第370話◆月下美人
「で、ぬしは何故呼んでもないのに来たのじゃ? ただ酒を飲みに来たわけじゃなかろ」
これは俺ではなくラトに言っているのかな?
ややボーッとしながらミッシィアニエルの声が耳の中を通り抜けていった。
やべぇ、少し飲みすぎたかも。
しかも料理が美味くて色々摘まんでいるうちにお腹がいっぱいになって、少し眠くなってきたぞ。
チラリとアベルの方を見ると、俺と同じように眠気に耐えているような表情になっている。
漂う甘い香りが更に眠気を誘う。
決して嫌みではない甘い香り、どちらかというと心地が良すぎる香りなのだ。
その香りの元はミッシィアニエルの頭の上にある冠から漂ってきている。
ミッシィアニエルの頭の上にある冠――フローラちゃんのお手製の冠は、天頂近くで明るく輝く月の光を浴びて付いていた蕾が完全に開き、花弁が無数にある真っ白い大きな花を咲かせた。
月下美人。
まさにミッシィアニエルのためにあるような花の名前だ。
正しくは月下美人ではなくリュンヌの花なのだが、俺の中では月下美人と呼びたくなる。
「ドリュアス達がこの者らにちょっかいをかけぬようについて来ただけだ」
「ほほほ、随分と気に入っとるようじゃの。ドリュアスが番探しに積極的だといっても人間には興味がないから安心せぇ。して、おぬしがそこまで気に入るほど飯が美味いのかえ? 確かに手土産のヤマモモのタルトとやらは美味かったの。他の飯も馳走になりにいきたいよのぉ。ほほ、取って食うのは料理と酒だけじゃから、そう嫌そうな顔をするな」
お? タルトは気に入ってくれたか。
ショウガのクッキーもあるぞ。これは今日ここにいないドリュアスの皆さんにも分けてくれ。
子育てご苦労様って。
「ん? なんじゃ? そうかクッキーか、うむうむ、皆にも分けておくぞ。随分と眠そうじゃの、番人もおるし眠かったら一眠りしてもよいぞ」
え? 俺そんなに眠そう?
うん? 少しろれつが回っていないかもしれない。
ラトがいるならちょっとスヤァしてもいいなぁ。アベルもいるしちょっとだけ、ちょっとだけ……。
あれ? アベルもなんかウトウトしているな。アベルが眠いのなら俺が眠いのは仕方ないな。
「こうなると思ったからついて来たのだ。何が詫びだ、酒を飲ませて何か契約でもさせようとしたのだろう」
ええ、何か怖い事が聞こえて来た。妖精怖い。次から気を付けよう。
「むぅ、ちょっと晩酌の相手が欲しかっただけじゃから、二日に一回くらい一緒に飲む約束をしたかったんじゃ。おぬしは家にまで住み着いておって羨ましいのぉ」
二日に一回このペースで飲んだら絶対に病気になりそうなので、それは勘弁してくれ。
ラトがいなかったら酔っ払っている間にとんでも約束をする事になっていたかもしれない。怖い怖い。
妖精はどんなに友好的に見えても人間とは価値観が違う。状況次第ではとてつもなく恐ろしい存在になるのだ。
あー、すっかり油断して酒を飲みすぎてしまった。
ふええ……、ラトありがとう。
「飲み仲間が欲しいなら素直に言えばよいだろう」
素直に言われても月一くらいだな。
「おぬしががっちり周りを固めておるから、近付く隙もないではないか。ん? 何か言っておるな? そうか、月に一度かならば満月の夜に……ん? その時で都合があるから必ず満月の夜に飲めるとは限らない? そうか……ぬ? 事前に遣いを寄こせば飯を家に来てもよい? うぬ、ではそうしよう」
ここまで来るより、うちで飲み食いする方が楽だしな、飲みすぎても家ならすぐベッドへ行ける。
あれ? ラトのため息が聞こえた。
「まこと、人間という者は不思議よのう。欲深い醜悪な者もおれば、どこまでもお人好しもおる。ぬしが加護をやる理由もわかるよの。どれ、妾からも……なんじゃ、邪魔をするな。では、赤毛と銀色と花の子、皆にちょっとずつ、ならよかろ。うむうむ、どっしりと大地に根を下ろした大樹の加護、皆健やかになり酒にも病気にも強くなるぞ。ふむ、花の子はその気になればそろそろ人に近い姿にもなれるじゃろうに? ぬ? まだ上手くできないからこのままでいい? 喋れるだけでも便利じゃろ? ふむ、恥ずかしい? そうじゃの、ぬしが望むまでそのままでおるがよい。ん? 満月の日なら少し力が強いからちょっとだけなら? うむ、そこで寝とる奴らには内緒じゃの」
ん? 何? 話が見えない。
「ほう、これは予想を超えるな」
「ほほほ、見る目のない男よの。蕾だけでは花の美しさはわからぬだろうが、花とは美しいものなのじゃよ」
え? なになに?
