第301話◆戦うなら有利な場所で

 臭い。

 獣の匂いを凝縮したような匂い。

 そしてそれは、中庭を奥に進むほど強くなっていった。


 獣の形跡とアベルがそれと交戦したような痕跡があった為、周囲を警戒したまま女の子が指差す先、中庭を通り抜け、その先の本館の裏へ。

 本館の裏には広葉樹が植えてあり、その下の地面には草が生え、小規模な雑木林のようになっており、その雑木林と建物の間に細い道が延びている。

 普段人があまり来ないと思われる建物の裏手の為あまり手入れはされていないらしく、雑木林から通路に草がはみ出すように伸びていて若干歩き辛い。

 本館はかなり古い建物のようで、何度か増築を繰り返しているのか、その裏手は建物の形がデコボコしており、建物に対して自分が今どの位置にいるのか非常にわかり辛い。

 本館の裏を進むにつれ、本館より小さい新館は見えなくなってしまい、雨が降っていて太陽も隠れている為、本格的に自分の位置を把握し辛くなった。

 まぁ、最悪探索スキルを使えば付近の地形はなんとなくわかるから迷子にはならないか。

 周囲の気配に注意をしているが、今のところ大きな獣や魔物の気配はない。

 ただ雑木林が近いせいか、小動物がうろうろしているような気配はしている。その気配、そして獣の匂いも雑木林の中からだ。


「妙に獣臭いな」

 中庭からずっと匂っている、この獣臭い匂い。

 中庭にいたと思われる獣の匂いか?

 ねっとりとして、掃除していない獣舎の匂いを凝縮したような酷い匂いである。

 建物の裏手で人が立ち入らない場所とはいえ、公共の施設の敷地内をこんなに獣臭くなるほど、放置するものなのだろうか?

 野生の動物やその死体や排泄物は、疫病の原因ともなる。

 フォールカルテもツァイも、衛生管理が行き届いた綺麗な町だ。

 そんな町にある小綺麗な図書館の一角、そしてこの雑木林の向こうは人々の生活する町だ。それに加え、現在は雨も降っている。

 それにも関わらず、これほどまでに獣臭いのは違和感がある。


 大きな気配は感じないが、この雑木林に何かいる。

 警戒を強めながら、雑木林の傍の通路を本館の建物に沿って進んで行く。

 何か落ち着かない。

 特に強力な生き物の気配は感じないが、肌にまとわりつくようなねっとりとした不快感、つかみ所のないような何かに監視されているような感覚。

 いや、これは見られている。

 大きな気配はない。だが小さな気配はたくさんある、それがこちらを見ている。

 雑木林の方を見ると、その木の陰や枝の上から無数の赤い点がこちらに向いていた。


「くっそっ! 小動物のゾンビか!? 何だってこんなところに!?」

 妙に獣臭かったのは、死んで時間が経った獣の匂いだったから。

 いや、正しくは死んだ獣が腐り始めている匂いだ。

 そして大きな気配はないが、細かい気配がたくさんあるのは、小動物のゾンビだから。

 その、小さな赤い目が無数に木の隙間からこちらを見ている。


 これがビブリオに引き込まれた本の中なら、俺達は傍観者で襲われる事はない。

 そして、俺達が本の中の存在に干渉する事はできない。つまり、俺の攻撃はこの腐臭を振りまいている、小動物のゾンビには当たらないはずだ。

 魔法銀製のスロウナイフを取り出し、木の枝の赤い点に向かって投げた。

「グエッ!!」

 気持ち悪い鳴き声を上げて、スロウナイフが刺さったカラスのような鳥が枝の上から地面に落ちた。

 その鳥のナイフの刺さった部分からは、シュウシュウと白い蒸気のような煙が上がっている。

 スロウナイフには聖属性の浄化効果を付与してあり、アンデッド系の魔物にナイフが刺されば、そこから浄化され溶けていく。

 小型のゾンビなら、ナイフ一発で動けなくなってしまう。魔法銀のナイフが刺さり、蒸気のような煙が出るのはゾンビである証拠だ。

 そして、俺の攻撃が当たったという事は、ここは本の中ではないという事だ。


 ゾンビとは動く死体の事である。

 ゾンビには大きく分けて二つの種類がある、生前の生への執念と周囲の魔力で動くものや、死体にゴーストや精霊などの実体のない存在が取り憑いて動かしているような自然発生的なものと、ただの死体を他者が魔力で動かし使役している人為的なものがある。

 雑木林にいるのはおそらく後者、誰かが死体を操っていると思われるゾンビだ。

 知能の低い動物には死という概念がない為、死後自らの意思でゾンビになる事はほとんどない。時折行き場のないゴーストや実体のない弱い精霊が、小動物の死体に取り憑く事もあるが、自然に大量に集まってくるような事はまず起こらない。


 ちなみに、ユーラティアやその周辺諸国では、ゾンビの自然発生を防ぐ為、死者は火葬後墓地に収められる。

 倒した魔物や獣もゾンビ化防止の為、町や街道が近い場所での放置は禁止されており、町から離れた場所でも大型生物や知能の高い生物の死体の放置は控えるのが一般的だ。


 世の中にはネクロマンサーと呼ばれる、死体やアンデッドモンスターを操る魔法やスキルが使える者がおり、彼らは自らの魔力を使って死体をゾンビ化し使役する。

 大きな死体ほど動かすのに必要な魔力は多く、また複雑な命令も魔力の消費が激しいと聞いている。

 人間の死体は大きさの割りに強度も運動能力も低い上に入手も面倒なので、戦場などの特殊な場所を除いて、人間の死体をゾンビとして使役するには適さないとかなんとかと、知り合いのネクロマンサーから聞いた事がある。


