第337話◆閑話:都会育ち魔導士の魔境探索・参 

 そりゃ実家にいる頃は、兄や使用人達が過保護だったし、離宮からほとんど出なかったから世間知らずだったけれど、冒険者になって色々な場所を回って、町の中にいるだけでは知る事のできないたくさんの事を知った。

 貴族として受けた教育と、冒険者として各地を巡って身に付けた知識は、自分で言うのはアレだけれど、同世代の貴族と冒険者の知識を足して、更にそれ以上はあると自負している。

 なのになんで!? なんなのこの山!?


 見た事もない魔物がひょっこり現れたと思うと、ガロが話しかけてだいたい解決してるけど!?

 時々ガロが「コイツはダメだ」って言った魔物が問答無用で襲いかかって来て、それを倒すくらいだけれど、そいつらB……いやA-くらいありそうだよね!?

 下手なダンジョンのフロアボスより強いよね!?!?

 しかもガロの弓もなんなの? なんで弓で射ったのに、殴ったみたいに魔物が吹き飛ぶの!?

 村の狩人秘伝の技? グランは村を出たからやり方を知らない?

 うん、俺、武器の事はよくわからないからね、言っている事もよくわからないや!!


 それにその猪、ただの猪の魔物だと思ったら身体強化みたいなスキルを使っているよね?

 アーマーベアも使っていたやつ。そうそう、そのなんか体から湯気みたいなオーラ上がるやつ。

 え? この辺りでアーマーって名前が付く奴はだいたい使う? 

 究理眼で覗いてみたら、闘争本能って見えたよ? 意味がわかるようでわからないな。

 なんなの、この山とそこに住む人達と生き物!!

 俺の知らない事と非常識だらけだよ!!






 で、最後に到着したのが高い崖の下。

「ほら、あそこに咲いてる白い花。あの花の根は体力の回復効果があるんだ。病み上がりに煎じて飲むと、風邪がぶり返しにくくなる」

「へー、じゃあ俺が転移魔法で花のとこまで行って取ってくるよ」

 ガロが指差した先は崖の真ん中辺りに密集して咲く白い小さな花。

 埋まっていて全体の形がわからないので、肝心の根の部分をスナッチで手元に寄せる事はできないが、目視範囲なので空間魔法のワープで行く事ができる。

「あー、それはやめた方がいいかも。この崖の上は山の主の縄張りだから、近くで魔法を使うと気付いて、俺達を追い払いに来るかもしれない。バレないようにこっそり登って採るんだ」

「ええ……、山の主ってあのヤバい赤い熊だよね?」

「ああ、縄張りに入ったり、縄張りの近くで騒いだりしなければ、見逃してくれるから、俺がそーっと行ってくるよ」

「崖を登るくらいなら俺でもできるから、俺が行くよ」

 ここまでほとんどガロ任せだったから、グランへのお土産を一つくらい自分の力で手に入れたい。

「じゃあまかせた、そーっと行けば大丈夫だから、でもやばそうだったらすぐに降りてこいよ」



 崖を見上げ、その岩肌に手をかける。

 魔法が便利なので、体力を使う作業はあまり好きじゃないけれど、全部ガロ任せなのは悔しいから。

 グランは俺の事を体力のないヒョロヒョロって言うけれど、これでもグランより二年も長く冒険者をやっているし、俺の方がAランク歴も長いからね。

 ドリーと一緒の時はだいたい筋トレに付き合わされるし、崖を少し登るくらいの体力はあるよ。


 僅かな出っ張りを足場に頭上の岩に手を伸ばし、垂直に近い崖を登っていく。

 ボコボコとした岩肌は、きっとグランなら、サルみたいにひょいひょいと登ってしまいそうだ。

 俺はか弱い魔道士だから、魔法を使わないでこんな壁みたいな崖を自力で登るのは少しキツい。

 そんな事を考えながら慎重に、花のある場所を目指す。


 万が一、落ちたとしても着地直前に魔法を使えばいいのでそれは怖くない。

 崖の下なら魔法を使って、あの熊が出てきたとしても、すぐに転移で逃げる事ができる。

 それより、思ったより崖を登るのが辛くて、腕が痛くなってきた。

 もう少しで手を伸ばせば届きそうだから、ちょっとくらい魔法で行ったらダメかなぁ?

 ちょっとくらいと思って、ほどよい転移先の足場を探して視線を巡らせていると、明るい陽の光が大きなものに遮られたように俺の上に影が落ちた。


 ゾクリ。


 気配すら感じていないのに、背中が粟立った。

 いる。


 ゆっくりと崖の上に視線を移すと、赤い毛をした巨大な熊の顔がこちらを見下ろしていた。


 山の主!?

 なんで!? 魔法は使っていないのに!!

 それに、もう少しで花の場所まで行けるのに!!