あ、やば、頭は少し起きているけれど体が寝ていて目が開けられない。
寝入ったばっかりの時にはよくあるんだよなぁ。くそぉ、何の話をしているのだ、気になるぞ!?
あー、ラト達が何を話しているのかすごく気になるけれど、だめだすごく眠い。
酒は飲んでも飲まれるなってこないだ誓ったばっかりなのに。
無理矢理目を開けようと頑張ったら、明るい満月の光が妙に眩しかった。
キラキラとひかる月の光が、何に反射しているのか淡いピンク色がゆらゆらと揺れているのが見えた。
あー、だめだ、もう無理、眠い。
「ごめんくださいまし。そろそろ夜も遅いのでお迎えに参りましたわ」
「あー、やっぱりグランとアベルは寝ちゃってるー。こっちがあの噂の変態ね。うわっ、ラト酒臭っ!」
「もうぅ、ドリュアスさん達のお酒は強いのですからぁ、人間にたくさん飲ませたらだめですよぉ。あらぁ、フローラちゃん大人になりましたかぁ?」
「ホッホーッ!」
「ん? なんだ迎えにきたのか? 眠いと思ったらもうそんな時間か……ふあっ」
あれ? 三姉妹と毛玉ちゃんの声がする。
ああ、満月の日だから夜でも元気なのか。
んあ? お迎え? もう遅い時間だと思うのに悪いね。
そうだな、どうせなら帰ってベッドで寝たい。
「ほう、守護者様も来られたか。皆寝てしまってそろそろお開きにしようと思っていたところじゃよ。どうじゃ少し飲んでいかれますかえ?」
や、幼女に酒を勧めるのはやめるんだ。
「うーん、ちょっと頂きたいところだけど、この男達を連れて帰らないといけないから、今日は遠慮しとくわ」
これはヴェルか? 幼女がお酒だなんてダメダメダメだー。
「だめですよぉ。もう月も西に傾きますからぁ、おねむの時間ですぉ。ほら、リュンヌの花もだんだん閉じてしまいますよぉ」
「ほほほ、そうじゃの。深酒はよくないの」
「さぁ、ラトもほどほどにして帰りますわよ。ラト? あ、寝てる!」
ははは、ラトも寝てしまったのかー、俺は起きているぞ。
「あれ? グランは起きてるの? ……寝てるわね。完全に寝ぼけた酔っ払いだわ」
えー? 起きてるよー起きてますよー? ちょっと酔ってるけどまだ正気だぞぉ?
「アベルはぐっすりですねぇ。フローラちゃんは起きてて偉いですねぇ」
俺も起きているぞ?
「迎えに来てみてよかったですわ。フローラちゃん、毛玉ちゃん、だめな男達を連れて帰るお手伝いお願いしますわ」
なんかウルの声が上の方から聞こえるな。
ああ、俺が机に突っ伏しているからか?
椅子の上に乗って話しているのかな?
あれ? 肩を貸してくれているのは誰だ? 俺より背は低い感じだけど……ああ、ミッシィアニエルさんかな?
