ここに来た人はだいたいドリーの兄弟の洗礼を受けるからねぇ、とくに初めての時は」

「グランは姉上と会うのは初めてだからなー、今日はずっとグランが姉上の相手だな。いやー、よかったよかったー」

「カーラさん以外のお姉様方が来ていないだけ平和かなぁ?」

「カメー」

 おいお前ら! 見物してないで、お前らも真面目に朝の鍛錬しろ!! カメ君までカリュオンの肩の上で見学しててひどいっ!!

 のんびりとこちらを見物しているアベル達を、キッと睨むとその直後、赤い蹴りが脇腹を掠めた。

 わき見ダメ! 絶対ダメ!!


「む? まだまだわき見をする余裕があるようだな? ならば私も本気でいくぞ!」

 え? これで手加減してくれていたの? いや、余裕ないっす! 無理っす! もうわき見はしません!!

 そう、今俺は麗しのカーラ様と組み手をしている。


 ちょっとジュストを可愛がるつもりが、俺が素敵なお姉様に可愛がられているのだ。

 綺麗なお姉さんに可愛がられるのは嬉しいけれど、これはちょっと可愛がられるの意味が違う。蹴りがヒュンッてするたびに、心もヒュンッてする。

 あ、でも蹴りがヒュンッってなった時にスカートの中身が……っ!!

 ヒッ!? 蹴りが顔面ギリギリに飛んできた!! 組み手中に邪なことを考えてごめんなさいごめんなさい!! 見えなかったので許してください!!




 ジュストと組み手をしようとしたら、朝の鍛錬にやって来たカーラ様が俺達に気付き俺と組み手がしたいと言った。

 昨夜のドレススタイルとは違い、少し動きやすそうなシンプルな細身のロングワンピースだが足元はヒールである。

 ドレスにハイヒールという姿での護衛を想定して、日頃から慣らすためだろうか?

 見ているだけで辛そうな姿である。男の俺からしたら、この姿でまともに戦えるだけですごいと思う。


 このゲストハウスはカーラ様が管理しているようで、カーラ様も昨夜はここに泊まっていたそうだ。

 美味しいディナーをご馳走になったうえに、超スイートなお部屋に泊めてもらったので、そのゲストハウスの主のお願いは断りにくい。

 それを了解して組み手をすることになったものの武闘派一族とはいえ相手は女性、しかも上級貴族。怪我をさせてもまずいし、かと言って手加減がバレるとやばそうだし、なーんて考えて考えて、組み手開始直後少し戸惑いがあったのだが、それはすぐ吹き飛んだ。

 そして新たな戸惑い。

 やべぇ、めちゃくちゃ強え……。


 すらりとした体型で女性としては背が高いカーラ様だが、それでもやはり女性。俺の方が背が高く体格もいい、つまりリーチもパワーもある。

 女性はパワーより素速さを重視した戦法をとる者が多いが、俺もどちらかというとパワーよりスピード型のスタイルである。

 スピードがやや劣るかもしれないが、それ以外はおそらく俺の方が上だと思われる。

 そしてリーチ。体格と腕の長さの関係で殴り合いになると俺の方が有利である。

 そうなると警戒するのは足。しかしハイヒール、地面は踏み固められた硬い土だがそれでも安定がいいとはいえない足元である。

 明らかに俺に有利。


 などと組み手開始直後までは思っていたのだが、その思い込みは開始から秒で吹き飛んでしまった。

 戦闘スタイルは予想通りのスピード型で蹴りがメイン。

 ヒールとは思えない素速い動きとステップで踏み込んできて、牽制のジャブならぬローキック。地面の色に近い茶色い革靴だったらおそらく気付かなかった。あぶねぇ……。

 正面からの踏み込みなら構えの前に出している方の手で裏拳カウンターが狙いやすいのだが、それより先にそちら側からの太もも側面を狙った下段回し蹴り。カウンターより先にガードである。

 やだ……ハイヒールローキックこわすぎる。


 そして踏み込んだ至近距離から中段、上段と蹴りが飛んで来て、ガードを揺さぶられる。 

 赤いヒールのおかげでなんとか見えるが、地面と似たような色のブーツだったらおそらくすでに何発かくらっていただろう。

 赤でよかった……。

 いや、もしかしてこれ高貴な人の集まる場所にあるレッドカーペットを想定した色? うん、赤いカーペットの上でこの距離で赤い蹴りを出されたら間違いなく避けられないな!! ヒーコエー!!

 うおおおおおお……蹴りに気をとられていると顎を狙った掌底がっ!! 

 

 前に出している方の手は肘を曲げ、突き出しすぎないコンパクトな構えもまたやっかいである。

 パッと見リーチが短く見えるため、つい踏み込みたくなる。しかしそれは罠だ。

 短めのリーチだと思い釣られて踏み込むと、間違いなくカウンターがくる。そしてその腕のリーチに釣られると蹴りの間合いに入ってしまう。

 有利に戦うには、俺の攻撃が届きカーラ様の蹴りが届かない場所のキープ。せこく見えるが相手の間合いに入って打ち合いになると、うっかり怪我をさせてしまうかもしれない。

 なんて遠慮気味な俺の考えを見透かしたように、コンパクトな構えからガンガン踏み込んでくる。

 俺の間合いに踏み込めばカウンターが狙える――なんてあまいことはなく、太もも、腹、みぞおち、顔面、どこを狙ってくるかわからない蹴りが至近距離から繰り出され、開幕から防戦一方になってしまった。




「私が女性だからという理由で紳士的な戦い方はやめた方がいい。もしそういう考えがあるのなら、私はその隙をついていくぞ? ドリーと組み手をする時、いやそれ以上の力できたまえ」

 だよなー、この人めちゃくちゃ強いもん。手加減したら勝てないというか本気でも勝てなさそうだなぁ。

 そういう人に手加減をするのは逆に失礼だろう。しかも武闘派の家門の女性である。

「それでは、お言葉に甘えて胸をお借りさせていただきます」


 ……スケベな意味じゃないよ。うわっ! 蹴りが顔面に飛んできたっ!!




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