第332話◆山の主
俺の目の前には厚さのある石の壁。その高さは俺の身長よりも高い。
ダンジョンのボスを隔離するのにも使ったこの壁は、大型のアーマーベアでも簡単には破壊できないはずだ。
アーマーベアが俺に攻撃する為にはこの壁を越えなければならない。
つまりその瞬間、大きな隙ができる。
頭部から背中、前足、胸は鎧のように硬いが、それ以外の部分は硬い熊の毛皮と言っても、ミスリル製の刃物なら切り裂けるはずだ。
しかもある程度高さのある壁だ、乗り越えようとすればアベル達の位置からは、脇腹が狙える。
ガリッ!!
斜面を駆け下りてきたアーマーベアが目の前の壁に飛びつくように前足をかけ、鋭く大きな爪が石壁をひっかく音がハッキリと聞こえた。
少し開いた口から獣臭い息を吐きながら、壁を乗り越えようとするアーマーベアの顔がこちらに近付く。
石壁から乗り出した熊の鼻先を狙って、浅く斬りつけた。
それは予想通り、顔を上に向けて躱されたが、それで顎が見えた。
今だ!!
見えた顎の奥、喉を狙って踏み込みながら、返す剣で深く斬りつけた。
手応えはあったが、大型の熊の毛皮はやはり硬い。
喉から血が出ているが、たいしたダメージではないようだ。
しかし、それでアーマーベアは怯んで、無理に壁を乗り越えようとするのは諦め、後ろに下がろうとした。
その顔面、目を狙って大きめのスロウナイフを投げつけた。
俺の投げたナイフはアーマーベアの右目に刺さり、アーマーベアは仰け反るようにして石壁から離れた。
そのアーマーベアの腰の辺りに、左右からワンダーラプター達が後ろ足の鍵爪を突き刺すように張り付き、硬い表皮に覆われていない前足の脇に噛みついた。
ワンダーラプター達は随分強くなっているが、それでもアーマーベアの方が格上である。
素早さと攻撃力は高いが、防御面はやや心許ないワンダーラプターは、大型のアーマーベアの攻撃を受ければ一撃でも重傷を負ってしまう。
アーマーベアが後ろ足で立ち上がり大きな体を振るって張り付いているワンダーラプター達を振り落とそうとしている。
「あんま、無茶するなよー!!」
ワンダーラプターの張り付いている場所は背中から脇にかけてなので、噛みつかれたり前足で殴られたりするような場所ではないが、体格差があるので見ていてハラハラする。
「君達もう離れていいよ!」
アベルの声がして、ワンダーラプター達がパッとアーマーベアから離れた。
「これだけ雨が降って濡れてたら、氷魔法の威力も上がるんだよね」
アベルが腕をヒュッと振ると、立ち上がったアーマーベアの後ろ足の下に溜まっている水が凍り始め、雨で濡れた熊の体の方へとピキピキと音をさせ、成長するように厚さを増しながら氷が広がっていく。
氷は立ち上がったアーマーベアの腰の辺りで止まり、アーマーベアはその体勢のまま動きが制限された状態になった。
「助かった! グラン、下がれるか!? 後は任せてくれ!!」
ガロの声が聞こえてそちらを振り返ると、弓を構えた村人達が身動きが取れなくなった、アーマーベアに矢を放とうとしていた。
アベル達の方へ戻ろうとすると、一号がピョンと石壁を飛び越えて俺の所にやって来たので、その背に乗って石壁から離れると、ピュンピュンという音と共に矢がアーマーベアに降り注ぎ、その最後にガロの放った矢がアーマーベアの喉元に深々と刺さるのが見えた。
「やったか?」
俺がワンダーラプターに乗ってアベル達の所に戻ったのと、最後の矢を放ったガロが弓を下ろすのがほぼ同時だった。
「いや、まだ生きてるよ。あの硬い鎧みたいな部分もあるし、あの大きさだと毛皮も分厚そうだし、まだ生きてるよ。でも、俺がとどめを刺しておくよ」
弓を下ろしながらも、警戒をしたままアーマーベアから目を離さないガロにアベルが警告して、右手を軽く振るった。
村の者達からしたら自分達の力でとどめを刺しに行きたいところだろうが、崖崩れの復旧作業中で狩りの為の装備ではない今、あのでかいアーマーベアを手早く倒すのは難しい。
戦いが長引けば、追い詰められた獣は何をするかわからないし、もし逃げられたら傷が癒えた後、復讐に戻って来る可能性が高い。
人間の領域に踏み込み、人間に手をだした魔物はきっちり仕留めておかなければ、今後、犠牲者が出てしまうかもれない。
アベルの周囲に次々氷の矢が浮かび、その先端は全てアーマーベアの方へと向いている。
あまり大きな魔法を用意する時間がなかったのだろう、見慣れた氷の矢の魔法だ。
威力は高くないが、数でごり押せばいけるか?
