第304話◆眠る図書館

 外を警戒しながらゆっくりとドアを開けると、部屋の外から空気と一緒に魔力が流れ込んで来た。

 部屋の外の魔力も同じようにねっとりとしていて気持ちが悪い。

 先ほどの魔道具の影響だけではなく、この階、もしくはこの図書館がこの気持ち悪い魔力に包まれているのか?

 とても、読書をする場所とは思えない、気持ちの悪い魔力だ。

 沌の魔力か……。


 沌とは混沌。

 全ての魔力の原初たる属性とも言われている属性である。

 始まり故の無秩序、全てが入り交じった状態。それは生と死も。

 故に死を司る属性でもあり、アンデッドを使役する魔法も沌属性である。死を司る属性の為、忌み嫌う者もいるが、沌属性が悪い属性というわけではない。

 むしろ、沌属性は強力で万能な属性だ。その分扱いづらく、高い適性を持つ者はあまりいない。

 あのアベルですら沌属性の適性は低めだと聞いている。まぁ、アベル基準の低めだから、普通の人よりは高いと思う。

 俺は沌属性の適性はほぼ皆無。そのせいで沌の魔力が漂うこの場所が、妙に気持ち悪く感じてしまう。


 属性に対する適性が低くても、その属性の魔力を扱う事はできるが、適性のある属性に比べ魔力の消費が増える為、適性の低い属性の魔力は扱い難い。

 しかも沌属性を扱うには、他の属性より魔力消費が激しい。

 故に、沌属性の魔力を使うネクロマンサーを目指す者は珍しい。


 図書館の外には人為的に作り出されたと思われるゾンビ、図書館の中に漂う沌の魔力。

 偶然なのか、そうではないのか。

 どちらにせよ、沌の魔力を扱える者がこのよくわからない状況に関わっているという事だ。


 かなり魔力が濃い。

 魔力抵抗の低い者だと魔力酔いをしてしまいそうだな。小さな女の子には厳しいかもしれないな。

 ああ、ローズクォーツのアクセサリーがあったな。ローズクォーツは聖属性の宝石なので、沌属性に対する抵抗力を上げる事ができる。

 女の子にローズクォーツのアクセサリーを渡そうと、収納を開こうとしていた俺の横を、女の子がスタスタとすり抜けて、ドアを開けて廊下へ出て行った。

「え? ちょっと!?」

 魔力に当てられないかと心配したが、女の子は何事もなく廊下に出てしっかりとした足取りで進んで行く。

 その後を慌てて追いかける。

 おかしいのは沌の魔力だけじゃないんだよおおおおお!!!


 周囲に動いている人の気配はない。敵らしき気配もない。

 迷いなくどんどん廊下を進んで角を曲がった女の子を追いかけて、俺もその角を曲がる。

「ぐおっ!」

 曲がり角を曲がったところで、ぐにゃりとしたものを踏んづけてこけそうになる。

 あーやっぱり。そうじゃないかと思ったんだ。


 俺が踏んづけたのは人。

 廊下の壁に寄りかかるように座り、グウグウといびきをかいて寝ている、図書館の職員。

 ごめん、思いきり踏んじゃった。


 周囲に人の気配はあるんだ。

 あるけど、そのほとんどが眠っているような気配なんだよおおおお。

 睡眠系の魔法がばら撒かれている可能性もあるので、女の子に睡眠対策のアクセサリーを渡しておこうと思ったのだが、どうやら不要だったようだ。

 女の子は俺の少し前をしっかりとした足取りで進んで行った。

 幼女強いな!?




「これは思った以上に酷いな」

 図書館内の沌の魔力がやたら濃いのも酷いのだが、図書館内の廊下で崩れ落ちて眠っている職員が何人も目に入った。

 図書館は中央部分が吹き抜けになっており、俺達のいる最上階から一番下の階を見下ろす事ができる。

 その一番下の階の読書スペースに並ぶ机に突っ伏して寝ている者達の姿が、最上階から見えた。

 そして、周囲の気配を探れば、そのほとんどが眠っている。

 新館の方は人が全くいなくなっているし、本館の方はみんな寝ているし、考えるまでもなく異常な事態である。


 眠っているのはこの異常に濃い魔力のせいか?

 図書館全体に睡眠系の魔法がばら撒かれているのは、間違いないようだ。

 俺は魔力耐性も高めで、睡眠対策装備は着けているので、この程度なら耐える事ができるが、魔力に対する耐性を鍛えておらず、何も対策をしていない者では、この催眠効果に抗う事は難しいだろう。


 この睡眠効果は本館全体を包んでいるのだろうか?

 設置型の睡眠魔法? いや、これだけ広範囲に睡眠魔法をばら撒いて、その効果を継続させるには相当の魔力を消費するはずだ。

 睡眠効果のある魔道具か? それでも建物の全てを効果範囲にしようと思うと、かなり大型の魔道具か、持ち込みやすい小型のものなら複数設置しなければならない。

 状況から考えると睡眠効果のある小型の魔道具が複数設置されている可能性が高いな。


 んんん? さっきうっかり壊してしまった魔石が沌属性だったぞ?

