第355話◆ネコチャンダカラシカタガナイ

「オヴィンニク? んぬ……聞いたことない名前の生き物だな?」

 ギルド長であるバルダーナすら知らない生き物らしい。

「なるほど、オヴィンニクか。他所から来た人は知らなくてもおかしくないか。オヴィンニクはこの辺りの昔話に出てくる猫のような妖精で、町の中でもたまに見かけることのあるやつだ。その目からは炎を出す事を考えると今回の状況と一致するな」

 猫のような妖精!

 なんとなくメルヘンで可愛い妖精を連想するな!?

 目から炎を出すという事は、魔法よりブレスに近いものか。それなら発動するまで全く魔力を感じなかったのも納得できる。


「ああ、地域系の妖精か……、伝承関係は専門外だから不勉強だったな。ピエモン周辺は妖精が多く住んでいると聞いていたが、今回のは妖精の仕業か」

 バルダーナが決まり悪そうにボリボリと頭を掻いた。

「畑が近い場所だし、その可能性が高いかな。オヴィンニクは食糧倉庫、主に穀物が保存されている倉庫に好んで住み着く妖精で倉の守護者とも言われるのだが、少々気性の荒い妖精でなぁ。倉庫を守ってくれるのだが、気に入らないことがあると自分の守っている倉庫も燃やしてしまうって言われてるんだ。ほら、この町の農家の倉庫って、だいたい母屋とは別に立てられてる石作りの建物が多いだろ? それはオヴィンニク対策なんだよ」

 あー、言われてみるとうちの倉庫も、母屋とは距離は近いが別棟で燃えにくい石作りだな。

 残念ながらうちの倉庫にはそのネコチャン妖精は住み着いていないけれど。いや、気に入らないと自分の住んでいる倉庫を燃やす妖精は、ネコチャンでもちょっと困るな?


「つまりのあの男達は、そのオヴィンニクっていう妖精に何らかの理由で襲われたってことか?」

「まぁ、気性が荒いといっても縄張りの倉庫を荒らしたり、嫌がること

をしたりしなければ人間なんて無視だからねぇ。状況からしてオヴィンニクの住み着いてる倉庫に盗みに入って逆鱗に触れたんだろうな」

 バルダーナの質問に答えるエドワさんは少し困り顔だ。

「妖精なぁ……、あまり悪さをするなら駆除するか町の外に追いやらないとならないんだがなぁ……倉の守護者かぁ。どうしたものかなぁ」

 男達を燃やしたのが倉の守護者と呼ばれる妖精と推測されて、バルダーナもやや困り気味だ。


 魔物避けが効かず町の中に住み着いている妖精を町から追い払うのは難しい。駆除する事はできなくはないが、妖精の類は他の生き物に擬態をするのが上手く、姿をくらますのも得意なものが多く狙って見つけるのはなかなか難しいため、時間も手間もかかってしまう。

 人間と全く価値観が違う妖精はどちらかといえば危険な存在ではあるが、あまり害のない妖精なら無理に駆除したり追い払ったりせず放置していることが多い。なんというか、交流の少ない少し変わった隣人みたいな存在である。

 しかも今回は非があるのは人間の方だろう。

「彼らが回復して話を聞いてからになるが、妖精に手を出して逆鱗に触れたのだとすると無理に探し出して追い払ったり駆除したりするのは手間がなぁ……被害者も彼らだけだし。うーん、他の無関係な住人に被害がないなら、相手は妖精だし正直なところ捜査は打ち切りたいところだな。実はオヴィンニクによる小火や襲撃事件は数年に一回くらいはあって、そのほとんどは人間がオヴィンニクが住んでいる倉庫を荒らした事が原因なんだ」


 話から察するにエドワさんはピエモンか、その付近の出身だと思われる。

 オヴィンニクという妖精の存在をよく知っているようだ。よく知っているから、男達を燃やしたのがオヴィンニクだとしても、それを無理に排除する難しさや性質を考えて悩んでいるようだ。

 きっとこの地方でずっと暮らしている人にとってはオヴィンニクは身近な妖精なのだろう。


「そのオヴィンニクとやらのおかげで、盗人が捕まったようなもんだしなぁ。おっと、まだ確定ではなかったな。うーん……念の為、夜の見回りは暫く増やしたままにして、今後オヴィンニクによる被害が出なければ警戒解除でいいか」

「そうだな。無関係の住人に被害があるなら困るが、そうでなければ無理に駆除する必要もないな。とりあえず、男達が話せるようになるまでオヴィンニクの件は警戒をしつつ保留しておこう。その間に、奴らが関係してそうな窃盗事件を纏めておくか」

 バルダーナとエドワさんの会話からは、妖精の相手するのは面倒くさいので、できれば触りたくないオーラが出ている。

 うん、わかる。妖精は妖精の価値観で動いているからな。人間の常識を当てはめる事はできないからな。

 それを無理に排除しようとすると、人間側の被害も大きくなる。できれば無理に触りたくないのが妖精という存在だ。

 ヨウセイダカラシカタガナイ。ツイデニ、ネコチャンダカラシカタガナイ。



「あ、アベルの事を忘れてた」

 そういえば雷魔鉱の粉が装備に付着するのを嫌って、路地の奥の方へ行ったアベルをすっかり放置していた。

「静かだと思ったら、アイツはどこまで離れたんだ?」

「路地の奥の方に行ってたからその辺でフラフラしてるのかな? 現場検証がもう終わりなら、アベルを呼びに行ってくるよ」

 事情も話し終わったし、現場の検分も終わって昨夜の炎の主もほぼ特定したし、もう俺にできることはない。

 アベルの事だ、何か興味を引くものを見つけてフラフラと釣られて漂って行ってしまったのかもしれない。

 気配を探れば路地を抜けた先にいるようだ。

「ああ、残りはもうこっちの仕事だからグラン君達はそのまま帰って大丈夫だよ。協力ありがとう、おかげで速やかに事後処理ができそうだよ」

「いやいや、俺はほとんど何もしてない気がする。じゃ、アベルと合流してそのまま帰るよ! お疲れ様でした!」

 事情を説明してオヴィンニクの毛を見つけたくらいだけれど、エドワさんの観察力なら俺が見つけなくてもすぐに見つけていただろうな。


 バルダーナ達のいる場所から離れ、アベルの気配のする路地の先へ向かう。

 ん? アベルと一緒に何かいるな? 何か小さな気配?

