第311話◆夢に見たもの
悪天候で時々鳴り響く雷にちびりそうになったり、からくり時計の鳥の鳴き声でヒュンってなったりしたが、あの後は食事をしながらリリーさんの話も聞いた。
リリーさん曰く、禁書は完全なる誤解。
女性達の間で流行りのロマンス小説でも大人向けのものが、一部の女性達からはそう呼ばれているとかなんとか。
そう言われると、その禁書とやらをちょっと見せてとは言いづらいな。
アベルはそれでも禁書が諦めきれないようで、しばらく粘ってリリーさんと貴族っぽい押し問答をしていた。
やめて差し上げろ。リリーさんの言い分が本当だった場合、ちょっと男性には見せにくい本だろうし、そっとしておいてあげなされ。
まぁ、女性達の会話の中で出来上がってしまった隠語なのだろうが、こんな誤解を生んでしまって大事にもなるので、その言い方は少しどうにかした方がいいんじゃないかな!?
そんな女性達の噂話に釣られ、あの黒ローブ達はとんだ誤解で図書館強盗を働いてしまったのか? そんな事で犯罪者になるとか、哀れなやつらだ。
いや、あれはあの規模の図書館を手際よく制圧した事を考えると、慣れているプロの強盗団だろうな。使っている魔道具にも金がかけられており、やり口も大がかりだった。
おそらく母体は大規模な組織だと思われる。
あの幼女と職員に手引きされなければ、長引いて魔道具が爆発していたかもしれない。
図書館の主のような、七不思議親子だったな。初代館長なら図書館の主みたいなものか。
リリーさんが図書館にいたのは、新館側の名誉顧問だとかそういう理由で、たまたま本館に行った時に閉じ込められ賊に遭遇したそうだ。
賊も禁書と同時に、リリーさんの魔女の力に目を付けていたのかもしれない。
アベルの話では賊はプゥストゥイーニアの人間だと言っていたかな。
プゥストゥイーニアはシランドルの南の国だが、陸路で行くのは厳しく、船で海を越え、そこから更に国や山を越えた先にある砂漠の国。小規模な戦争が多発している地域の、きな臭い話が多い国だ。
国土のほとんどが砂漠の為、豊かな土地を求め周辺諸国を侵略する事のある国だと聞いている。国境を接している国ではなくてよかったな。
そんな国の奴らが、禁書を狙って図書館を襲撃したというのは真相は気になるが、後はお役所の仕事だ。
禁書を見たいだとか、見せるわけにはいかないだとか、しばらく押し問答をしていたアベルとリリーさんだが、途中からは魔法の話になり楽しそうに意見交換をしながら話し込んでいた。
俺は魔法が使えないからね。魔法の話を聞いていると自動的に睡眠系の状態異常にかかってしまうんだ。これは、装備品では対策できない非常に強力な状態異常なのだ。
まぁ昼間色々あったし、魔法の話で盛り上がる二人を残して、俺は先に休ませてもらう事にした。
そして、その夜、夢を見た。
夢、いや、まるで誰かの記憶を傍観しているような夢だった。
小さな女の子が、大きなベッドの上で分厚い本を広げて読んでいる。
絵など全くなく、黒インク一色で刷られ、小さな文字がびっしりと詰まった、子供が読むには難しく思える本だ。
女の子はその難しそうな本を熱心に見つめながら、時折明るい窓の外に目をやる。
窓の外では、女の子の兄弟や使用人の子供達だろうか、明るい日差しの中で楽しそうに遊んでいた。
女の子はそれを、表情を動かす事もなくただじっと見つめた後、再び本に視線を落とした。
生まれながらの難病で、彼女は他の子供達と一緒に外で遊ぶ事ができず、一日のほとんどをベッドの上にいた。
ベッドの上でできるのは、簡単な手芸や本を読む事。幼い彼女の指先は手芸が出来るほど器用ではなく、彼女にとっての娯楽は自然と読書になった。
それでも本を読めば、知らない事をたくさん知る事ができる。
自分の世界は部屋の中だけ。本を開けば、部屋の外、屋敷の外、国の外の事まで知る事ができる。
挿絵などほとんどない文字ばかりの本。難しい文字がびっしりと詰まっており、幼い彼女はその全てが読めるわけではない。
しかし、読める文字を集めながら、自分の知らない部屋の外の世界を想像する。
それが、その女の子の唯一の楽しみだった。
本を読む事しかできず、本を好きになる事しかできなかった女の子。
その父親は、女の子が退屈しないように次々と本を買い与え、部屋の本棚には本がどんどん増えていった。
本は大変高価なものだったが、女の子の家は金のある貴族家で、彼女の父親は彼女にたくさんの本を買った。
最初のうちは文字ばかりで難しい大人向けの本が多かったが、いつのまにやら本の文字が大きくなり、子供が憶えやすい言葉が多く使われるようになり、時折挿絵も混ざるようになり、彼女の読みやすい本が増えた。
