第293話◆タンタンのタン
自然界にもダンジョンにも魔物がおり、それを狩る事を生業にする冒険者がいる為、肉という食材は庶民でも手に入れやすい食材だ。
そして、育てるより狩る方が圧倒的に効率が良い為、畜産業は行われているが前世ほど発展していない。
そういった意味で、庶民の食生活はけっして悪いものではない。
むしろ天候や環境に左右される農業作物の方が高騰しやすい。
そしてその肉も、食べやすい部位は食卓に上がりやすく、内臓や肉が少ない部位は避けられがちである。
そういう部位を好む者もいるが、貴族や金持ち階級ほどそういう部位を嫌う者が多い。
そういった食用として好まれない部位は、乾燥させ保存食や薬の原料として利用されたり、加工されて飼料や肥料となったりする。
今、俺の目の前でステーキになっているタンという部位――舌も薬用や保存食にされる事の多い部位なのだ。
タンってだいたい美味いんだよなぁ。
これは、前世の記憶があるからだろうか、舌という部位を料理して食べるという発想に全く違和感を持った事はない。
つまり、タンが料理屋のメニューとして出てくる事はあまりないのだ。
そこは、さすが常連向けの裏メニュー、ベヒーモドキのタンステーキが普通にメニューとしてあった。
そんなの喜んで注文するに決まっている。
リリーさんが出資しているというこのホテルの食事のメニューには、ユーラティアの料理屋では使われる事のない素材や部位が目に付いた。
さすが、個人で農園に出資してまでコーヒー屋を営むほど、こだわりのあるリリーさんが出資している宿屋だ。
「それじゃあ、頂こうかな」
つい癖で料理の前で手を合わせ、いただきますとやってしまう。
食べ物を前にすると、前世から染みついた癖がどうしても抜けないのだ。
ふと、前を見ると、向かいの席に座っているリリーさんも俺と同じように手を合わせてた。
「グラン昔から食事前に手を合わせるそれ、食事の前のお祈りみたいなものだって言ってたよね。リリーさんもやるんだ、こっちの方の習慣?」
う……前世からの癖だから実家の方の習慣ではないのだが、ここで肯定してしまうと、これから実家に行ったときにまた突っ込まれたら言い訳が利かなくなりそうだ。
「えーと、昔、ありがたい説法をしてくれた異国の聖職者の人に教えてもらったんだ」
嘘は言っていないよな!?
「え? え、ええ、わたくしは親戚がシランドルにおりますので、その影響ですね。シランドルの東の方やチリパーハでは、そういう習慣の地域があるのですよ」
お? そうなのか?
「なるほどー、じゃあ俺に教えてくれた坊さんも、そっち方面の人だったのかもな」
適当に誤魔化したつもりだったが、それっぽい習慣があるみたいで上手く辻褄があったぞ! ラッキー!!
「そ、そうかもしれませんね! そ、それより、お料理が冷める前に頂きましょう」
お、そうだな。アベルに変に勘ぐられるのも困るし、料理が冷めるの勿体ない。飯だ飯!!
俺の前に置かれているベヒーモドキのタンステーキは、厚切りにされたタンの表面がカリッと焦げ目が付くように焼き上げられおり、それが食べやすいように細長くカットされ、熱した石のプレートの上に並べられている。
その切れ目から覗く僅かに残った赤い色から、表面は香ばしく中は柔らかに焼き上げられている事が容易に想像でき、目から入る情報だけですでに美味しい気分になってしまう。
そしてそのプレートの隅には、薬草を摺り下ろしたと思われる緑色の薬味が添えられており、プレートとは別に小さなカップ状の器に入った黒茶色のソースも付いている。
そしてもう一つ、細く切られたネギに似た薬味の入った小皿。これもこの辺りの薬草なのだろうか。
まずは添えられている緑色の薬味の味がどんなものかと、フォークの先端に少しだけ取って味を確認してみる。
しかし、口に入れる前にその正体に気付いてしまった。
それでも、口の中に入れてみるとツンとした辛さが口から鼻の中へと抜けた。
「ワサビか」
自身でワサビを見つけた事はないのだが、以前ラトにもワサビを貰った事があるので、どこかにあるのだろうとは思っていたがまさかここで。
いや、鑑定するとワサビではない。
「ワサビに似た薬草のアオドキでございます。ワサビはシランドルの中部の辺りでは自生している種もあるのですが、ユーラティアでは環境が合わないのか中々上手く育たないようでして、代わりにワサビにそっくりですがこちらの環境でも栽培できるアオドキが、ツァイ周辺で栽培されております。見た目も風味も調理法も栽培方もほぼワサビと同じですね」