 やましいことはないのだが、なんとなく隠密スキルで気配を消してそっとアベルのいる方へと足を進めた。

 アベルがいたのは路地を抜けた先の裏通りを進んだ場所。

 民家や小さな店が並んでおり、建物の前には道にはみ出すように看板や植木鉢、箱などがゴチャゴチャと置かれ、まさに地元民しか来ない裏通りといった雰囲気である。


 そのゴチャゴチャと置かれている箱や植木鉢の陰からアベルのローブの裾がはみ出しているのが見えた。

 ん? しゃがみ込んで何をやってるんだ?

 障害物の陰になって見えない場所が見える角度にコソコソと移動してみると、しゃがみ込んだアベルの前にずんぐりとした黒い長毛猫がおすわりをしていた。

 いや、猫じゃない先日のワンニャンだ。

 アベルはそのワンニャンの前に座り込んで、冒険者がよく持ち歩いている携帯用の干し肉を指で摘まんでピロピロと振っている。

 ワンニャンがその動きに合わせて首を動かして、シュッと前足でその肉をアベルの手から奪い取った。

 アベルが動物を構っているなんてものすごく珍しい。もしかして猫が好きなのか? ネコチャンナラシカタガナイ。


「猫なのになかなかいい反射神経だね。まぁ、妖精みたいだからそんなものか。橙色の目がガーネットみたいで綺麗だねぇ、今そこに冒険者ギルド長が来てるから、それを食べたら見つかる前にちゃんと住み処に帰るんだよ」

 猫は反射神経いいものだろ!? というかそいつは猫に見えるが犬だ……って妖精!?

 今、妖精っつった???

 アベルの言葉に動揺して思わず隠密スキルが途切れてしまった。


 少し離れた所から見ていた俺の気配に気付いてワンニャンがパッと顔を上げ、アベルにもらった干し肉を咥えたままピョンピョンと近くに置いてある物や建物から飛び出している物を足場にして、一瞬で屋根の上まで上がってしまった。

「あっ! 逃げちゃった……って、グラン!? いつからそこにいたの!?」

「いや、今来たところ? アベルが動物を構ってるって珍しいな」

「な!? 見てたの? 全然気付かなかったけど気配を消していたの!?」

 アベルが俺に気付いて慌てて立ち上がり、少し決まり悪そうに目を泳がせている。

「猫ちゃんは可愛いから仕方ないな」

 猫なのは見た目だけで実は犬……いや、アベルは妖精だと言っていた。

「そ、そうだよ、見た目が猫だから仕方ないよ。猫なのは見た目だけで本当は妖精みたいだけど、悪い子じゃないみたいだからね。オヴィンニク――倉の守護者だって」

 アベルが妖精と言っていたことで、すでになんとなくそんな気はしていた。


「それになんか変な称号があるんだよね。"家出妖精"だって、どこから来たんだろうねぇ。この妖精には家族がいるのかな? それとも妖精って知らずに誰かが飼っていたのかな? 俺が見つけた時もそこの植木鉢で寝てて、近所の人もあまり気にしてないみたいだったし、この辺りで地域猫として生活しているのかもしれないね」

「ああ、向こうの畑がたくさんある辺りに住んでいるお爺さんちの倉に住み着いてたって聞いたな。特徴的な奴だから多分間違いない。おーい、ワンチャン、お爺さんが心配してるって聞いたぞ、そろそろお家に帰らないのかい?」

 人間の生活圏で暮らしている妖精なら、人間の言葉は理解できるのではないかと話しかけてみた。

 屋根の上から俺達を見下ろしているワンニャンのフサフサの尻尾がゆらゆらと揺れている。


「ワンッ!!」


 犬の鳴き声で鳴いて、ワンニャンが俺の方へ向かって屋根から飛び降りてきたので、それをスポッと腕で受け止めた。

「え? ワン!? え? 猫なのにワン!? 妖精なのはわかるけど違和感しかないよ!!」

 ワンニャンの鳴き声を聞いたアベルの反応はすごくわかる。

 俺もビックリしたし。


「ほら、お爺さんちに入った泥棒は回復したら治安部隊に捕まって罰を受けることになるから、もう安心して家に帰っていいぞ」

 そう話しかけるとワンニャンの耳がヘニョリと下がった。

 何だろう、帰りたくないのかな? いや、これは困っている感じか?

「うーん。家出してここにいるのなら理由があって帰りにくいんじゃないかなぁ?」

「そうなのか? でもお爺さんがワンニャンがいなくなって落ち込んでるみたいだから、帰れるなら帰った方がいいぞ?」

 ワンニャンの橙色の目が尻尾の動きに合わせるようにゆらゆらと揺れている。

「家出した後ってなかなか自分から帰りにくいんだよねぇ。どうせ用事がないし一緒にそのお爺さんちに行ってみる?」

 アベルが珍しく動物にあまいな!?

「そうだな、一緒にお爺さんとこに行ってやるから、無事な姿を見せて安心させてやれよ」

「……ワンッ!!」


 少し悩んだような間のワンニャンの返事は、やっぱり犬の鳴き声だった。


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