金持ちの父親が本好きの娘の為に、子供でも読みやすい本の出版に力を入れ始めた事を、彼女は知らなかった。
部屋に本が増え、それを収めておく本棚も増えたある日、彼女を彼女の世界から連れ出す存在が現れた。
目の前に現れた恐ろしい顔をした巨大な犬。
それを目にした彼女の恐怖とは裏腹に、巨大な犬は彼女をベッドから連れ出した。
本の中へ。
初めて体感する外の世界。かりそめだが遠く離れた異国の地。
その中なら自由に動き回れる体。
彼女は一瞬で虜になった。
それがビブリオという本の妖精のイタズラと知って、彼女の本好きは更に加速した。
またいつか、ビブリオに出会える事を信じて、彼女は短い一生の間ずっと本を読み続けた。
彼女が他界した後、彼女の父は彼女の為に買った本、彼女の病気を治す為に自分が読み漁った本を集め、図書館を作った。
そこには、生前の彼女の肖像画も飾られた。
本好きだった彼女が、天国でも本に囲まれて退屈しないように。いつも会いたがっていたビブリオに会えるように。
その後、図書館には多くの本が追加で収められ、年月と共に図書館は大きくなっていった。
絵画の中から見る図書館は、まるでダンジョンのよう。
本に囲まれた不思議な世界。時々本の中からニュッと出てくる大きな犬。
ああ、あれがビブリオか。
これは絵に描かれた彼女の目線なのだろうか。
彼女の存在は彼女自身なのか、それとも彼女の願いの残滓なのか。
ただ、無限に広がるような本の世界を自由に歩き回れる喜びの感情が、流れ込んできた。
毎朝ボーンと柱時計が低い音で鳴れば、図書館が開館し来館者がやって来る。
そして、夕方閉館を告げる柱時計が鳴れば、人々は図書館から去り、図書館に住む人為らざる者の時間。
絵の中の彼女もそちら側の存在だった。
毎日、たくさんの本に囲まれ、その本で知る事のなかった世界を知る。
読んでも読んでも、本は次々に追加され、何年経っても読み終わる事はない。
いつしか、絵の中にいた父も共に本を読むようになっていた。
ほんの数年しか一緒にいる事のできなかった父と、ずっとずっと一緒に。
時と共に本は増え、印刷技術の進歩の為か、挿絵の多い明るい色が増えた。
それがまた女の子に知らない世界を教えてくれる。
今まで文字でしか知らなかった遠い国の景色。
わくわくするような冒険者の話に、見た事のない生き物達。
時には全く知らない別の世界の話や、暗い星空の中の話。
ちょっぴり怖いゴーストの話に、びっくりさせられるゾンビの話。
淡い恋の話、秘密の恋の話。
時と共に増える本に囲まれ、増える本に比例して大きくなっていく図書館の中を探検しながら、女の子は今日もビブリオが知らない世界に連れ出してくれるのを待っている。
だから、大切な場所とそこを愛する人に平穏を――。
乱す者には災いを――。
額縁の外から見るような感覚で見ていた夢の最後に、大きな犬とお父さんに挟まれて立つ女の子がこちらを振り返りニコリと笑った。
「なーんか、長い夢を見た気がするけど憶えてなくて、もやもやするな」
嵐の夜から一晩明けて、すっかり晴れ上がった翌朝、預かってもらっていたワンダーラプターを引き取って鞍を付けながら、ポリポリと頭を掻いた。
昨夜は疲れていた為、ベッドに入ってすぐに眠りに落ち、そのまま朝までぐっすり。
いつもなら夜明けくらいに目が覚めるのだが、朝食に呼ばれるまで爆睡をしてしまった。
おかげで、疲れはしっかり取れているのだが、昨夜見た夢が思い出せなくてもやもやする。
夢にはよくある事だ。
「俺もなんか夢を見た気がするけど憶えてなくて、ちょっと気持ち悪い」
アベルも俺と同じように首を傾げながら、少し癖のある髪の毛を指先でくるくると弄んでいる。
リリーさんのところで一晩お世話になり、朝食までご馳走になってしまった。
予定よりも長くフォールカルテに滞在する事になったが、そろそろ旅立ちの時間だ。
連日でお世話になったリリーさんに頭を下げ、色々と身の回りの世話をしてくれた使用人のお姉さん達にお礼を言って出発。
ごめんなさい、お礼になりそうなものが、男が作ったフルーツパイくらいしかなくて。
たぶんリリーさんの方が俺より料理上手いよね? よかったら皆様で召し上がって下さい。
次の予定地は俺の故郷のすぐ近くにある荒野ペトレ・レオン・ハマダ、その傍らにある町だ。
そこからは、ワンダーラプターで俺の故郷を目指す事になる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます