第326話◆滝の上の者

「ふはははははは、食らえ! 水遁の術!!」

 手のひらを交叉させるように合わせ、キュッと力を入れて左右の手のひらの間の空間を狭めると、左右の親指が重なった隙間からピューッと水が飛び出して一号の鼻先にかかった。続いて二号にも同じように水を飛ばす。

「グゲゲー」

「ギャフフー」

 俺に水をかけられたワンダーラプター達が、水の中で跳ねてバシャバシャと飛沫を上げ、それが水辺にいるアベルの方にも飛び散っていく。

「グラン、こっちまで水が来てる……えっ!? ちょっと、ぶあっ!?」

 アベルがそれを薄い魔法のヴェールで防いでいるところに、勢いよく水鉄砲が放たれた。

「トカゲ君、ナイスだ!!」

 水鉄砲の主は、滝壺の主のずんぐりトカゲ君である。


 滝壺少し下流の水深の浅い場所でワンダーラプター達と水遊びをしていると、気付けばずんぐりトカゲ君も加わって、楽しい水の掛け合いになっていた。

 後でアベルに乾かしてもらうつもりで濡れ放題だ。

 滝壺住みのずんぐりトカゲ君の口から水鉄砲は中々強力である。それでも滝壺の主っぽい事を考えると、きっとかなり手加減をした水鉄砲なのだろう。

 アベルは濡れない所から、魔法で水をバシャバシャと操っていたが、それに気付いたトカゲ君がアベルに向かって水鉄砲を放って、アベルもいい感じにびしょ濡れである。

 まぁ、晴れていて暖かいし、冷えて来る前に乾かせばいいからな!!


「もー、びしょ濡れじゃないか!」

 水をしたたらせたアベルがプリプリと怒っている。

「天気もいいし気持ち良いだろう?」

 俺なんかもう全身ずぶ濡れだ。アベルに乾かして貰えなかったら、服が体に張り付いて動きにくいし、風邪もひきそうだ。

「綺麗な水だし、天気も良くて気持ち良いけど……あっ!!」

 油断しているアベルに、二号がバシャリと後ろ足で水をかけた。

「ギョッギョッギョッギョッ」

 あーあ……、日頃ちゃんと世話をしていなかったし、今日もチクチクお説教していたからな。

「もう、許さないからね。君にはどっちが上かわかってもらうよ!!」

「ギョ、ギョエー!?」

 あー、二号が逃げようとしているけれど、手遅れだな。

 闇属性の魔力でできた黒い小さなナイフが、二号の影に刺さっているな。

「さぁ、もう逃げられないよ」

 川の水がブワッと盛り上がって波になって二号の方に押し寄せて来た。

 うげ、俺も巻き込まれるじゃん!?

「助けてトカゲ君!!」

 収納の中にあった適当な川魚を、トカゲ君のいる水中に放り投げると、トカゲ君はのそりと動いてそれを受け取って尻尾をピロピロと振った。

 直後、トカゲ君の周りから波紋状の波が起こって、アベルの起こした波とぶつかった。


 バッシャーーーーーーッ!!


 何となく、そうなるんじゃないかなぁって思っていたが、二つの波がぶつかって弾けて、水しぶきが高く上がり俺達の上に降り注いだ。

 全員ずぶ濡れである。

 すでに濡れていたから、あんま関係ないかー。


 巻き上がった水しぶきがキラキラと宙を舞い、水辺に小さな虹ができる。

 なんとも、平和で穏やかな午後の光景である。

「もー、終わり! グランもあんまり濡れたままでいると風邪をひくから、ほどほどにしときなよ」

 あーあ、アベルが拗ねてしまった。

 日が当たる場所は暖かいが、水はまだ冷たい、あまり長時間水に浸かっていると風邪をひきそうだし、俺もそろそろ戻るか。

「おう、そろそろ俺も上がるか。お前達はまだトカゲ君と遊んでていいぞー」

 水から出て、日の当たる場所に腰を下ろし、濡れた装備をバタバタと振るう。

 水場での活動もあるので、装備は濡れてもある程度ならすぐに乾くように付与がしてある。

 結構ガッツリ濡れたから、やっぱ湿っているな。やっぱアベル大先生にお願いしよう。

 

「グギャー」

「ギャギャギャ」

 ワンダーラプター達も水から上がって、日なたでゴロンと転がった。

 ワンダーラプターの天日干し、気持ち良さそうだな!?

