第431話◆そりゃないよ

 チリリリリリリリリッ!!


 日が西の水平線に沈んでいくのを、祭壇の後ろにある窓からぼんやりと眺めながらカメ君の甲羅を磨いていると、胸ポケットに入れている時計のベルが鳴った。

 びっくりして時計を取り出しベルを止め、時計の蓋を開けて時間を確認すると、針は夜の三時より少し前を指していた。

 ああ、時計の針は止まっているように見えて、プルプルしながら少しずつ動いているのには気付いていたが、思ったより進んでいたようだ。

 針が指しているのは、野営の見張り交代のため俺が起きる時間だ。


 時計の蓋を閉めて胸ポケットの中にしまう。

 窓から見える夕日は、十五階層に入った日に見た夕日と同じように、西の海を橙色に染め上げていた。

 その西日に照らされながらも、決してその色に染め上げられることはなくキラキラと青色に輝く鮫亀の像。

 日暮れが近付くに連れ、その像からは膨大な魔力を感じるようになった。

 しかしそれは荒ぶることはなく、ただ静かに像の中に満ちていくように感じられた。

 まるで、静かに凪いだ広い海のように。


 橙から茜へ、茜から紺へ、空を染め上げるグラデーションが、夜の色に浸食されていく。

 西の海に太陽が飲まれ、空に僅かに夕方の色。東の空は夜の色と姿を現し始めた丸い大きな月。天頂には星が薄く瞬いている。


 そろそろだろうか?

