第192話◆閑話:コソ泥は見た

 俺はユーラティア王国では、ちょっと名の知れた盗賊だ。

 数々の貴族の屋敷に盗みに入り、厳重な警備を掻い潜り、捕まる事なく高価な物を盗み出す。

 コソ泥? いいや、俺の盗みは芸術だ。その辺のセコいコソ泥や品のない強盗などと一緒にしてもらっては困る。


 俺が盗みに入るのは、警備が厳しく同業者が二の足を踏むような屋敷だけだ。

 ただ盗むだけでは面白くない。厳重な警備の裏をかき、屈強な護衛を躱し、その先にある物を手に入れる。それが最高に楽しいのだ。

 そう言った現場は高位の貴族の屋敷や、豪商の屋敷であり、その先にある物は得てして高価な物だ。

 それは難題をクリアした俺への褒美であり、達成の証である。

 高位の貴族や豪商の屋敷ばかりを狙い、高額品をかっ攫って行く俺は、ユーラティアでは二つ名付きの盗賊だ。

 しかし、その姿も本当の名前も誰にも知られていない。誰にも見つからず、知られず仕事を完了するのが俺の美学だ。

 もちろん人は殺さない。傷つけるのも俺の美学に反する。俺が奪うのは物だけだ。

 まぁ、たまに可愛い子のハートも奪う事があるけどな~、なんちゃって。

 

 そんな俺の今回のターゲットは、王都から遠く離れた田舎町の近くにある農家だ。

 最近この屋敷に忍び込もうとして、命からがら逃げて来た同業者の話を、行きつけの酒場で小耳に挟んだ。

 曰く、さる高貴な人物の依頼で、留守中のその屋敷に忍び込もうと昼間に下見に行ったところ、強力な結界が張られており外から屋敷を伺っていると、不可解な現象に何度も襲われたと言う。


 興味を持ち詳しく聞いてみたところ、その屋敷に忍び込もうとした男は、突然植物に襲われたかと思うと、姿の見えない何かに執拗に攻撃をされ、巨大な梟に呪いをかけられそうになり逃げ出したそうだ。逃げる最中にその屋敷を振り返ると、留守と聞いていたその屋敷に、小さな三つの白い人影と、大きな白い獣の姿が見えたと、震えながら語った。

 その男以外にも、同じ依頼主から依頼を受けてその屋敷に忍び込もうとした者がいたようだが、この男以外戻って来た者はいないと言う。


 なるほど、話を聞くと難易度が高そうな屋敷だな。

 しかし、何故そんな農家が高貴な人物とやらに目を付けられたんだ?

 その男に酒を奢りながら、更に詳しく話を聞いた。同業者の酒場での情報収集は基本である。こういう場所では酒の勢いで、自分の体験談を武勇伝のごとく語る者は非常に多い。


 その農家の主は腕の立つ職人で、なにやら珍しい金属を持っているらしい。ふむ、その高貴な人物は、その金属もしくはその金属の製法が目的だったのか。まぁ、貴族あるあるの話だな。

 確かにその珍しい金属というのは興味があるな、それに戻って来た者がいないという難易度。手応えのない貴族の屋敷にはそろそろ飽きて来た頃だし、いいだろう、その農家のお宝は俺が頂いてやろう。


 職人と言う事は、屋敷周辺の不可解な現象は、魔道具を使ったトラップの可能性が高い。植物やフクロウ、白い獣は、使役している魔物かもしれないな。少し厄介だが、相手が生き物なら俺のスキルで躱せるだろう。

 そして、白い小さな人影か……留守番用にゴーレムを置いている可能性もあるな。

 まぁ、全ては憶測だ、まずは下見に行こう。

 下見をしてからどうするか決める。無理と判断すれば諦める事も必要だ。相手を見極められず、無様に失敗するのは俺の美学に反する。それに、盗賊たる者、他者に己のものを奪われるのは、恥ずべき事である。それが物であれ、命であれ、誇りであれ、奪われる訳にはいかない。それが俺の美学だ。