あー、大丈夫大丈夫ー自分で立てるよー。
「だめだわ……グランは寝ぼけてて面倒くさいわ」
すぐ横でヴェルの声が聞こえた。
「スリープの魔法をかけましょう」
え? スリープ? あ、ちょまって? ふえええええええ……。
「それじゃあミッシィアニエルさん、またですよぉー」
「ほほほ、楽しかったと使えておいてくれ。今度はそちらに伺う事にするぞえ」
最後にミッシィアニエルの声を聞いたような気がするが、そこでプツリと意識が切れた。
「んあーーーー、めちゃくちゃ頭いてぇ……。やべー、どうやって帰って来たか記憶にねえ……」
窓から差し込む光とその暑さで目を覚ませば、すでにいつもなら朝食を済ませている時間だった。
朝の鍛錬や畑の世話はともかくワンダーラプター達の餌と、朝飯の準備の時間がとっくにすぎている。
慌てて服を着替えてリビングへ行くと、俺と同じく今起きたばかりのようなアベルが、ボサボサの頭のままソファーにもたれかかってげっそりとした表情をしていた。
その向かい側にはラトも寝起きのような顔でものすごく渋い顔をしている。
「あ、グランが起きて来た。妖精のお酒ホントやばい……昨夜どこまで覚えてる?」
「ラトとドリュアスの長老が何か話してるあたりまでは何となく覚えてる。そこから先はあんまりというかどうやって戻って来たか覚えてない」
あるぇ……ラトとミッシィアニエルが話していて、その後何かあったようななかったような。
「あれ? 俺も途中から記憶飛んじゃって……やらかした。家に戻ってきたのはグランが連れて帰ってくれたんじゃないの?」
「いや、覚えてないな? ラトじゃないのか?」
「すまない、気付いたら眠っていて朝だった」
あれ? じゃあどうやって戻って来たんだ?
まぁ、起きて自力で戻って来たけれど記憶がないだけか。
飲みすぎた日あるあるだな。
あ、そんな事よりワンダーラプター達の飯と朝飯の準備だ。
「ちょっとワンダーラプターに餌やって来るよ、朝飯はその後に急いで作るからもうちょっと待ってくれ」
ボリボリと頭を掻きながら席を立ったのとほぼ同時に、食堂のリビングの間のドアが開いた。
「朝ご飯ができましたわ!」
「あら、グランも起きて来たのね」
「おはようございますぅ、ワンダーラプターのご飯もあげておきましたよぉ」
ひょこっと三姉妹達が食堂のドアから顔を出した。
え? 朝飯を作った? ワンダーラプターにも餌をやってくれたのか!?
マジかよ!!
三姉妹マジ天使! いや、女神様!!
三姉妹に促されて食堂に行くと、テーブルの上にベーコンエッグとスープとサラダ、そして籠にはいったパンが並べられてできたてのいい香りと湯気を漂わせている。
二日酔いで若干ムカムカとしていた胃が、急に空腹を訴え始めた。
「へぇ、料理なんてできたんだ」
アベルも感心したような表情をしながら椅子を引いて席に着いた。
「グランのお手伝いをしているうちに覚えましたぁ」
「野菜を千切って卵を焼くくらい簡単よ」
「ちょっとだけフローラちゃんが手伝ってくれましたわ」
フローラちゃんまで手伝ってくれたのか。ありがたや、ありがたや。
「すっかり寝坊をしてしまったから助かったよ、ありがとう」
三姉妹にお礼を言いながら席に着く。
フローラちゃんにもお礼を言わないとな。
「いつの間に料理ができるように……」
保護者のラトですら、三姉妹の作った朝食には驚いている。
「もっと褒めていいですわよ」
「すごいでしょー」
「冷める前に食べるのですぅ」
三姉妹に急かされてカトラリーを手に取る。
「いただきます」
最初に口に運んだベーコンエッグは胡椒がよく利いていて、寝ぼけた頭にはちょうどいい。
そしてカリカリベーコンも少し柔らかめの焼き加減の卵も俺好みである。
ああ、幼女が作ってくれた朝ご飯、すごく美味しい! 最高!!
彼女すらいないのに、幼い娘が初めて作った料理を食べる父親のような気分になった。
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