第360話◆夜の森

「暗っ!! 真っ暗っ!!」

 放り出されたところは真っ暗な森の中。

 多少夜目が利く方なのだがほとんど見えない。まさに一寸先は闇。

 頭上が木々に覆われ、空が見えず月や星の光がほとんど届いていない漆黒の世界。

 周囲を探れば、虫や小動物といった小さな気配を感じるだけで強そうな気配は今のところ見当たらない。

 探索スキルで確認した感じ、この真っ暗な森はかなり広いようだが、比較的近くに木々が途切れた空間がある。

 そこに水の気配がするのでおそらく湖か泉があるのだろう。


 暗すぎて何も見えないのでとりあえず明かりが欲しい。

 照明効果を付与してあるイヤーカフスに指先で触れると、効果が発動してほんのりと淡い光を発した。

 フォールカルテの図書館でいざこざに巻き込まれた時、暗い通気孔の中に入ることになった時に使った首から掛ける照明具が体勢的に少々使いにくかったので、首ではなく耳に付ける照明を作ってみたのだ。

 小さいのであまり光は強くなく、付けっぱなしなしだと二、三日しか持たないが、夜目が利くので光は僅かにあればなんとかなる。

 反対側の耳にも同じものを付けているので、もう少し明かりが欲しければ反対側のイヤーカフスも光らせればいい。


 イヤーカフスの発する淡い光に照らされて、暗い森の中の道がはっきりと見えた。

 高い木に囲まれ低木や下草も茂っているが、人が二人並んで通れるくらいの幅の道が拓かれており地面も綺麗に均されている。

 この道の先に水が溜まっているような気配を感じるので、道なりに進めば湖もしくは泉に辿り付くことになりそうだ。


「がっ!?」


 明かりを点けて周囲の様子を確認していた俺のこめかみに何か硬いものがぶつかった後、髪の毛に引っかかってそこでガサガサと動いている。

 そいつを指でつまみ目の前に持ってきて、その姿をまじまじと見る。

「少し飛び出した頭に、シュッとして角張った体。なにより羽の付け根にある三角模様が大きいな。君はカナブン君だな、光に釣られて飛んで来たのか。ほら、樹液のある場所にお戻り」

 カナブン無罪。

 摘まんでいたカナブンを近くの木の幹にそっと戻してやる。


 パシッ!!

 カナブンを戻した直後、別の何かがぶつかってきて前髪に張り付いた。

「今度はなんだ? 平べったい頭に丸いっこいフォルムのボディ。羽の付け根の模様は小さくて三角というには角がない。てめぇはコガネムシだ!! あばよ!!」

 前髪に張り付いた虫を摘まんで剥がし観察した後、森の奥へと放り投げた。

 畑ではないので殺さないが、コガネムシに慈悲はない。


 バシッ! バシッ!! ババババババシッ!!


「ぬあっ!? いてっ! いてててててっ!!」

 コガネムシを森の中に投げ捨てた直後、次々と虫が俺にぶつかってきた。

「ふむ、暗い森の中の唯一の光だからな」

 俺の横でラトが落ち着いた顔をしているが、そのラトも髪も服も白いため俺のイヤーカフスの光を反射しており、頭の上に大きな蛾が張り付いている。

 無駄にカラフルなせいでリボンのようである。

 服にも蛾が張り付いているが全く動じないのは、長い間森で暮らしているからなのだろうか、それとも番人の貫禄なのだろうか。


 って、そう思っている間にも色々な虫が次々に寄ってくる。

 ぬあ!? その蛾の鱗粉なんか変な毒がないか!? 目がシパシパするぞ!!

 ぎえええええ!! デカイカミキリムシ!? それに噛まれたら絶対痛い!! あっち行けえええええ!!

 くっ!! 羽虫のような奴らがうるさいな!!

「この先に泉か湖がありそうだし、そこに行こう」

 虫がうざいから避難だ、避難!!

 くそぉ、夜の森で素材採取とか思っていたけれど、これはずっと森の中にいると虫まみれになるぞ。

 変な毒虫とか肉食の虫がいるといやだから、木の少ない場所に脱出だ!!

「その光を消せばいいのでは?」

 うるせぇ、俺は普通の人間なのだ。光が全くないとほとんど見えないんだ、ハイスペック人外番人様と一緒にするな!

 あ、てめぇ!? いつのまにかシャモアになってる!!

 めちゃくちゃ走りやすそうだな!?

 ていうかシャモアのまま喋られるとめちゃくちゃ違和感だな!?

 虫を避けるため走り出した俺の後ろを走るバカでかいシャモアから、イケボが聞こえてきて違和感大爆発である。

 そしてバカでかいシャモアが俺の速度に合わせて走ってくれているみたいだが、背後にピタリと付けられるとものすごい圧を感じる。

 うっかり、踏まれないように気を付けよ。



 虫回避のために、湖があると思われる方向へと森の中の道を駆け抜けた。

 その間も何度も虫にぶつかられることになった。

 くそでかカブトムシとかクワガタとかは持って帰りたかったけれど、お家で飼う気もしないし前世と違って買い取ってくれるところもないだろうし、捕まえて帰って家の近所で自然に還すのはまずいし、少し勿体ない気がするけれど連れて帰らないよ!!

