第300話◆現か幻か
激しい雨の中、女の子が濡れないように注意しながら、中庭の奥の方へと進んでいく。
頭からマントを被っている為、足の方はマントの丈が足らず濡れてしまうが、冒険者たる者、装備にはきっちりと防水効果を付与している。
特に下半身は水に浸かる事もあるので、豪雨でも少し冷たいなと思うくらいで平気だ。
靴も以前、ラズールに貰ったシーサーペントの鱗が貼り付けてあるから、雨で泥濘んだ地面程度なら全く問題ない。
「こっちでいいのか?」
女の子に尋ねながら、彼女が望む方向へと進んでいく。
中庭を挟んで本館と新館があり、図書館の中から見えていたのはこの中庭の景色だ。
「ん? 足跡?」
中庭を歩いていると、足元の芝生に踏み潰された跡が残っている事に気付いた。
人間の靴ではなく動物の足で踏まれたような跡だ。何か獣がいるのか?
やや大きめの獣の痕跡に警戒を強める。本の中とはいえ、念の為だ。
中庭の奥の方から本館の傍を通ってこの辺りまで来て、新館の方へ向かいその窓際をウロウロしたのか、そこだけ何度も踏まれたようになっている。
窓際から中の様子を見ていたのかな? そして、新館の傍を通って中庭の奥に引き返したのかな?
あれ? この窓って俺が本を読んでいた机の近くの窓か?
とすると、俺がチラリと見た耳はコイツか? この足跡はビブリオのものか?
中庭を更に進むと、新館の壁に沿って中庭の奥へと、獣が歩いたと思われるような痕跡が残っている。
足跡と共に獣の匂いが残っており、それは、進むにつれ強くなっていく。
ビブリオって本の妖精なのに獣臭いのか。モフりたかったけれど、夢が壊れてしまった。
獣臭そうだし、モフるのはなしだな。
足跡を辿るように中庭を進み続け、アベルが本を読んでいたソファーが見える場所まで来ると、そこで異変に気付いた。
「これは落雷の跡? うわ、臭っ!」
丁度アベルがいた読書スペースの前辺りだろうか、芝生が焼け焦げてなくなり、地面が剥き出しになっているのが目に入った。
獣臭さと同時に、肉の焼け焦げたような不快な匂いが辺りを漂っていた。
炎系の魔法の跡? ビブリオが当たったのか?
アベルが魔物だと思って、ビブリオに火魔法を撃ったのか? いや、大雨の日に火魔法は威力が削がれて効率が悪いし、そもそもアベルなら建物の近くで炎系の魔法は普通使わないし、アベルの火魔法なら雨の日でもこの程度の燃え方では済まないはずだ。
他に芝生が焦げそうなのは雷?
雷がビブリオに落ちたのかな? 周囲に高い建物があるのに?
雷がビブリオに落ちたとしても、その後ビブリオはどこへ行った?
足跡は芝生が焼け焦げた場所を最後に途切れている。
雷に打たれた後に消えた?
妖精なら転移系の魔法を持っていてもおかしくないな。
「ん? 人の足跡? 大きさ的に成人男性、俺と同じくらいの身長か? ってこれアベルの足跡か?」
焼け焦げた芝生の近くに、人の足跡らしき痕跡を見つける。
それは、図書館の掃き出し窓から続いている。
読書スペースの掃き出し窓からは、中庭に出られるようになっており、晴れていれば中庭のベンチで読書を楽しむ事ができる。
掃き出し窓から出てきたような足跡。
窓ガラスの向こうの読書スペースにはアベルが座っていたソファーが見え、その前にあるローテーブルには、先ほどと同じように本が置いたままになっている。
ビブリオの姿を見て、アベルが外に出て来たのだろうか。
アベルのらしき足跡は、芝生が焦げている付近で途切れている。
これはどこかに転移したのかな?
ビブリオが雷に打たれたのか、アベルがビブリオを攻撃したのかはわからないが、その後、俺が本の中に引き込まれて、その状況が残っているという事か?
いや……本当に本の中なのか?
ふと、初歩的な疑問が頭をよぎった。
もしかすると俺は、根本的なところで重大な勘違いをしているかもしれない。
俺は一度もビブリオに本の中に引き込まれた事がないので、あくまで推測で動いていただけだ。
冷静に考えると、本の中に引き込まれるような感じは一度もなかった。
腹も減るし、雨にも濡れる、ここは本の中ではないと考えた方が自然なのではないか?