 見れば、トカゲ君も日の当たる浅い場所で、水中ひなたぼっこに戻っていた。

 この滝壺から少し奥へ行けば、強力な魔物が闊歩する場所だとは思えない、のんびりとした光景である。




「ふぇっ……ぶしょんっ!!」

「ほらー、水遊びにはまだ早い季節だよ」

「お、おう。水から上がったら急に寒く感じるようになったな」

 日差しは暖かいのだが、風が吹けば水と共に体温も攫って行かれる。

 アベルが呆れながら、俺を魔法で乾かしてくれている。気分は丸洗いされた大型犬。

「まだ早いけどそろそろ戻る? 夕方には雨になるんでしょ?」

「ああ、そうだなぁ。のんびりワンダーラプターで帰っても、夕方前には村に着きそうだし、ぼちぼちとワンダーラプターで帰るかー」

 せっかく、田舎に戻って来たのだから、懐かしい景色をもう少し見ておきたい。

「転移魔法で帰ればすぐなのにー、でもこの山は知らない生き物だらけだから、散策しながら……え?」

「なっ!?」


 不意に息が詰まりそうな威圧感のある気配を感じ、背中に鳥肌が立った。

 これはけっして冷たい水で遊んでいたからではない。

 アベルも俺のすぐ横で、言葉を失っている。

「グラン、転移するよ」

「いや、大丈夫だ。たぶんここには来ない」

 トカゲ君が寝ていた場所に目をやると、すでにそこにトカゲ君の姿はなく、何かを警戒するように滝壺の深い場所を、クルクルと輪を描いて泳いでいる姿が見えた。

 見上げた滝壺の上で、大きな黒い影が、流れ落ちる滝の水に映り、ユラリと揺れたように見えた。


「上にいる奴、やばい……すごく強そう」

「ああ、おそらく滝上を縄張りにしている奴だ。騒いでたから様子を見に来たのかもしれないな。ここはトカゲ君の縄張りだから、きっとここには来ない」

 いくら地上では強い魔物でも、水のある場所では水の中に棲む魔物の方が有利だ。

 主クラスの魔物になれば、そのくらいはわかっている。わかっているから滝壺の主の縄張りには来ないはずだ。


 滝の上は人間が踏み込んではならない魔物の領域。人間とはわかり合えない魔物達の世界。

 無闇に踏み込めば、魔物の掟――弱肉強食の下、何が起こるかわからない。

 俺は一度、好奇心で踏み込んでその世界を間近で見た。

 今ならいけるとつい先ほどは思ったが、それはただの驕りだという事を突きつけられた気分だ。


 好奇心で踏み込んで、一度だけ目にした事がある。

 滝より上の山の主と思われる、燃えるような赤毛の巨大熊。

 この気配はきっとアイツだ。

 アイツはまだ、あの弱肉強食の魔物の世界でその頂点の座を守り続けていたようだ。


 人間の入り込めない自然の中には、当たり前のように人間より遙かに強い者が存在する。

 わかり合う事はなくとも、それぞれの掟の下に隣人として生き続けている。

 その牙が積極的に人間に向けられず、滅ぼし合わずに済んでいる事だけでも幸いである。



 随分長い時間が過ぎた気がする。

 だが実際には、ごく僅かな時間。

 滝の上から目を離せずにいると、その気配が遠ざかるのを感じた。

 こちらに興味を失ったかのように、気配は滝の上から離れ、空気に溶けるように消えていった。

 目には見えないが、巨大な熊がこちらに背を向け、ゆっくりと山の中へと帰って行く光景が思い浮かんだ。



「ふいいいいいいいいい……」

「やっぱり、グランの故郷って魔境じゃないか……」

 滝の上の気配が完全に消え、アベルと二人で大きく息を吐き出した。

 空を見上げれば、山の上の方から雲が近付いて来ているのが見えた。

「自然の中には人間より上の存在なんていくらでもいるもんだしな。奴が気が変わって戻って来ないうちに帰ろう」

 奴は来ないかもしれないが、奴に刺激された他の魔物が、山の奥から村の方へと移動してくるかもしれない。

「グエエ……」

「ギョヘ……」

 ワンダーラプター達も強力な魔物の気配に当てられたのか、困惑顔でこちらにやって来て鼻先を下げてすり寄ってきた。

「あのやばそうなのは、もうどっか行ったみたいだから大丈夫だよ」

 村に来てから調子に乗っていた二号も、しょんぼりしながらアベルの後ろに隠れようとしている。

 明らかにワンダーラプター達より格上の魔物だから仕方ない。

「さっきの奴に触発されて、上の方から危険な魔物が村側に来てないか、確認しながら戻ろうか。雨も降り出しそうだし軽く見回るだけだな」


 滝壺のあたりで泳いでいるトカゲ君に手を振って別れを告げ、周囲を警戒しながら村の方へと向かった。

 幸いあまり強い魔物とは遭遇しなかったが、それでも来る時よりも山に棲んでいる生き物達がザワザワとしている気配がした。


 村に到着する頃には空は雲に覆われ、小さな雨がポツポツと降り始めていた。

 今夜の雨は強くなりそうだ。



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