第356話◆帰りを待つ人

 バルダーナ達が犯人を妖精だとほぼ断定して、その捜索は諦めようとしているので、今更このワンニャンを見られると面倒なことになりそうだったので、そちらには行かず裏路地を通って町外れの耕作地帯の方へ。

 建物の数が減り、庭の広い家や畑が目に付き始めた辺りに、壁が黒く焦げている倉のある農家を見つけた。

 ワンニャンことオヴィンニクは俺が抱えたままここまで来たのだが、その家が近付くにつれて耳がヘニョヘニョと垂れていく。

「どうした? 帰りづらいのか? お爺さんはお前が妖精って知らないのか? だったら内緒にしておくから心配するな」

「グランの話から察すると、昨夜の事件の犯人はその子で間違いなさそうだし、その子の住み着いてる家に盗みに入ったのは、燃やされた男達で間違いなさそうだねぇ。もしかして、男達を追い払おうとして倉まで燃やしちゃったのかな?」

「キュウウ……」

 ワンニャンの耳がさらに下がって、細い鳴き声が聞こえた。

 なるほど、家に帰りづらそうなのはそのせいか?

 俺がワンニャンを見つけた日、火傷をして足を引きずっていたのは自分の炎で、もしくは火事になった倉で火傷をしてしまったのかもしれないな。

 可愛がってくれているお爺さんちの倉に入った泥棒を追い払おうとした結果、倉に火が燃え移って、泥棒にも逃げられ、自分も火傷をしたとなるとそりゃヘコむな。

 それで、その盗人をやっつけようとしたのかな? 家出中というのは、お爺さんに合わせる顔がないというやつか?

 

「でも泥棒は君のおかげで捕まったし?」

 少しやり過ぎなくらい男達は燃えていたけれど、妖精と人間は価値観が違うから人間の法や常識を当てはめることはできない。

 妖精の逆鱗に触れて死人が出なかっただけよかったと思うしかない。

 モフ可愛いネコチャンだが、やはり妖精には恐ろしくて危険な面もあるのだ。

「そうだな、ちょっとやりすぎたのは内緒にしとこうな? でもあんま町の中で炎は使うなよ? 今回はこの程度で済んだけど、大火事になって大事になれば町にいられなくなるかもしれないからな? そうしたらお爺さんも心配するだろ? もうお爺さんに心配かけるようなことはするんじゃないぞ?」

 妖精に人間の常識が通じないのはわかっているが、もし大きな被害を出してしまったら町の治安部も冒険者ギルドも対処をしなければならなくなる。

 そうならないためにも、人の暮らしに溶け込んで生活しているのなら、人の常識から外れすぎないように説得したい。

「そうだねぇ、悪い奴は懲らしめてやりたいもんね。うん、そういう時は手加減をしてバレないようにこっそりと上手くやるんだよ。もしバレそうになったらただの猫か犬のふりをしておくんだよ?」

 アベルよ、お前が言うとものすごく説得力あるというか、ものすごく不安になるのだが!?

「ワフゥ」

 あ、それで納得したの? ほどほどにしておくんだぞ!? ほどほどに!!