 ある月の明るい夜、俺はその農家の近くの森に潜んでいた。

 王都から離れた地で、海が近い王都よりかなり気温が低く、昨日の夜は雪が降っていた。

 今日は、天気が良く明るい月が出ており、視界のいい夜だ。夜目の利く俺にとってこれだけ明るい夜ならば、昼間と変わらない視界を確保できる。

 そして、俺の持つレアスキル"モーフィング"によって、俺を見つける事はほぼ不可能になる。


 モーフィング、それは擬態の上位スキルである。俺のモーフィングは、俺が目にした物なら何でも擬態ができる。物でも生き物でも何でもだ。このスキルと、隠密スキルを併用する事により、俺は完全に背景に溶け込み周囲の目から逃れる事ができる。

 もちろん、他人に化ける事も出来る。しかしこちらは、化けた相手を知る人には、仕草や気配で容易に見破られてしまうので、便利ではあるが過信をすると命取りになる。


 俺はモーフィングで地面に擬態して屋敷付近の森まで来た後に、森の木に擬態して気配を消して、その屋敷の様子を窺っていた。

 近くの町を出てすぐモーフィングを使ったので、この屋敷へ向かう俺を見た者はいないだろう。

 聞いていた通り屋敷の周囲には柵があり、侵入者避けの結界が張られている。森の方を開拓しているのか、そちらの方が結界が薄いので侵入するならそこからがよさそうだ。

 まぁ、俺には結界避けのスキルがあるので、ある程度の結界なら感知される事なく侵入する事ができる。

 それこそ、王城や王族の屋敷、大きな神殿に張られているレベルの結界でもない限り、すり抜ける事ができる。

 このスキルとモーフィングがあるおかげで、俺は侵入困難な屋敷にも容易に侵入し盗みを成功させる事ができるのだ。


 先ほどまで屋敷には明かりが見え、中には人影が動いていた。その人数、大人が三人と子供が四人、思ったより大所帯だ。

 屋敷を囲う柵には花の咲いた蔓植物が巻き付いており、生き物の気配を感じる。おそらくこれが、留守を守っていた植物の魔物だろう。敷地の中に見える獣舎には騎獣と思われる魔物の気配が複数あり、こちらも注意が必要だ。

 魔物は生き物の気配に敏感だ。俺は木に擬態したまま気配を消し、屋敷の明かりが消えるのを待った。

 その俺の近くの木には、いつの間にか黒い大きな梟がとまっていた。いつの間に? と思ったが、こちらには気付いていないようなので平常心を保つ。心が乱れれば、隠密スキルに隙が出来て気付かれてしまう。

 この黒い大きな梟が、話に聞いた呪いを使う梟か? たしかに梟のようだが、不気味な気配がする。間違いなく危険な魔物だ。


 屋敷の明かりが消え、しばらく経つがまだ俺は動かない。明かりが消えてすぐ人が眠りに落ちるわけではない。近づくのは眠りが深くなってからだ。

 警備などいない農家だが、これまで何人もの同業者が戻って来ていないと言うのなら、それなりの理由があるはずだ。決して侮ってはならない。

 獣舎の方も静かで、そちらにいる魔物はすでに眠っているようだ。

 いつの間にか、近くにいた梟が姿を消している。あんな大きな梟が飛び立ったのなら気付くはずなのに、その気配に全く気付かなかった。薄気味悪く、恐ろしい梟だ。


 そろそろ動くかと思った時、俺とは別の人間が気配を殺しながら、屋敷に近づいて来ている事に気付いた。

 その数五人。まだ屋敷まで距離があるせいか、気配の消し方が甘い。黒装束を着た集団は、どうやら俺と同業者のようだ。

 まぁ、俺は今日は下見だし、この程度の奴らに侵入されるような屋敷なら興味がない。こいつらのお手並みと屋敷の守りをじっくりと観察させてもらおうか。


 町から離れた森の傍らの一軒家。雑音の無い静かな森の傍、黒装束の男達の足音だけが響く。

 おいおい、いくら屋敷まで距離があると言っても、複数でそんなに足音を響かせると簡単に気付かれるぞ?