 そんな事情もあって、ネクロマンサーは主力として使うアンデッドに加えて、単純な命令を与え小動物の死体を複数使役するスタイルの者が多い。

 単純な命令しか与えていない小型の死体なら燃費もよく、気付かれ難い為、斥候に丁度よい。一匹ならたいして強くなくても、数でごり押しされるとくっそ面倒くさい。

 浄化系の魔法が使えるなら対処は楽だが、生憎俺はそんなものは使えない。

 死体なのでよく燃えるのだが、今日は雨が降っているし、建物に近い雑木林で火を使うわけにはいかない。しかも雨が降っているから、聖水系をまき散らしても効果が薄れる。

 動けないくらいに粉砕するか、魔法銀を使った武器で攻撃すれば倒せるが、ちっこい生き物の死体で数によるごりおしを物理攻撃で対応するのはしんどい。

 それに今は小さな子供まで抱えている。俺は少々突かれても平気だが、無防備でか弱い子供だとそうはいかない。

 つまり、この状況でコイツらの相手をするのは面倒くさい。

 戦略的撤退を選択したいところだが、こいつらを放置して図書館の中や町の方に行かれるとまずいな。


 雑木林の中からバサバサと音を立ててカラスのような黒い鳥が、何羽も飛び出して来て、俺達が来た通路を塞いだ。

 そして臭い。羽ばたきと共に悪臭が周囲に撒き散っていて最悪すぎる。

 昨日に引き続き、今日もまた臭い奴に遭うとかどんだけ!?

 カラスに気を取られていると、カサカサと足元から音が聞こえて、少し大きめのネズミや猫のゾンビが草むらからわらわらと姿を現した。

 ネズミはダメだ、ネズミは。絶対、変な病気を持ってる。

 ネコちゃん。ネコちゃんは可愛いってだけでだいたい許されるが、ゾンビはダメだ、ゾンビは。

 そして、やはり臭い。


 図書館の壁と雑木林に挟まれたあまり広くない通路。

 剣を振り回すには向かない場所、それに相手の数が多くどうしても攻撃をくらってしまう。女の子を傷つけるわけにはいかない。

 戦うなら少しでも有利な場所でだ。

 建物と雑木林の間の細い道を、女の子を抱えて更に奥へと向かって全力で走り出した。


 ゾンビは死体故に体が脆く移動速度は速くない為、相手が空を飛ぶ鳥でも、素早い猫でも身体強化を使って走れば振り切るのは簡単だ。

 だが、振り切るまでもない。今、俺達がいるのは細い直線の通路。

 走りながら聖属性が付与してある魔法銀の粉末をばら撒いておく。

 ネズミや猫のような小さなゾンビは、これくらいでもダメージを受けるだろう。足さえ潰してしまえば走れなくなるので、ばら撒いた魔法銀の粉の上を通れば、足止めになるはずだ。

 振り返ると、俺が撒いた魔法銀の粉を踏んだネズミと猫のゾンビの足が溶け、地面に転がっているのが見えた。

 その上を鳥のゾンビがこちらに向かって飛んで来る。


 直線通路を進み、ゾンビどもとある程度距離が取れた所で足を止め反転する。

「いでよ!! 光の角材!!」

 ルチャドーラ戦でも大活躍だったエルダーエンシェントトレントの角材を、まっすぐ地面に立てるように収納から出した。

「俺の直線上は危険だぜええええええええ!!!」

 なんか似たような事を前にカリュオンが言っていた気がする。

 立てるように出した角材が、通路上に倒れるようにそれを足で蹴飛ばした。


 ゾンビってさ、脳みそまで腐っているから判断力は皆無なんだよね。

 小型のゾンビなら尚更。単純な命令をこなすだけ。

 一度その行動を始めてしまったら、それを中止して別の行動に移るには時間がかかる。

 動きも遅くて、判断力もない。だから、こんな単純な攻撃で纏めて倒せてしまう。


 細い一直線の通路を、列を成してこちらに向かってくるゾンビ達に向かって、俺の蹴飛ばした角材が倒れてのしかかった。

 エルダーエンシェントトレントは、光属性も持っている素材の為、光属性が弱点のゾンビを押しつぶすには丁度よい素材。まぁ、小動物くらいなら属性関係なしに潰れそうだけど。

 ぐしゃりとすごく嫌な音がして、更に嫌な匂いが強くなった。

 ルチャドーラをぶん殴って血が付いたから、鈍器にしようと思っていたけれど、更に汚くなってしまった。

 アベルに頼んだら綺麗にしてくれるかなぁ。


 角材の押しつぶし攻撃から逃れて生き残った奴がちょろちょろいたが、それも魔法銀のスロウナイフを投げておしまい。

 角材はばっちぃ事になったけれど、回収して一件落着。

 投げたスロウナイフも勿体ないから回収に戻る。

 回収に戻るついでに、収納から光の魔石をいくつか取り出して、込められるだけ魔力を込めて雑木林の中に投げ込んでおいた。

 雑木林の中には小さな気配がまだ少し残っているが、弱いゾンビは光属性の魔力に当てられて浄化されてしまうだろう。

 潰れたゾンビの散乱する通路には一応聖水を撒いておいたが、雨で薄められてすぐに効果が消えてしまいそうだ。後で職員さんに報告して浄化してもらおう。

 これでこの辺りは一件落着かな?


 ゾンビの群を片付け、本館の裏の通路を更に進んで行くと、裏口のような古びた扉が目に入った。

 俺の腕の上にいる女の子が、無言でその扉を指差した。

 ここに入れって事か?

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