 せっかくここまで来たのに、しかしあの熊に近付きすぎるのは絶対にまずい。

 明らかに格上の相手。

 下手をすれば一瞬で狩られてしまう。


 ここで諦めるしかないようだ、そう思って素直に下がろうとした時、赤毛の熊と目が合った。

 黒だと思っていたその瞳は、差し込む陽の光でやや鳶色かかって見えた。

 豊かな山の土の様な色をしたその瞳が、伺うように……いや、まるで俺の次の行動を見極めるように、まっすぐにこちらを向いている。


 その瞳には殺気は感じない。

 殺気どころか山の一部であるように気配すらも感じない。

 だがそれは、俺の行動次第ですぐにそれは殺気に変わるだろう。


 目の前にいる強大な存在、一歩間違えば一瞬で狩られる状況のはずなのに、その場から動く事も、その目から視線を外す事もできなかった。

 そんな状況だが、不思議なくらい恐怖を感じない。

 ただ、深い山の中にいる様な気分にさせられた。

 恐ろしい存在のはずなのに、全く嫌な感じがしないどころか、その鳶色の瞳に温かさすら感じる。

 いつの間にか緊張がほぐれ、無意識のうちにその鳶色の瞳を見入ってしまった。


「あの……、グランが風邪を拗らせてるんだ。その花を一つ貰ったらダメかな?」

 意識をしたわけではなく、ただ自然に言葉が口から出ていた。

 グランが魔物に話しかけている時は、こんな感じなのだろうか。

 グランならこういう時どうするのかな。

 あ、そっか、争うつもりがないのなら、グランがいつもやっているように取り引きをすればいいのかな。

「えっと、これは王都のダンジョン産のハチミツ! これと交換!! ダメ?」

 片手で崖に貼り付きながら、収納空間の中からハチミツの入った瓶を出して、赤い熊に見せるようにそれを掲げた。


 ヒュッ!!


 手に持っていたハチミツ入りの瓶が突然消えた。

 その直後、崖の上にいた熊がクルリと向きを変え、その奥へと消えて行った。

 やった、取り引き成功かな!?

 時間にしてほんの一分くらいのはずなのに、すごく長い時間が過ぎた気分だ。


「ありがと!」

 熊が消えた崖の上に向かってお礼を言う。

 しかし油断はしてはいけない。

 取り引きは成功したかもしれないけれど、ただの気まぐれの可能性もあるからね。

 慎重に花の根を回収して帰ろう。





「ふおおおおおおお!! 山の主と取り引きしちまったぞ!! 主の姿が見えた時はどうなるかと思ったが、お前なかなかやるな!! もしかして山の主は面食いの雌……」


 パラッ!


 崖の上の土が少し崩れて落ちて来た。

「ひえ……、騒いでると山の主が怒りそうだし、帰るか!!」

 主が怒るとしたら、ガロの不敬な発言じゃないかな?

 

 白い花を一株、根っこごと抜いて崖の下に降りて来ると、下で待っていたガロがものすごく興奮した口調で迎えてくれた。

 ガロが興奮しすぎて大きな声を出すから、山の主が戻って来たっぽいけれど。

 主と対峙した俺より、ガロの方が興奮してしまっている。


「そうだね、他にまだ行くとこあるの?」

「うーん、とりあえず風邪に効きそうなものはだいたい回収したかな。帰りにサルからバーデの実を回収したら終わり。ところで山の主に何を渡したんだ?」

「ダンジョンで採って来たハチミツ? 採取作業をしたのはほとんどグランなんだけど、俺もハチ避けを少し手伝ったし?」

 だいたいカリュオンがハチにたかられていたのを見ていただけだけど。

 山の主は熊だからハチミツが好きかなーって思って差し出した物だったけれど、ハチミツで納得してくれてよかった。

「ハチミツかー。しかし、すげーな、アイツはグランですら、ガキの頃に突っぱねられて死にかけたって言ってたのにな」

「へー、そうなんだ。ハチミツが好きなのかな? また来る事があったらハチミツを持って来ようかな」

 グランが餌付けできなかった山の主と取り引きできたのは、なんだかちょっと嬉しいな。

 うん、また機会があったらハチミツを持って来ようかな。ハチミツ以外だと何が好きなのかなぁ。

 グランが魔物を餌付けする気持ちがわかった気がするな。

 すっかりグランとその故郷の影響を受けてしまったようだ。


「ハチミツというよりやっぱ面く……いてっ!! いててててててっ!!」

 ガロが何かを言いかけた時、崖の上から突然バラバラとクルミが何個も降ってきて、そのうちのいくつかがガロに当たった。

「クルミ? 山の主がくれたのかな? ありがたく貰ってグランに自慢しちゃお。ありがと!」

 落ちてきたクルミを拾い集め、崖の上に向かって礼を言う。

「グランもおかしいけど、お前も大概だな!!」

 失敬だね、グランやグランの故郷ほどおかしくないよ!!



 ホント、グランの故郷は不思議な所。

 強い魔物がたくさんいて、その中には人間の力が遠く及ばない存在もいる魔境みたいな場所。

 だけど何故か穏やかな空気が居心地のいい場所。


 放っておいたらグランはまた何年も里帰りしないだろうし、仕方ないから俺が時々連れて来よう。

 少し怖くてのどかな、常識の通じない魔境。

 俺はこの山の空気は嫌いじゃない。


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