 周囲に音が無ければ、小さな音でもよく響く。黒装束の男達が土を踏む音だけが聞こえてくる。


 周囲に音がなく、男達の足音だけが――ん?


 その時、俺は漸く周囲の不自然さに気付いた。

 音が無いのだ、その男達の足音以外。

 森の木々のざわめきも、先ほどまで聞こえていた鳥の鳴く声も、不自然なほど音が無いのだ。

 その違和感に気付いた時には、屋敷に向かっていた黒装束達のうち四人が地面に倒れていた。


 何が起こった!?

 戦闘の気配も音も全くなかった。いや、この不自然なまでの静けさは、周囲に沈黙の魔法がかけられているに違いない。

 どれだけの範囲で、いつの間に!?

 倒れている男達の前に、二匹の二足歩行の小型の亜竜が見えた。

 いつの間に? 隠密系のスキル持ちの魔物か? これは、こいつらがやったのか!?


 一人残っていた男はリーダーのようで、倒れている他の黒装束よりは強そうだ。

 その男が剣を抜いて二匹の亜竜に斬りかかろうとした直後、その背後に暗闇の中からもう一匹、二足歩行の亜竜が音も無く、景色から浮き上がるように姿を現した。

 男がその存在に気付く前に、背後に現れた亜竜は、その強靱な後ろ足で男を背中から踏み倒し、そのままゲシゲシと踏みつけた。

 その様子を見た他の亜竜も、倒れている他の男をゲシっと踏んだ。

 小型の亜竜と言っても、亜竜種の中で小型なだけで人間よりは二回り以上大きい。

 しかもどう見ても肉食性の魔物で、大きな口からは鋭いが牙が見えている。

 この三匹が屋敷の守護をしているのなら、帰らなかった者達は……。


 しかし、黒装束の連中のおかげで、屋敷を守護している亜竜の存在を知る事ができた。最低一匹は、俺と同じ擬態系のスキルか魔法を使う事がわかったのは大きい。

 他の二匹に気を取られていると、この三匹目に背後からやられるわけだ。

 そして、この亜竜達は沈黙もしくは消音の魔法を使う。更に四人の意識を纏めて刈り取ったということは、睡眠系の魔法かもしれない。

 なかなか、強力な魔物のようだが、手の内を知る事ができた。しかしここで油断してはならない、もう少し観察が必要そうだ。

 この程度なら掻い潜る自信があるが、更なる隠し玉を持っているかもしれない。


「はーい、そこまでー。あんまり踏んづけちゃうと話を聞けなくなるからね」

 暗闇の静寂の中から、少し緩い口調の声が聞こえてきた。ただその声はあまりに無感情で、薄気味悪さを感じた。

 静かだった周囲にはいつの間にか音が戻り、ザワザワと木の揺れる音が聞こえた。


 声の主はゾッとするほど整った顔の男。銀色の髪の毛が月の光をキラキラと反射して、人外的な空気を醸し出している。

 その後ろには明かり代わりなのか、ほんのり頭が光っている首の長い亜竜が、少し遅れてちょこちょことついてきていた。

 とても職人には見えないが、この男がこの家の主か? 職人というより貴族と言われた方が納得する。

 

「うんうん、上出来。よく気付いたね。それに、グランに気付かれないように消音魔法を使ったの? えらいえらい。連携も随分上達したね、後でご褒美をあげるね。夜中におやつをあげるとグランに怒られそうだから内緒だよ。あー、グランの癖が移っちゃって、つい君たちに話しかけちゃうようになっちゃったよ」

 亜竜達は男の言葉を理解しているのか、グエグエと機嫌良さそうに体を揺らして返事をした。

 なるほど、かなり知能の高い亜竜のようだ。侮ると、俺でもやられてしまいそうだ。


「ところでおじさん、いつまでそこに隠れてるつもり? 俺が気付いてないと思ってるの? ちょっと舐めすぎじゃない?」

 銀髪の男がくるりとこちらを振り向いた。


 バ、バカなっ!? 俺の完璧な擬態が見破られているだと!?