俺もダメ押しで大弓の矢を叩き込むか?
そう思ってワンダーラプターを降りて、剣をしまい弓を取り出そうとした時、アーマーベアが咆吼を上げた。
直後、アーマーベアの下半身を捕らえていた氷がパリンパリンと砕け散ちり、アーマーベアは前足を地面に下ろした。
アーマーベアの体から、白い湯気がシューシューと上がっている。
今の咆吼は身体強化系のスキルを使ったのか?
「くそ、まだあんな力が残ってたのか!」
アベルの周囲に浮かんでいた氷の矢が、アーマーベアの方へと飛んで行くが、前足を地面についている体勢では柔らかい部分は狙い難く、氷の矢は鎧状の部分に当たって次々と砕けた。
ガロ達が再び弓を構え、俺も一度収納に収めたロングソードを取り出した。
コレはいつものように俺が前に出て、引きつけている間にアベルが大きい魔法を用意するのがいいか?
いや、村の狩人達は弓がメイン武器だ、俺がアーマーベアに貼り付いてしまうと弓が使い難くなるな?
その上、俺もかなり魔力を消耗した状態なので、いつものように効果の高い身体強化を長時間垂れ流すのは厳しい。
悩みながら、魔力回復用のハイポーションを追加で飲んだ。
それでも、この場にいるメンツで防具がしっかりとしていて、アーマーベアを引きつけられそうなのは俺だけだ。
俺が前に出るしかない。
剣を握り前に出てアーマーベアと睨み合った。
魔力の残りを考えると、ギリギリまで身体強化は発動しない。
奴が動いた瞬間、俺も身体強化を発動するつもりだ。
崩れた土砂で悪い足場を踏みしめて、アーマーベアから目を逸らさずジリジリと前へ出る。
上手く立ち上がらせられれば、鎧のない部分にガロ達やアベルが攻撃を撃ち込んでくれるはずだ。
まだ、こちらの方が有利である事には変わりない。
そして、アーマーベアが動いた。
「逃げた!!」
クルリと向きを変え、斜面を上へと駆け上って行った。
「逃がすのはまずい!!」
ガロを筆頭として村人達が弓を放つが、打ち上げる形になるので威力が落ち、鎧ではない部分ですら矢が弾かれてしまう。
アーマーベアの体からは湯気が未だ上がっており、おそらく身体強化状態だと思われる。
「逃がさないぞ!」
一号を呼んで、その背に飛び乗りアーマーベアの後を追う。
「俺も行く!!」
二号に乗ったアベルが俺の後に続いた。
「俺達も行くぞ!」
後ろでガロ達が猪を呼ぶ指笛が聞こえた。
アーマーベアが崖を登りきり、その姿が上に見える山の木の中に消えた時、ワンダーラプターの速度が突然落ち、戸惑った素振りを見せた。
「グエ……」
「ギョ……」
山の側面が崩れた急な斜面な為、駆け上る勢いが足りないと登りきれない。
「どうしたの? がんばって」
「いや、下がるぞ!! 全員下がれ!! アベルもだ!!」
アーマーベアの気配を見失わないように、山の上の気配に集中し、そして上にいるものに気付いてすぐに叫んだ。
すぐにワンダーラプターの向きを変え崖の下へ急いで降りる。
「え? 何!? うわっ!?」
俺とアベルが向きを変え崖を下り始めた直後、頭上の山の中から赤い大きな塊が、空気を切る音を立てて山の中から飛び出して来て、そのまま崖の下へと落下していった。
飛び出してというより、何か強い力に吹き飛ばされてが正しい。
落ちて行ったのは、先ほど逃げたアーマーベア。
斜面を下りながら、積もった土砂の上に叩き付けられた赤毛の鎧熊を見ると、頭から肩にかけてグシャリと潰れ、そこから流れ出た血が地面を赤黒く汚している。
アーマーベアの頭が潰れたのは、落下のせいではない。
崖の上に逃げたアーマーベアを吹き飛ばしたものの仕業で、それはアーマーベアの死因である。
俺達が倒しあぐねて、逃がしてしまったアーマーベアを一撃で屠った存在。
崖の下まで降りて上を振り返ると、燃えるような赤毛の巨大熊が崖の上からこちらを見下ろしていた。
「アベル、絶対覗き見するなよ。アレはまずい」
「うん、わかってるよ」
押しつぶされるような威圧感。そして、でかい。
朝、アメンボウが化けていた熊にそっくりだが、大きさはそれより大きく、その威圧感はSランクの魔物で間違いないレベルだ。
「アベル、ここにいる全員を転移できるか?」
「近くまで来てくれないと無理」
村人達の位置は散けている。このままではアベルの転移魔法で、全員逃げる事はできない。
どうする?