 俺の前を早足で歩く女の子の後ろをついて行きながら、先ほどの魔道具を収納から出して鑑定する。

 パチンッ!

 ダメだ、やっぱり弾かれた。かなり強い阻害効果が掛けられている。

 無理に鑑定すると壊れてしまいそうだ。アベルレベルの鑑定じゃないとダメそうだな。

 もしかすると重要な証拠品かもしれない、無理に鑑定して壊してしまったらまずい。


 何の為にそんな事を?

 職員が廊下で倒れて眠っているという事は、何者かに襲撃されていると思ってほぼ間違いないだろう。

 図書館強盗か何かか?

 この状況下で起きている者の気配もいくつかある。

 そのうちの誰か、もしくは全てが、この状況を作った犯人だろう。

 この状況はアベル達がいなくなった事や、中庭にいたゾンビと関係があるのだろうか?

 図書館の不可解な状況、偶然だとは思い難い。


 となると、無闇に歩き回るのは危険なのだが、女の子はどんどん廊下を進んで行く。

 幸いにも女の子の向かう先には、起きている人の気配はない。

 この先に父親がいるのだろうか? 父親は図書館の職員? 父親を助ける為に俺をここまで連れて来たのか? 本館はいつからこの状況だったのか?

 いや、この状況なら俺一人を連れてくるより、外部に助けを求めた方が確実だ。

 しかも、彼女と出会った当初はのんびり本を読んでいて、あまり急いでいる様子もなかった。


 職員限定の区画だと思われる最上階の廊下を、女の子は迷わず進んで行く。

 やはり職員の子供か?

 それにしても、図書館にいる者のほとんどが眠ってしまっているこの濃い魔力の中を、平気で歩ける君すごいね?

 なにか状態異常に耐性のあるものを着けているのだろうか、それとも素でそれだけの耐性を持っているのだろうか?

 素でこれだけの魔力の耐性を持っている子なら末恐ろしいな!? 冒険者にならないか!?


 いや、そうじゃない。

 図書館にいる者のほぼ全てが眠らされている中、平然と歩く小さな女の子。

 しばらく使われていなかったと思われる隠された通路を知っており、関係者専用の区画の通路も把握しているようだ。

 この幼女、何者なのだ?


 思い返せば違和感だらけなのだが、不思議とこの女の子について行かなければならない気がする。

 魅了や誘惑などの精神操作系の対策はしっかりしているので、そういった類いのものではないはずだ。

 だが、この不可解な状況を解決するには、この女の子について行くしかない気がしてならない。


 そう思っているうちに、女の子が一つの扉の前で足を止めた。

 図書館中央の吹き抜けから、建物の外れの方へと進み、周囲には人の気配は全くない。

「この部屋に入れってか?」

 尋ねると女の子が頷いたので、扉を開くと、そこは職員用の更衣室のようで、縦長に仕切られたクローゼットがいくつも並んでいる。

 女子更衣室じゃないよな?

 こんなとこに入ってもいいのか?

 うっかり見つかると泥棒扱いされそうなのだが?

 って、この部屋すごく沌の魔力が濃いな。先ほどの魔道具みたいなのが置いてあるのだろうか。

 魔力の元はあそこのクローゼットの中か?

 この状況を作り出している原因の魔道具かもしれないから、ちょっとクローゼットを開けてみてもいいよな?

 ちょっと失礼しますね。


 クローゼットを開けると、中には女性ものの服と、たくさんの本が入っていた。さすが、図書館の職員さんのクローゼットだな?

 おっと、感心している場合ではない。それに女性のクローゼットを勝手に見るのは心苦しいので、さっさと確認を済ませてしまおう。

 魔力の発生源は積み上げられた本の後ろか。すみません、すみません、ここで見た事は忘れますから。

 クローゼットの中にあった本は女性が好きそうな恋愛小説の類いかな? 俺は何も見てない見てない。何も見ていませんから。

 本をどかしてクローゼットの奥に手を突っ込むと、思った通り中には先ほど魔石を割ってしまった魔道具と同様の魔道具が置かれており、やはり沌属性の魔石が嵌められていた。

 また鑑定して壊したらまずいし、収納に回収しておこうか。

 これでこの辺りは時間が経てば沌の魔力は徐々に薄くなっていくだろう。


 女の子はこの怪しげな魔道具が設置されている場所に俺を案内しているのかな?

 魔道具を回収して本を元に戻し、クローゼットのドアを閉めると、女の子がクイクイと俺のズボンを引っ張った。

「ん? どした?」

 尋ねると女の子が俺に向かって両手を広げた。

 抱っこか? しょうがないなぁ。

 長い階段を上って、更に図書館の中を移動したから疲れたのかな?


「さて、次はどこへ向かえばいいんだ?」

 女の子がこの怪しい魔道具が置かれている場所に案内してくれているというなら、この子について行けばこの状況は解決するという事かな?

 わからない事が多いが……、いや、わからない事だらけだから、この女の子について行くしかない。


 女の子を先ほどと同じように、左腕に乗せる形で抱き上げると、女の子が天井の方を指差した。

 その先に目をやると、天井の隅っこの通気口らしき穴。

「え? そこに行くの? マジで?」

 尋ねると女の子がにっこりと微笑んだ。

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