 金色に光る目がまっすぐとこちらを見つめ、ヒヤリとした感覚が背中を伝う。

 いや、それより俺はおじさんって歳じゃねええ!!


「やー、流石だなー、やっぱ気がついてたかー。悪ぃ悪ぃ、出ていこうと思ったら、そいつらが先に片付けちまって、出番がなくなっちまったんだよ」

 すぐ横の木で声がして、木の皮が剥がれ落ちるように、木の幹に擬態していた体格の良い男が姿を現した。

 なっ!? すぐ横にいたのか!? いつからだ!?

 しかしどうやら、気付かれていたのは俺ではなかったようだ。


「兄上の命令? 留守中にこうやってグランの家を囮にしてたの? 俺からも兄上に言うけどさ、もう帰って来たから、こういうのやめてよね。というか留守中でもやめてよね」

「おう、もうこれで最後だ。おそらく、後はあの方が全部片付けるはずだ」

「あっそ、じゃあこいつらちゃんと持って帰ってね。じゃないとワンダーラプターのご飯にするよ? あ、でもこんなの食べさせて、お腹を壊したらグランに怒られそう」

「おいおい、こいつらは重要参考人だからな。まぁ、おそらくこれで終わりのはずだ」

「ふーん、それならまぁいいや。じゃあ俺からもお仕事お願いしていい?」

「うん? なんだ?」

「こいつらの飼い主にさ、探し物の出所はシランドルとプゥストゥイーニアとの国境にある、山脈の麓の古の森だって伝えといて。それくらい出来るよね、情報ギルドのバルダーナさん?」

 銀髪の男が、向かい合う体格の良い男に、ずっしりと重そうな袋を渡した。

「おいおい、俺は田舎の小さな町のしがない冒険者ギルド長だ。ってあの森か。確かにあの森なら生半可な者では手を出せないな。向かったところで、古代の魔物の餌になるだけになりそうだ。了解、引き受けよう。おい、お前ら、こいつら連れて帰るぞ」

 体格の良い男の号令で周囲の木から、ワラワラと男達が姿を現し、倒れている黒装束を拘束して担ぎ上げた。

 何だと……!? 俺の周りにそんなに隠れていたのか!? いつから? 俺が来る前から? まさか俺の存在も気付かれているのか!?


「じゃあ、後はよろしくね。君たちも帰っておやつ食べようか」

 銀髪の男に促されて亜竜達が屋敷の方へと向かい始めた。どうやら俺の存在には気付いていないようだ。

「あ、そうだ、結界強化しとかないとね」

 銀髪の男がパチンと指を鳴らすと、今まで手薄だった部分に光の壁が一瞬だけ見えた。それは、明らかにただの農家に張るような結界ではない事が、魔法に疎い俺にでも感じ取れた。

 それを指一つでやってのけるこの男。

 更には、俺ですら気付かない程の高レベルの擬態を使いこなす集団は、情報ギルドの奴らか? そのリーダーらしき男は冒険者ギルド長と言ったか?

 流石にこれは、分が悪い。手を引いた方が良さそうだな。




 その場にいた者達が去り、森は自然な静けさを取り戻した。

 木々が風に揺れる音と、ホーホーと梟の鳴く声に安心感を覚える。

 早くこの屋敷から立ち去りたいが、用心の為もう少し時間をおいてから行動をしよう。

 俺は、気配を消して時間が過ぎるの待った。


 時間が過ぎ、そろそろ動くかと思った俺のすぐ横で、何か小さな気配を感じた。

 小動物? いや、違う。

「お兄さん、人間なのにかくれんぼすごく上手だね? 僕もかくれんぼ大好きなんだ。ねぇ、一緒に遊ぼ?」

 手のひらに載りそうなほどの小さな男の子が、木の枝の上に腰をかけ、俺の方を見てニッコリと笑った。

 その背中には薄いトンボのような四枚の羽が生えていた。

 そしてその男の子のいる枝の更に上の枝で、真っ黒い大きなフクロウがこちらをジッと見下ろしていた。


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