「大丈夫だ、刺激しなければアレはこっちにはこない。武器を下ろしてくれ、そうすればアイツも引くはずだ。アベルも魔法は使わないでくれ」
近くにいたガロがパカパカと猪をこちらに寄せ、小さな声で囁いた。
この村でずっと暮らし、狩人として山の事情をよく知っているガロがそう言うのなら、それに従う方が正しい。
ガロの言葉に従って武器を収納に戻し身体強化を解き、俺の横にいるアベルも魔法を使う構えを解いた。
周囲を見れば村人達も全員武器を下ろしている。
この場にいる人間が全員、臨戦態勢を解いたのを理解したのか、影の上の赤毛の巨大熊が咆吼を上げ、周囲の空気が震えた。
肌が痛くなる程、空気を震わせた長い咆吼が終わると、赤毛の熊はまるで山に溶け込むように、木々の中へと消えて行った。
不思議な事に、あの巨体が移動して行ったというのに、山の木々は倒される事なく、ただザワザワとその葉を揺らしているだけだった。
「ふいいいいいいいい、相変わらず山の主はおっかねえええええ!!!」
赤毛の巨大熊が山の中へ消えたのを確認して、ガロが大きなため息を吐いた。
「アーマーベアをやったのは、でかい赤毛の奴だよな? 何故そんな事を」
熊は群れを作る生き物ではないし縄張り意識も強い生き物だが、何故わざわざあのアーマーベアを殺したのか。
「奴は山の上の奥を縄張りにしている主だが、積極的に人間の領域を侵す事はない。同時に人間に自分の領域を侵される事を非常に嫌っている。あのアーマーベアが人間に喧嘩を売って、山奥に逃げたとなると俺達も奴を探しに山に入る。そうすれば奴の縄張りの近くを人間がウロウロする事になるし、魔物の縄張りの近くで人間がウロウロすれば魔物達も無駄に刺激されて争いも増え、激化すれば主同士の争いにもなるからな。こっちの主はオミツキ様だし、無駄に争うのを嫌って、その原因をこちらに渡すからそれで手打ちにしろって事だろう」
人間との無駄な争い、そしてオミツキ様との衝突を避ける為に、人間の領域を侵した存在が自分の縄張りに逃げ込んで来る事を拒否したのか。
あのサイズのアーマーベアを一発で沈め、尚且つ他の主や人との無駄な争いを回避するだけの知能を持つ熊。
俺がガキの頃に見たアイツが、未だ山の主として健在な理由がわかった気がする。
「なるほど、あのアーマーベアの行動は、自分には関係ないという証明? 関係ないから領域を侵した奴は引き渡すって事か。魔物なのに、人間の外交みたいな事をするんだね。それだけの賢さがあって、あの雰囲気だと、もしかするとあの熊は神格持ちかもしれないね。やっぱりグランの故郷は魔境じゃないか」
ガロの話を聞いたアベルが興味深そうな、そして感心した表情をしながら山の上を見上げている。
「魔境? いやいや、ただの山の中だよ。まぁ、アイツがいなかったら、もっと山の中は無法地帯だったと思うぜ? そう思うとおっかないけど、ありがたくはある存在だよ」
「そんなのがいる場所が、ただの山の中ねぇ……グランの常識が少しずれてる原因がわかった気がするよ」
なんか、こっちに飛び火して来たぞ!?
「そうそう、ただの山の中の平和な村だよ、な?」
「おう、慣れたらあんま気にならなくなるぜ?」
そう言ってガロと肩を組むと、アベルが呆れた表情でため息をついた。
ちょっと、人と魔物の距離が近くて、満ちあふれている自然と共にある平和な村――それが俺の故郷だ。
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