 太陽が完全に海の向こうに消えた頃から、何があってもいいように周囲の気配に注意を払っている。

 月はまだ昇り始めたばかり。

 満月というすごく大雑把な時間指定のせいで、気を緩めることができない時間が長くなりそうだ。

 俺は窓の方から、カリュオンは祭壇の正面で像を警戒している。

 カメ君も像の横に静かに座っている。


 そこは危ないかもしれないからと、俺の肩の上に乗せようとしたが、カメ君は抵抗して像の横に居座ろうとした。

 この島にやって来た直後に俺達の元にやって来た不思議な亀。何故かそのままくっ付いてきている。

 海を凝縮したような色に長い首と先端が魚の尾びれのようにひらひらとした長い尾。

 亀といえば亀なのだが、亀とはまた違う生きものにも見える。

 小さいわりに、こちらの言葉を理解しているようで、俺達の言葉や行動に反応して感情を見せ、時には俺達に何か伝えるような仕草をする。

 カメ君自身からはそれほど力は感じないが、知能はかなり高いように思える。

 亀の形をした島、頭部は鮫だが亀に似た像、そして不思議な亀、そして愚亀の地図。

 全て亀である。

 海洋系の生物や水属性の魔物が多いのに、亀の姿をした生物はカメ君だけである。

 繋がりがあるのではないかとは思っても、考えたところでヒントもなしに答えが出るわけもなく、天頂へと登っていく月を見つめながら時間が過ぎていった。





「あー、腹が減ったなぁー、満月っていう時間指定が大雑把すぎるんだよなー」

「夕飯はさっき食べただろ!? 食べすぎると眠くなるし、何かあった時動けないからほどほどにしとけよ」

「クァー……」

 月が姿を見せ、何かが起こるかもしれないと警戒をしていたが何も起こらぬまま、時間だけが過ぎていった。

 腹が減りすぎて途中で飯を食ったが、それでも何も起こらない。

 祭壇の上では鮫亀の像が目に見えて輝きを増しているので、今夜何かがありそうなのは確かだ。

 確かだと思うのだが、はっきりとした時間がわからないので非常に困るし、いい加減退屈で緊張の糸はぶつ切り状態である。

 大雑把な時間指定やめろ。


 カリュオンは空腹というか退屈というか口が寂しいだけかもしれない。先ほどからちょいちょいおやつを摘まんでおり、今も棒状のサラミを囓っている。

 カメ君もカリュオンにサラミの切れ端を分けてもらいつつ、眠たそうに欠伸をしている。

 日没後の緊張感はすっかりなくなっていた。

 月は間もなく天頂へと達しようとしていた。


 窓から差し込む月明かりが鮫亀の像を照らしている。

 満月の夜の空は明るく、窓からは外の海の波まではっきりと見える。

「そろそろかなー?」

 シャクシャクと棒状のサラミを囓っていたカリュオンが、残りを纏めて口の中にツッコミ、祭壇脇の床に置いていたバケツをスポっと被った。

 その行動にやや緊張を覚えたが、周囲にとくに変わった気配はない。

 妙に明るい月の光が窓から差し込み、鮫亀の像を照らし続けているだけだ。

 その光を受ける像の輝きは、月が天頂に近付くにつれ更に強くなり、直視ができないほどの光の中で像の輪郭がぼやけ始めた。


 その光が強くなるほど像からは魔力が溢れ始め、その周囲で渦巻き始めた。

 それはまるで嵐。小さな台風のように思えた。

 さすがにカメ君が危ないと思い回収をしようと思った直後、溢れ出した魔力が膨れ上がり室内で吹き荒れ窓がバタンと音を立てて開いた。

 その魔力の嵐の中、カメ君は像と向かい合うように四本の足で踏ん張っていた。

 カメ君がチラリと何か言いたげにこちらを振り返るのが見え、思わず手を伸ばしカメ君を掴んだ瞬間、像の光が弾けて視界が真っ白になった。



 その光が収まった後、鮫亀の像は消えて俺の手の中にはカメ君の形をしたアクアマリンが残っていた。

 その大きさは俺達がここに来た頃のカメ君より小さく、握ればスッポリと手の中に入ってしまう。

 アクアマリンの像を持って帰りたいとは思ったけれど、そりゃないよカメ君。


 そんな気はしていたけれど、あの像はやはりカメ君と関係のあるものだったのだろう。

 鑑定してみたが弾かれてしまい、その正体はわからない。

「カメッ子は行っちまったか。まっ、まだ終わったわけじゃないみたいだけどな」

 カリュオンが祭壇の上、像が置かれていた場所をちょいちょいと指差した。

 そこには、俺にでも読める大陸共通語で文字が書かれていた。


 "法螺貝を聞かせよ"


「法螺貝って……」

「火山で拾ったあれじゃね? 修復した像はどう見てもクーランマランの像だったし」

「え?」


 はい?


「あれ? 気付いてなかったのか?」

 いやいやいやいや、そういう大事な気付きはちゃんと先に言おうぜ?

 クーランマランなんか見たことねーし、わかるわけないだ……、ああああああっ!!


 島と見間違えるほどの巨大亀。

 恐ろしい顔の鮫。

 美しい衣のようなヒレを持つ巨大魚。


 どれもクーランマランの逸話だ。そしてその全てが揃った像。

 ああああああああああああ……!!

 じゃあ、カメ君は?

 いやいやいやいや、カメ君自体からはほとんど魔力を感じなかったし。

 そんなことより……。


「確かに法螺貝は収納の中に入ってるけど、ものすごーーーーーく、嫌な予感しかしないんだけど?」

 愚亀の地図、亀の形の島、消えたクーランマランの像、それにクーランマランの法螺貝。そしてカメ君。

「まぁ、でもそれを吹かないと先に進めなさそうだし?」

 ですよねーーーー!?

「俺が吹くんだよね?」

 収納から法螺貝を取り出しながら、念のため確認。

 手の中にあった元カメ君のアクアマリンは胸のポケットの中にしまった。

 もしかしたら、ひょっこり戻って来るかもしれないから。その時収納の中に入れていたら、戻る場所がないかもしれないから。


「おう。それ魔力めっちゃくうんだろ? 俺の防御は魔力依存の上に燃費が悪いからな、無駄に使う魔力はないんだ」

 超笑顔でウインクまでされた。

「わかったよ、それじゃ吹くぞ!? いいか? 吹くからな? 何が起こっても泣き言はなしだぞ!!」

「はっはっはっ! ダンジョンの中だから本物とは限らないだろ? まぁ、なるようになるさ!」

 それでも、間違いなく超高ランクのクーランマランもどきが出てきそうだけど!?


 本物じゃなくても、ダンジョンが作り出した古代竜もどきとか出てきて戦闘になったら、勝てる気しねーぞ?

 本当にこれを吹いて大丈夫なのか?

 吹かないと先に進めないのはわかっているが、吹いた後に起こることを想像すると手が震える。

 俺とカリュオンだけで勝てるのか?

「大丈夫だ、カメッ子を信じてやろうぜ」

 カリュオンがポンと俺の肩を叩いた。


 不思議だよなぁ。カリュオンが大丈夫だと言うと何となく大丈夫な気がするんだよな。

 これがタンクってやつか。


「わかった、じゃあ吹くぞ」

 大きく息を吸い込んで、法螺貝にそれを吹き込んだ。


 魔力が体から抜けていく感覚と共に、空気がビリビリと震える程の法螺貝の音が夜の海に響き渡った。



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