「あ、あの畑にいるお爺さんじゃない?」

 目的地の家の前の畑を耕している老人にアベルが気付き指を差した。

 ワンニャンもそれに気付いて俺の腕の中から地面に飛び降りて、畑の方へと走って行った。

 しかし畑の少し手前の草むらで止まって、その陰で身を低くして尻尾をゆらゆらとさせながらお爺さんの方を見ている。

 しょうがないなぁ。


「こんにちは、いい天気ですね」

 ワンニャンが隠れている草むらの横を通り過ぎ、畑の外からお爺さんに声を掛けた。

 適当に世間話をして、タイミングを見てワンニャンが出てこられそうな雰囲気を作ってやろう。

「やぁ、いい天気じゃの。この辺では見ない顔じゃが冒険者の人かの?」

「ああ、仕事で近くまで来たついでに散歩?」

「そうかいそうかい、冒険者のお兄ちゃんがこの辺まで来てくれると安心じゃのぉ」

 俺に話しかけられお爺さんがこちらを振り返ると、ワンニャンが草むらの中で身を小さくするような気配を背後に感じた。

 畑を耕す手を止め、汗を拭ったお爺さんの右手に包帯が巻かれているのが、袖口からちらりと見えた。

「腕に怪我をしているのかい?」

「ああいや、こないだうちの倉に泥棒が入った時にちょっと小火があってね。火を消そうとしたら火の粉で袖口が少し燃えて火傷しただけさ」

 あー、そういうことか。

 倉の小火だけではなく、世話になっているお爺さんを傷つけてしまって帰りづらいんだな。

 酷いようだったら、ワンニャンの手当にも使った火傷の薬を少し渡しておこうかな。


「それは大変だったな。火傷は酷いのかい?」

「うんや、薬を塗っておけばすぐに治る程度じゃよ。そうじゃお兄ちゃん、どこかで黒い太った犬……いや、猫を見かけなかったかの? この辺散歩しとって見かけたら教えてほしいんじゃがの」

 火傷は酷くないようでよかった。畑仕事もできるみたいだし、それほど心配することはなさそうだな。

 そして、いい感じにワンニャンの話題を振ってくれた。

「その猫はお爺さんが飼ってる猫かい?」

「飼ってるというか随分前から勝手に倉に住み着いとって、わしが勝手に家族だと思っとるだけじゃがの。こないだの小火騒動から行方不明になってしもうての……火に驚いて逃げただけならええんじゃが、火に巻かれて怪我でもしとらんか心配じゃし、アレがおらんと広い家に一人だけじゃからのぉ。無事に帰って来てくれたらええんじゃが」

 そう言ってお爺さんは寂しそうにため息をついた。

 背後でワンニャンの気配がゆらゆらとしているのを感じる。

 きっと草むらの中で戸惑うように尻尾を振っているのだろう。


「ほら、君のことを家族だって言ってるよ。失敗は誰にだってあるからね、もう戻ってもいいんじゃないかな? 次からは上手くやるんだよ」

 後ろでアベルが小さな声で囁いたのが聞こえた。そして、最後の一言が物騒である。

「そうだぞ、あんまりお爺さんを悲しませる方がよくないぞ」

 草むらの方を振り返って声を掛けると、草の陰から黒いモフモフ尻尾が揺れるのが見えて、音を立ててワンニャンが飛び出した。


「ワンッ!!」


 明るい鳴き声がして、ずんぐりとした体で地面の上を転がるようにワンニャンがお爺さんの方へ駆けて行く。

「おお……おお……無事じゃったか! そうか、帰って来てくれたか、よしよしおかえりおかえり、怪我はしてないか? 腹は減ってないか?」

 ワンニャンに気付いたお爺さんが左手に持っていた鍬をその場に置いて、ワンニャンと視線を合わせるようにしゃがみ込み両手を広げた。

「ワンッ! ワンッ!」

 猫の姿で犬の鳴き声は違和感しかないのだが、尻尾をゆらゆらさせながらワンニャンが跳ねるボールのようにお爺さんの腕の中に飛び込んだ。

 そのワンニャンをガッチリと受け止めて、ワシャワシャとその頭を撫でるお爺さん。


 ワンニャンに燃やされた盗人達には悪いが、俺とアベルが黙っていればワンニャンの正体はバレることはないだろう。

 うむ、燃やされたのは悪さをした罰だな。

 アベルも同じことを思ったのか、目が合ってお互い無言で肩をすくめた。

 しかし何となく後ろめたいので、よく効くけれどすごくしみる火傷の薬をエドワさん経由で差し入れてやろう。

 傷が癒えたらしっかり罪を償ってきたまえ! 妖精にこんがりさせられたことに懲りて更生するがいい!!