まさか、本の中に引き込まれたのはアベルや図書館の人達の方?
近くにいる者が、纏めて本の中に引き込まれるという話は聞いた事がある。以前アベルとジュストが、共に同じ本に引き込まれたと言っていた。
しかし、広範囲にわたって図書館にいた人が全て引き込まれるなんてあるものなのだろうか?
それだとすると、俺達も図書館内にいたのに引き込まれていない事になる。
ならばやはり、俺達の方が本の中にいると考える方が自然である。
だが、そもそも俺が見たのはビブリオだったのだろうか?
俺が見たのは、窓の外にチラリと見えた大きな犬のような耳だけだ。俺は今まで一度もビブリオを見た事がないので、それが本物のビブリオかどうかなんて断定できない。
ビブリオは妖精だ。気配を感じる事があっても、こんなにハッキリとした痕跡を残すだろうか?
もしかして、普通に獣が図書館の敷地内にいた?
足跡のサイズと俺が見た耳の大きさからして、かなりデカイ獣だぞ!?
どうやってそんな獣が町の中に? いや、実際に獣が付近にいるのなら危険すぎる。
ならば、この焼け焦げた跡は、アベルがその獣を倒した跡と考えるべきか。
人がいないのはアベルが避難させた?
しかし、俺達はずっと入り口ロビーにいたが誰も通らなかったし、そんな騒ぎがあれば職員が入り口付近の安全も確認に来るはずだ。
転移魔法を使ったのか?
悪天候で人が少なかったとはいえ、図書館内には散らばって人がいたはずだ。
それを集めて転移魔法で運ぶなんて手間のかかる事をアベルがやるわけない。アベルの性格上、職員を捕まえてそちらに任せて、自分は他に危険な生き物がいないか確認に行くはずだ。
念入りに周囲の気配を探ってみたが、やはり近くには人の気配は感じない。
いないのか、気配を消しているのかはわからない。
アベルや図書館にいた人達はどこへ行った?
ここが本の中ではなく現実で、アベルや図書館の人達が俺が知らないうちにどこかに消えたのなら、俺の知らない何か重大な事が起こっている事になる。
ここは現実なのか本の中なのか。
それすらよくわからなくなってくる。
わかっている事は、今この辺りには俺とこの女の子しかいないという事。
強い雨とゴロゴロと響く雷のせいで、いつもより周囲の気配を拾い難く、それが人の気配のない図書館を不気味に感じさせた。
「悪い、少し状況が変わったようだ。もしかすると危険な生き物がいるかもしれない。安全な場所でお父さんを待ってようか?」
ここが本の中ではなく現実の世界なら、このよくわからない状況で小さな女の子を連れ回すのは、彼女にとっても、俺にとっても危険である。
一度図書館の外に出てみると状況がわかるかもしれない。
掃き出し窓から館内に戻ろうとすると、女の子が強く俺の服を引っ張った。
見ると、女の子がギュッと眉を寄せ、口を強く結んだ表情で、中庭の奥を指差している。
「いや、状況がよくわからないから危険だ。一度安全な場所に行って、状況を把握してからお父さんを探そう」
しかし、女の子はブンブンと頭を振って、中庭の奥を指差し続ける。
中庭の奥に何かあるのか?
どうする?
普通に考えれば、このよくわからない状況で子供を連れ歩くのは危険だ。
それにアベル達の行方も気になる。
考えている間も、女の子はグイグイと俺の袖を引っ張り、中庭の奥を指差している。
単なる子供のわがままか?
いや、大雨で雷の鳴る中、普通の子供なら恐れて屋内に入りたがるものだろう。
それなのに、鬼気迫る表情で雷雨の中を進む事を望んでいる。
出会ってから一言も言葉を発しない子供。ただの人見知りではなく何か事情があるのだろうか?
「あー、わかった。じゃあちょっとだけだぞ? 危険そうならすぐ戻るからな?」
本当はダメな選択だが、何故か女の子の指差す方向へ行った方がいい気がした。
危険ならすぐ引き返そう。
彼女と自分の安全が最優先だ。
不可解な状況の中、女の子が指差す先へと向かい歩き始める。
人の気配を感じない図書館の中庭で、俺達がここに存在している事を証明するかのように、強い雨が俺の服を濡らしていた。
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