第299話◆静かな図書館

 どれくらい時間が経っただろうか、相変わらず激しい雨と雷の音だけが聞こえる。時折窓の外がピカピカと光るが、雷雲が少し遠ざかったのか、先ほどのように窓ガラスがビリビリと震える程ではない。

 少しお腹が空いた気がして、ロビーに置かれている柱時計を見るが、先ほど見た時からまったく針が動いていない。

 あの時計、壊れているのかな?

 ポケットの中から懐中時計を出して確認すると、こちらは正午前を指していた。

 悪天候で外が暗く、本を読んでいたせいで、時間の感覚も鈍ってくるな。

 昼すぎには次の町に移動する予定だったから、そろそろアベルと合流しないとお小言を貰いそうだ。

 しかし相変わらず職員さんは戻ってこないし、ロビーを通りかかる者もいない。


 困ったな。俺達の予定は時間がずれ込んでも問題ないのだが、この子は早く親のところに戻してあげたい。

 大人しい子のようで、俺と一緒に静かに本を見ているので手はかからないのだが、あまり長時間親と離れていると、親御さんも心配するだろう。

 うーん、ここで職員が戻って来るのを待つより、親を探した方が早いか?

 悩んでいると、女の子がクイクイと俺の服の袖を引っ張った。

「ん? どうした?」

 尋ねると女の子が無言で、柱時計の向こうに見える通路を指差した。

 俺達がいた庶民向けの区画とは別方向、専門書の類いの高価な本が置かれている本館へ向かう通路だ。

 もしかして、そっちの方に親がいるのかなぁ?

 自分が難しい本を読んでいる間に、子供が退屈しないように、子供向けの本があるこちら側に置いていったのだろうか?

 治安が良さそうな町の綺麗な図書館とは言え、こんな小さくて可愛い女の子を一人放っておくなんて危ないな。

「あっちの方に、父さんがいるのかい?」

 女の子がコクンと首を縦に振って肯定する。

「探しに行ってみるか。あっちの受付まで行って、父さんを呼び出してもらおうか。その前に、この本は返して来ないといけないから戻してくるな。後、俺の友達にも一言言ってからでいいかい? めちゃくちゃ口うるさい奴だから、何も言わずに別の館まで行くと後で小言を言われそうだ」

 尋ねると女の子が頷いてくれたので、来た時と同じように女の子を左腕に乗せるように抱えて、アベルのいる読書スペースの方へと向かった。


「あれ? いない。どこに行ったんだ?」

 借りていた本を本棚に戻して、アベルが本を読んでいたソファーまで行ってみたが、そこにアベルの姿はなかった。

 ソファーの前のローテーブルに、アベルが読んでいたと思われる本だけが残っている。

 本が残っているという事は、トイレにでも行ったのかな?

 アベルの他にも、この辺りで本を読んでいた人がいたが、その人達の姿も見えないし、周囲に全く人の気配がない。

 そういえば、ロビーにいる時も誰にも会わなかったし、ロビーを通過した者もいなかった。

 違和感を憶えて、周囲の気配を念入りに探ってみる。

 ない。全く人の気配がない。

 トイレに行っているのなら、申し訳ないなと思いつつ、探索範囲を広げるが全く人の気配が引っかからない。

 さすがにこれはおかしい。

 天候が悪い為来館者がいないのはおかしくないが、職員までいないのはおかしい。

 そして、アベルの気配も全く引っかからない。


「まさか……」

 これはビブリオに本の中に引き込まれたというやつか!?

 だったらいつの間に!?

 この子は本の登場人物なのか? いや、ビブリオに本の中に引き込まれた者の話によると、本の中では物語を見ているだけで、触れたり触れられたりはないと聞いている。 

 女の子はここにいる感覚がはっきりとある。つまり実在している者のはずだ。

 彼女と俺は一緒に本の中に引き込まれたのだろうか?

 しかし今のところ、物語的な展開は全く起こっていない。どういう事だ?

 それに、この図書館を題材にした本なんてあるのか?


『フォールカルテ図書館の七不思議』


 ふと、いやーーーーーな予感のするタイトルの本を思い出した。

 やめろ、アベルみたいに怖がりではないが、ホラーとかびっくりドッキリ系とかはやめろ。

 まだパニック系の方がよかったぞ!?

「君、本の登場人物じゃないよね?」

 ホラー系にありがちな、生きた人間だと思っていたヒロインがすでにこの世の者ではない展開。

 やだ、怖い。この子はそうではないと思いつつ、念の為に確認をしてみた。

 女の子はキョトンとした顔で首を傾げた。

 うん、大丈夫そうかな!?


 俺と彼女でホラー系の本の中に引っ張り込まれたって事か。

 見ているだけで特に害はないホラーな本の中、つまり巨大お化け屋敷という事だ。なんだ、そう思えばなんだか楽しそうだな!?