 少し気がかりなのは捜査の達人のエドワさんや情報通のバルダーナなら、盗人達の証言があればこのワンニャンまで辿り付くだろうということ。

「ギルド長達なら気付きそうだけど、あのネコチャンも妖精だから自分で上手く誤魔化すと思うよ」

「そうかな? そうだといいな」

 お爺さんに撫でられるままになっているワンニャンを見ると、ただのずんぐりぽっちゃりの猫である。

 鳴かなければ普通の猫なんだよなぁ。

 嬉しそうにお爺さんに頭をグリグリと押しつけるワンニャンを見ながら、一人と一匹に平穏な生活が戻ることを祈った。












「そう、お爺ちゃんのとこのワンちゃん、帰って来たのね。よかったわねぇ」

 その日の夜、アリスさんを送りながら、昨夜からの出来事を差し障りのない範囲で話した。

 アリスさんはあのお爺さんと仲がよいようで、その話を聞いて嬉しそうにニコニコとしていた。

「ああ、盗人も捕まったみたいだしな」

 仕事に来る前に冒険者ギルドに立ち寄った時に、男達がどうなったか聞いてみたら、証拠がばっちり揃いすぎていて言い逃れは不可能で、回復し次第服役することになるそうだ。

 彼らを燃やしたのは妖精ということがほぼ確定で、暫く警備は強化するが相手は妖精なので探し出して無理に排除するのは厳しいようで、このまま被害が出なければ保留にするとのこと。


「あら、それは安心ねぇ。グラン君が昨日の帰り道でその人達を捕まえたんでしょ? お客さんに聞いたわよぉ」

 あれ? バレてる? あ、お客さんね……近くの住人の人も出てきて、結構な大騒ぎだったしな。

 飲み屋のお姉様の情報網恐ろしい。

「その時はそいつらが盗人だったって知らなかったけどな」

「なんでも、倉庫のお守り妖精ちゃんがやっつけてくれたんだって?」

 おい!? すごくよく知っているな!?!? 誰だ、そんな情報までペラペラ話している関係者は!?

 やべー、飲み屋のお姉様ってプロの諜報員か何かかな!?

「う、うん。仕事上の話だから詳しくは言えないけどそんな感じかな?」

「うふふふふ~、そう、そうようね~。この辺りだと倉庫のお守り妖精ちゃんは昔話でも有名なのよ。倉庫に泥棒に入る悪い人はやっつけてくれる妖精って馴染みがあるのよ。それでね、お礼に鳥の干し肉を倉庫に置いておく習慣があるの。そうしたら妖精ちゃんの機嫌が悪くならないの」

「へ、へ~」

 うちもうっかり目からファイヤーな妖精が住み着いて火事にならないように、ロック鳥の干し肉を置いておこうかな。

 あのワンニャンはお爺さんのとこに住み着いているみたいだからうちには来ないと思うけれど、他にもワンニャンがいないとは限らないしな。

 妖精は神出鬼没なのだ。

「この辺りに住んでるっていう倉庫のお守り妖精ちゃんはいい子だから大丈夫よ。昔からどこかにいるみたいだけど、大きな火事にはなったことがないし、今回みたいに泥棒をやっつけてくれることもあるから、昔から住んでる人は大事にしてるのよ」

 そうか、大事にされてあちこちで鶏肉を貰っているから、あんなずんぐり体型だったんだな。

 アベルが見つけた時も植木鉢で寝ていたって言っていたしな。あのワンニャンは俺が思っているよりずっと地域の人に愛されているようだ。

 これならもしエドワさん達がワンニャンを特定しても手を出しづらそうだな。



「はい、到着しましたよ。ん? アパートの傍に怪しい奴がいるな。ちょっと安全が確認できるまで馬車の中にいてくれ」

 話しているうちにアリスさんのアパートの前に着いたのだが、アパート脇の花壇の縁にマントを付けた怪しい男が座っている。

 飲み屋のお客がアリスさんの自宅前で待ち伏せているという感じではないが、怪しい男であることには変わりない。

 

「あらぁ? あら? グラン君大丈夫よ」

 御者台を降りて男の方へ向かおうとした俺に、窓から顔出したアリスさんが声を掛けるのと、花壇に腰を下ろしていた男が立ち上がるのがほぼ同時だった。

「母さん!!」

 男が花壇からこちらに向かって駆け出した。

 あ、そういうこと。

 馬車のドアを開けて、アリスさんに手を差し伸べて声を掛ける。

「息子さん、元気に冒険者をやってるみたいだな」

「ええ、無事でよかったわ」

 そう答えたアリスさんの表情は、里帰りした時に見たお袋の表情と似ていた。




 この三日間、予定外の夜の仕事を引き受けてトラブルにも巻き込まれたが、ワンニャンにお爺さんにアリスさんに、ちょっと嬉しい気分を分けて貰えた気分になった。




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