 捕まえた虫を自然に還す時はちゃんと元の場所に戻さないといけない。


 しばらく走ったところで森が途切れ、その先にあまり大きくない泉が見えた。

 空には大きな満月が輝き泉の水面にその姿を映しており、森の中に比べれば随分と明るく視界も良い。

 そしてその周辺はふんわりと甘い香りが漂っていた。

「ふいいいいいいい……、飛んで火に入る夏の虫を体で目一杯感じることができたな」

 イヤーカフスの光を消して、髪の毛や服に張り付いている虫を剥がして森に戻しながら周囲を見回すと、月明かりに照らされる湖の周りに、花弁がたくさんある大きな白い花があちこちに咲いているのが見えた。

 甘い香りはこの白い花から漂ってきているのだろう。

「ほう、リュンヌか」

 ラトもその花に気付き、フンフンと鼻を鳴らしている。


 リュンヌは満月の夜にだけ花を咲かせる珍しい薬草で、その花は効果の高い石化解除ポーションの原料となる。

 呼吸器系の薬の原料としても有能で非常に人気のある素材だ。

 その花は非常に甘く濃厚な香りで、酒に漬けたり、乾燥させた花弁をお茶に入れたりもする。

 更にはやせ薬の原料にもなるので女性達には大人気である。

 花が散った後につく実は食用可能で、少し粘り気があるがあっさりしていて臭味もなく食べやすい。


「これ摘んで帰ってもいいよな?」

 ダンジョンの中だし問題ないよな。

「キノコの妖精が作った地図の中だ、問題なかろう。それよりあれを見ろ」

 ラトがフンフンと鼻息を荒くしながら泉の方を顎でしゃくった。

「ん? 泉がどうかしたか? ああ、泉の脇に小さな祠があるな? 主か何かがいるのかな? 花を摘む前にお供えでもしとくか」

 泉の方を見るとその脇に小さな祠があるのが目に入った。

 祠なんて無意味に建てられているものではない。きっと何か意味があるはずだ。

 祠があるということは主が祀られている可能性が高い。

 キノコ君の作ったダンジョンかもしれないが、主がいるというのなら対価を払ってから周囲のものを貰う方が無難だ。


「ん? 祠? ああ、小さすぎて見えなかったな。祠ではなく泉の方をよく見てみろ」

 祠じゃない? って、祠には気付いていなかったのかよ。

 まぁ、ラトはシャモアの時は大きいから……いや、それでも祠を見落とすのは罰が当たるぞ!

 ラトは神格持ちっぽいから罰は当たらないのかな?

 子供の頃からオミツキ様に散々罰を当てられてきたので、俺は一応祠にお参りしておくぞ。

「祠じゃなくて泉? 俺には普通の泉にしか見えないな」

 ラトに言われて泉の方を見るが、やや白っぽく濁った水を湛える泉にしか見えず特に生き物の気配もしない。

 水がやや白く見えるのは含まれている成分の影響だろうか?

 俺の鑑定は触れたものにしか使えないので、ここからでは水の詳細までわからない。

 とりあえず祠にお供えをしようと泉に近付いた時に漸く気付いた。

「あー、なるほど」

 思わず目を細めて、チラリとラトを見てしまった。

 そんな俺の視線を他所に、ラトは鼻歌でも歌い出しそうなくらい上機嫌で俺を追い抜き、泉の方へとパカパカと近付いて行った。


「ただの森の地図かと思いきや、こんな酒の湧く泉があるとは、あのキノコなかなかわかっているな。日頃から水の代わりに酒を撒いておいたかいがあった」

 お前、箱庭に酒なんか撒いていたのか……。

 そう、ラトが上機嫌になった理由、泉に近付いてそれに気付いた。

 泉の周囲を漂っている香りに混ざり、アルコール臭がしたのだ。

 この甘い香りは花の香りだけではなく、この泉の香りもありそうだ。

「って、おい、ラト。そこに祠があるから、泉の主がいるかもしれないから、酒を飲むならお供えくらいしておいた方がいいんじゃないか?」

「ふむぅ? かりそめ空間だからそのような心配はないと思うがな。妖精の地図は私にもよくわからないからな。祠はただの飾りかと思っていたが主の可能性か……まぁ、私の方が格上だと思うがとりあえず酒の礼くらいは置いておくか」

 ラトは少し腑に落ちない感じだが、俺の言葉に従って祠の上にバサバサと食材を降らせた。

 なんかその食材に混ざってホホエミノダケが見えるが、俺は何も気付いてない気付いてない。

 キノコ君の作った空間なら主がいるとは限らないが、祠なんかあったらつい拝んでおきたくなるじゃないか……。

 しかも酒が湧く泉なんて絶対普通じゃないし、何か主がいそうじゃん!?


 泉に直進するラトと離れ俺は祠の方へ。

「うちの番人がなんだか失礼な事を言っちゃってすみません。ちょっとお酒貰って花を摘ませて貰いますね」

 珍しい花と酒の湧く泉だし、ラトがたくさん飲みそうだし、少し多めに対価を置いておこう。

 食材と酒と、月が綺麗だからムーンストーンを置いておくか。

 これだけ置いておけばラトが少々飲み過ぎても許してもらえるかな?


 よっし、お参りもした、お供えもした!

 さぁ、リュンヌの花を摘むぞーー!!

 と、振り返ると泉の周りにところ狭しとリュンヌの花が咲いていた。

「ふぉっ!? やっぱ主様がいるんじゃないのか!?」

 お供えたくさんしたかいがあったな!!


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