 いいだろう、受けて立とう。

 このお化け屋敷、この子と一緒にクリアしてみせるぜ!!


「どうやら本の妖精さんに本に引っ張り込まれちゃったみたいだけど、俺はAランクの冒険者だから安心していいぞー。強くて格好いいお兄さんが、君を守りながら無事にお父さんのところにつれて行ってあげるから安心していいぞー!!」

 自分で言って少し恥ずかしくなったが、この薄ら怖い雰囲気で女の子が怖がらない為だ。

 こうしていても、何も起こりそうにないので、とりあえずこの子の指差した方へ行ってみよう。

 本の中なら、制限のある区画でも入れるなら、歩き回っても問題ないだろう。

 むしろ歩き回らないと話が進まないので本の中から出る事はできないと思われる。

 ずっとロビーに座っていたから、今まで何も起こらなかったのだろう。


 念願叶ってビブリオに本の中に招待されたのだ、ホラーっぽい本なのは予想外だったが、楽しまなければ勿体ない。

 ビブリオをモフってみたいとか、遠くの国の旅行記がよかったとかはあるが、初めての本の中、楽しんじゃうぞーーーーー!!

 もちろん、小さな女の子が怖がらないように、お兄さん頑張っちゃうもんねーーーー!!

「よし、ちょっと怖いかもしれないけど、本から出る方法を探そうか。それから、お父さんも探そうな」

 女の子を不安がらせないように声をかけ、入り口ロビーの方へと向かって歩き出した。


 ビブリオに本の中に引き込まれた場合、その本の最後までか、ビブリオが納得する箇所まで物語が進めば、本の中から出て来られると聞いている。

 とりあえずは、物語を進ませなければならない。

 その為にはこの空間を歩き回って、物語が発生する場所を見つけないといけないのだろう。

 まぁ、ビブリオに引き込まれた本の中には危険はないと聞いているし、お化け屋敷的な怖さはあるだろうがそのうち無事に本の外に出られるはずだ。

 なんだかゲームみたいで楽しくなってきたぞ。


 入り口のロビーへと戻り、本館へと続く通路へと向かった。

 通路の手前を通り過ぎた時に、ボーンと柱時計の音が鳴った。

 やはり柱時計は壊れているようで、その針は先ほどと同じ時間を指したまま止まっていた。それとも本の中だから時間が動いていないのかな?

 本の中は楽しそうだが、腹が減る前に脱出したいな?

 ん? 本の中の図書館は図書館ではないから、飲食セーフか?



 庶民向けの区画の新館と、専門書や魔導書が収められている本館の間は中庭のようになっており、その中を屋根付きの連絡通路が通っている。

 その連絡通路から中庭に出られるようになっており、残念ながら今日は雨だが、天気が良ければ外で読書を楽しむ事ができるようにベンチも設置されている。

「寒くないか?」

 雨が降っているので、屋根付きとはいえ屋外を通る事になる連絡通路は肌寒い。

 連絡通路を歩きながら女の子に尋ねると、フルフルと首を横に振った。

「お腹は空いてないか? 喉は渇いてない?」

 この質問にも女の子は首を横に振った。

 大丈夫そうならさっさと本館に行ってしまおう。屋根の下でも激しい雨の飛沫が散って服が濡れてしまう。


 少し早足で本館の方へ向かっていると、俺の腕に座るように抱えられている女の子が、クイクイと俺の服を引っ張った。

「ん? どうした?」

 尋ねると女の子が雨が降りしきる中庭の方を指差した。

「中庭に行きたいのか? 雨が降ってるぞ?」

 本の中だというのに、激しい雨が地面や建物に当たって跳ねる飛沫は、俺達の服を濡らしている。

 屋根のない中庭に出てしまうと、一瞬でびしょ濡れになってしまいそうだ。

 ビブリオに引き込まれた本の中は、周囲の様子を体感できるが、そこで起きる現象には干渉されないと聞いたが、降っている雨で服が少し濡れてしまっている。

 始めての体験なのでよくわからないな。安全だと聞いていたが、少し警戒をした方がいいかもしれない。

 雨で服が濡れるという事は、雷も気を付けた方がいいな。落雷なんか絶対に体感したくないぞ!?

 本の内容に干渉したり、こちらが影響を受けたりする事はないが、周囲の環境は俺達に影響するものなのか? その方が臨場感があるから? よくわからないな。

 まぁ、ビブリオも妖精だし仕方ないな。


 そう考えている間にも女の子は、催促するように俺の服をクイクイと引っ張る。

「わかった、雨具を出すからちょっと待ってくれ」

 空いている手で収納から防水効果のあるマントを出して、女の子もその中に入るように頭からすっぽりと被った。

 雷雨に備えて雷耐性も付与しているので、近くに落雷があっても大丈夫なはずだ。

「よし、これで濡れないし、雷も怖くないぞ」


 激しい雨の中、連絡通路の屋根の下を出て、女の子の指差す中庭の方へと歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る