「なるほど、ワサビと違って魔力を持った薬草の部類になるから、やろうと思えばポーションの材料にもできるのか」
この風味、そしてワサビと同様に除菌効果があるなら、ポーションとして何か面白い使い方ができそうな気がする。
「ええ、そうですね。旬は外れておりますが、根でしたら町の薬草屋や食品店で取り扱ってますね」
おお、明日にでも買いに行こう。
おっと、ついアオドキに気を取られたが、肉だ肉。
一切れ目はソースを付けないで、肉そのもののシンプルな味を楽しむ。
一切れ目のベヒーモドキのタンを口に入れて噛めば、心地の良い歯ごたえと共に、胡椒の利いた肉の味がジュワリと広がって口の中を支配する。
馴染みのある牛系のタンより更に濃厚ではっきりとした味。しかしそれでいてしつこさは全く感じない。
まったく、タンという部位はどうしてこう、俺の心にジャストフィットしてくるのだろう。
あー、このまま肉と塩胡椒のシンプルな味だけでも、ガツガツいけてしまう。
だが、ソースが用意されている以上、それを使わないという選択肢はない。
黒茶色のソースを肉にかけようと器を手に取ると、仄かなニンニクの香りと共にすごく馴染みのある香りがした。
「あれ? 醤油?」
「はい、醤油でございます。実家の所有しておりますキャラバンが、少し前にシランドルの東方、更にはチリパーハ方面の物品を多く持ち帰って来ましたので、本日のメニューにはシランドルの食材が多く使われております」
うおおお!! こんなところで和風のソースが味わえるとは、予想外だがとても嬉しい。
そしてワサビ!! じゃない、アオドキ!!
ニンニク香るアオドキ醤油!! こんなん、タンステーキに合わないわけがない!!
皿の脇のアオドキをナイフで掬い、ニンニクの香りが混ざる醤油の中に入れて丁寧に溶かし、それをベヒーモドキのタンにかける。
よく焼けた石のプレートの上で醤油がジュッと焼けて香ばしい香りが上がる。
ああ、もう最高!!
アオドキ醤油をかけた、ベヒーモタンを細く刻まれた薬味と一緒に口の中に入れれば、香ばしい醤油の風味と一緒にツンとしたアオドキの辛みが、肉の味と共に口から鼻へと抜けていく。
そして、白い薬味はさっぱりとしたやさしい辛み。これは白ネギにかなり近い味の薬草のようだ。
まさに味の爆弾。
そして、懐かしい味。
少し目の奥が熱くなるような感覚は、懐かしいという感情から来るものではなく、アオドキのツンとした風味だと言い聞かせる。
やば。美味すぎて語彙力低下する。いや、言葉が無くなる。
カチカチとカトラリーが触れる小さな音だけを立て、ソースのかかった肉を無言で口に運んでしまう。
「へー、ショウユかー。グランとオーバロまで探しに行ったけど、まさかリリーさんの実家のキャラバンでも運んでたなんて思いもしなかったよ」
確かにアベルの言う通り、予想外だった。
今までユーラティアで出回っていなかったという事は、それほど多くの量は持ち込まれていなかったという事かな?
「そうですねぇ。さすがにシランドルの東の端は遠いので、あまり頻繁に行き来しておりませんし、持って帰って来る量もあまり多くありませんので、ほとんど身内で消費されるか、こうして常連様向けにお出しするくらいで無くなってしまいますからね」
常連ではないのに、リリーさんのコネで常連様向けメニューを食べる事ができて本当によかった。
「俺の方もショウユ系のソースだよね? 刻んだタマネギとニンニクのソースかな? ちょっとだけ酸味とピリッとした辛みがあるけど、そのせいでベヒーモドキの肉の脂身が妙にさっぱりした感じがして、上品な味になってるね」
アベルの方は脂がたっぷりと乗った、分厚いステーキだ。食べやすいサイズにカットされているが、厚みがある為、非常に食べ応えがありそうだ。
そして輝くような脂身。
おそらく火を通す前は、サッシサシにサシの入った綺麗な霜降りだったのだろう。
くっそ美味そうだな!?
「あげないよ」
ついアベルの肉を見ていると、俺の視線に気付いたのか、肉を隠すようにアベルが腕で皿を囲ってこちらを睨んだ。
俺にはタンタンのタンがあるから、サッシサシの肉が羨ましいわけじゃないもんねーーー!!
はーーーーー、ベヒーモドキ狩りに行こうかな。
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