第292話◆近くのもの、遠くのもの
席についてメニューの冊子を開くと、すぐにグラスに入ったお茶が出てきた。
黄色味のある薄い色で、ほんのりと甘い香りがする。グラスに入っているという事は、冷たいお茶という事だ。
「とりあえず、食前のお茶を頂きながら、注文を決めて下さいまし」
リリーさん促されて、お茶を口に含めば、お茶の香りとほのかに甘い香り、口の中が爽やかな味でいっぱいになる。
薬草茶? しかし、なんだか少し懐かしさのする味だ。
お茶からは感じる香りと甘味は果物系、おそらく桃系の果物かな?
ユーラティアの紅茶は、やや渋みがあり柑橘類系の香りが付けられている事が多い。それとはかなり違う。
「んー? これは何のお茶だろう? お茶のような渋みはあるけど、やや控えめに感じるのは、桃?の香りのせい? すごく口の中がスッキリして、これから料理を食べる為に、口の中をまっさらにした気分になるね」
「こちらは、この周辺で採れたお茶の新芽を、シランドルの北東部で飲まれている龍茶というお茶の製法で加工したものに、桃の香りを付けたものになっております」
龍茶……龍茶……あっ! お茶の葉を発酵させる途中で止めたお茶か!?
これは色が薄いから、あまり発酵していない感じか?
「へー、味の濃いもの……甘いものと一緒だと少し物足りなさがありそうだけど、こうやって食前に飲むなら、料理の味の邪魔にならない良いお茶だね。これはリリーさんが考えたの?」
「いいえ、東方の本で見たのを、こちらの茶葉で再現してみただけですわ」
それはもう、リリーさんが考えてブレンドしたようなものでは?
ほんのりと桃の香りがする食前茶を楽しみながら、メニューが書かれた冊子に目を通す。
「これは普段この宿のレストランで出てるメニューかい?」
微妙な違和感があり、リリーさんに尋ねる。
「ふふ、こちらは通常は常連様にしかお出ししていない裏メニューですわ。通常のメニューもご覧になりますか?」
なるほど、これが、出資者パワーか。チラッと見た感じ、庶民向けのメニューにしては珍しい食材や、シランドル方面の食材が混ざっているので、少し気になったのだ。
この辺りの特産品と遠方の食材を使った料理という事かな?
通常メニューも気になるが、それは明日の朝食で頂く事にしょう。
「せっかくだから、その裏メニューを頂こう」
「フォールカルテの港が近いのと、わたくしの実家がキャラバン隊を運営しているので、遠方の食材も手に入りやすくて、こちらの宿ではその時期に手に入った珍しい食材と地元の食材を使った料理を、常連様向けにお出ししているのです」
つまり、この辺りの特産品と遠方の珍しい食材両方を楽しめる、一石二鳥裏メニューという事か!!
うむ、どうせなら、日頃食べられないものを頂こう。
「よし、俺はこれに決めた! あ、サラダとスープの付いたセットで!」
「俺も決まったよ。俺はサラダなしのスープだけで付けてほしいな。王都では見ない食材もあって楽しみだねぇ」
わくわくした気持ちで料理を注文して、メニューの冊子を閉じた。
それにしてもアベルの野菜嫌いはどこでもブレないな。
「お待たせしました、ベヒーモドキの厚切りタンステーキでございます。こちらのソースでお召し上がり下さい。添えてある薬味はお好みでお使い下さい。サラダはセファラポッドのマリネ風サラダになっております。スープはフォールカルテ風ビスクでございます」
セ、セファラポッドだと!?
この地方ではセファラポッドを食用にしているのか!? さすが海に面した地域だな、よくわかっている。
ベヒーモドキのタンステーキのセットを頼んだらセファラポッドまで付いてくるとは予想外だった。
セファラポッドは海の悪魔と呼ばれ恐れられている、タコ系の魔物の総称である。
巨大な個体になると優に百メートルを超え、大型の船舶ですら沈めてしまう事のあるセファラポッドはまさに海の悪魔だ。
王都のあるユーラティア北西部では、セファラポッドと同様に小型のタコ系の生物も、その見た目から海の悪魔と呼ばれ食用にする習慣はない。
だが、タコである。
そう、日本人ならタコは食べ物である。
俺が以前主に活動していた王都周辺では、食用にしない為市場に並ぶ事もなく、海に行かなければ手に入らなかったし、ピエモンは山の中なので海産物はほとんど手に入らないしで、セファラポッドを見るのはすごく久しぶりである。
「セファラポッド? そういえば、グランが王都の冒険者ギルド所属だった頃、一緒に海に行った時に、小型のセファラポッド捕まえて食べたよね。見た目はアレだし、海では絶対会いたくない奴だけど、あっさりしてて歯ごたえもあって美味しかったよね」
「王都の辺りだと食材として取り扱われないから、手に入り難いんだよなぁ」
以前、海に行った時に小さなセファラポッドを見つけ、テンション爆上げで捕まえて料理したら、アベルやドリーにドン引きされたっけ?
「セファラポッドは、こちらの地方では漁業民の間では食されていますね。やはり調理前の見た目で嫌がる方もいらっしゃるので、万人受けする食材ではありませんが、お好きな方はお好きですね」
調理前の見た目も怖いし、うねうねした触手が苦手な人もいそうだし仕方ないな。
しかし、こうやって食材として取り扱われている場所があるなら、この地域の海沿いの町でセファラポッドを購入できるという事だな。
やべぇ、寄り道したくなった。
そして、俺が頼んだ料理のメインはベヒーモドキのタンステーキ。
ベヒーモドキは、ベヒーモスというSランクの超おっそろしい魔物に似た魔物である。
大型で筋肉ムキムキで巨大な角や牙を持つベヒーモス。前世の生き物に例えると、カバとサイを足して二で割って、筋肉をムキムキにして、ゾウのような牙を生やした、マッシブな獣系の魔物である。
本物のベヒーモスは見た事すらないが、そのベヒーモスを小型化して弱くしたような魔物、ベヒーモドキとはダンジョンで何度か遭遇した事がある。
ベヒーモスの劣化版と言われるベヒーモドキだが、それでもAランクの魔物で決して弱くはなく、高ランクのダンジョンの奥地に行かなければ遭遇する事はない。
つまり、あまり一般市場には出回らない食材なのだ。
……と、俺の活動圏内では手に入りづらい食材の料理が目の前に並べられ、心の中でめちゃめちゃテンションが上がっている。
一方アベルの方は。
「シランドル風ベヒーモドキのステーキとサメのヒレの薬膳スープでございます」
でっかい皿の上に、ララパラゴラの千切りが敷き詰められた上に食べやすいサイズにカットされたベヒーモドキの肉が並べられ、みじん切りのタマネギの入った濃茶色のソースがかかっている。
上には小さく刻まれた緑色の薬味がパラパラと振り掛けられ、そのボリュームと見た目に食欲をそそられる。
スープの方はサメのヒレ――フカヒレスープか。
「へー、これサメのヒレなんだ。この色と形からサメなんて全然連想できないね」
そういえばサメも、ユーラティアでは食べる習慣はないな。
金色と言っていいようなスープ、その真ん中にドーンと存在するフカヒレの圧倒的存在感よ。
薬膳と言いつつ、余計な具材がごちゃごちゃと入る事はなく、スープの色合いは乱されておらず上品な見た目である。
しかし、底の方に見えるみじん切りにされた薬草と、これはリュだろうか、細長い米のようなものが僅かに入っているのが見える。
俺のところまで漂って来る薬味の香りのせいで、横からつまみ食いしたくなる。フカヒレを取ったら怒るだろうなぁ……。
いや、そんな行儀の悪い事はやらないけれど、フカヒレスープがすごく美味そう。
リリーさんの前にもベヒーモドキのステーキの皿と、サラダとスープが置かれ、いよいよ食事の開始だ。
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