第130話◆彼の生きる道

『君はその姿でも生きたいと思うかい? 何も知らないこの世界で、知り合いの誰もいないこの世界で』

『僕は……僕は……』


 ゆらゆらと揺れるコウヘイ君の目を見つめた。

 人として生きられない絶望と、自分が自分以外の物へと変わっていく恐怖、自分の間違いに対する後悔、色々な感情が入り混じった表情が、犬の顔からでも感じ取れる。

 彼が求めているのは救いだ。だが、彼の求める救いは、現状では絶望的な状況だ。


『君はまだ子供だ。苦しい時は苦しいと言っていい。辛い時や困った時は素直に大人を頼っていい。君はどうしたい?』

 コウヘイ君は十四と言っていたので、今の俺と四つしか変わらないが、俺には前世の記憶がある分、実年齢より大人だ。

 前世の年齢まで合わせたら、アベルやドリーよりも年上だしな。おっさんではない、精神年齢が高いだけだ。決しておっさんではない。


『僕は……、僕は元の姿に戻りたい。獣にはなりたくない。家に帰りたい……一人は嫌だ、家族に会いたい。友達に会いたい。学校に行きたい。ゲームばっかりしないで勉強もするから、お母さんの言う事も聞くから、クラブもサボらないし朝もちゃんと起きるから、仮病で学校休んだりしないから、元に戻りたい……えぐっ! えぐっ!』

 今まで溜め込んでいたものをいっきに吐き出したのだろう。最後の方はもう言葉にはなっていなかった。

 コウヘイ君の望みはどれをとっても叶える事は難しい、それは本人もわかっているのだろう。わかっていて、吐き出しているのだから、俺に出来るのは彼が気が済むまで吐き出し終えるのを待つ事だけだ。

 えぐえぐと泣いているコウヘイ君の頭を撫でながら落ち着くの待った。


『君の望みは可能性はゼロではないが現実となるのは難しいかもしれない。だけど君がこの世界で生きる事を望むなら、俺に出来る事なら手を貸すよ。元に戻れないからと言って、死にたいわけではないだろう?』

 コウヘイ君がえずきながらコクコクと頷いた。

『君がこの世界で生きるには、この世界の事を知らなければいけない。知らないままだと、また同じ間違いを繰り返す事になる。そして、君には間違える余裕がない』

『知りたいです。これ以上、人間じゃなくなるのは嫌だ』

『うん、じゃあこれからこの世界の事を知っていこう』


 ドアの向こうにアベルとドリーらしき気配がするのでそろそろ時間切れかもしれない。

『俺の仲間が、君と話したくてドアの向こうでそわそわしているな。これから先の事は俺の仲間も交えて話そう。森で俺と一緒にいた人を覚えてるかい?』

『誰かいたのは覚えてるけど顔までは……』

 コウヘイ君がしょんぼりと俯いている。

『まぁ、二人ともすごく覚えやすい顔だから、一度見たら忘れないと思うよ』

 顔面チートなイケメンと、むさ苦しい熊だしな。

『あ、そうそう。俺と君の故郷の事は内緒にしておいたほうがいい。知識や技術を使うならこっそりだぞ? やり過ぎると変な奴に目をつけられるからな? 俺の仲間には適当に誤魔化しておくから、あの世界の事は俺と君の秘密だ、いいね? だけど二人の時だけは時々ニホンゴで話そうか』

 そう言って右手の小指を出すと、コウヘイ君は驚いた顔をして恥ずかしそうに小指を出した。

 その指は形だけは人間の手の形だったが、手の甲はすっかり黒い毛に覆われていた。

『約束の指切りだ』

『はい』




「グラン、そろそろいい? もう食べ終わってるでしょ?」

 ドアをノックする音がして、アベルの声が聞こえた。

「おう、もういいぞ」

 返事をすると、顔面チートのイケメンと熊男が入ってきた。

「紹介するよ。仲間のアベルとドリーだ」

「コウヘイです……」

 小さな声で呟くように言って、ベッドの上でペコリと頭を下げた。


「コウヘイ君はある日突然、原因不明の転移に巻き込まれて飛ばされて来たらしい。この辺りは元住んでいた場所と全く違うみたいで、自分の住んでいた場所がどの辺りかもわからず、帰るに帰れない状態という事だ。たまたま持ってたスキルのおかげで言葉はわかるみたいだからよかったなー。それでこっちの常識とか法律を全く知らなくて、魔物を狩りすぎたって話だよね?」

 アベルとドリーに大まかに説明をしつつ、コウヘイ君の方を向いて確認を取る。間違った事は何一つ言ってない。万が一、真実の魔法や魔道具を使われても嘘判定はされない。

「は、はい」

「なるほど、嘘ではないようだな。確かにあの顔立ちは、この周辺諸国では見ない顔立ちだったな」

 あー、やっぱり魔道具使ってますよねー。さすがドリー、抜け目ない。

「で、どうすんのこの子?」

「うーん、コウヘイ君の返事次第だけど、連れてっちゃダメ?」

 アベルの真似をして、あざとさを意識して首をコテンと傾けてみた。

「ええ? グランそれ本気で言ってるの?」

 まぁ、反対はされるよなぁ。

「このままレイヴン達のところに残して行くわけにもいかないし。こっちの法も常識も知らないから、放り出すわけにもいかないだろう。それに呪いがこれ以上進行してどうなるかわからないから、彼が独り立ち出来るくらいまでは一緒に行動したらダメかな?」


 ある程度の常識さえ覚えてしまえば、彼のスキルがあればこの世界で生きていけるだろう。

 ただし、生き物を殺すと呪いが進行する。呪いを進行させない為には、命のやりとりのある仕事は出来ない。

 つまり、一番手軽に稼げる冒険者の仕事ができないのだ。

 そしてこの姿だ。獣人と言ってしまえば問題はないが、人間中心の国だと獣人は目立つ。激しい差別こそないものの、獣人を受け入れない職場も少なくない。

 しかもコウヘイ君の場合、顔が完全に犬になってしまっている。耳とか尻尾を隠せば人間に見える程度の獣人とは違い、かなり獣に近い。そうなると受け入れてくれる職場は更に限られてくる。

 受け入れ先の少ない者は冒険者になるのが手っ取り早いのだが、その冒険者での活動がコウヘイ君には難しい。魔物を狩れない冒険者の収入は低く、生活は少し厳しめだ。


「俺は連れて行った方がいいと思うぞ。呪いの件もそうだし、スキルもスキルだ。野放しにするより、近くに置いておく方がいい。ただし、躾はする」

 まさかのドリーが俺の意見に賛成。しかし、熊みたいな顔で凄むので、小柄なコウヘイ君が体をすくめて更に小さくなってしまっている。

 ドリーはおそらくコウヘイ君のユニークスキルが、悪い大人に悪用される事を懸念しているのだろう。

「でもどうするのさ。獣人と言ってしまえば問題ないと思うけど、シランドルもユーラティアも獣人で仕事探すのは厳しいよ。魔物を倒せないんじゃ冒険者にも狩人にもなれないし、独り立ちするの難しいんじゃない? ドリーかグランが面倒みるの?」


 アベルの言うことはもっともである。

 連れて行くだけでは解決しない。いつまでも俺たちが面倒を見るわけにもいかない。コウヘイ君は呪いを進行させず、一人でもこの世界で生きていけるようにならないといけない。


「それについては俺に考えがある。その前に坊主、お前は俺達と来る気はあるか? そして、何か自分で出来る事を見つける気はあるか?」

「は、はい。一緒に行ってもいいのなら、僕に出来る事をやりたいです」

 少し迷いながらもコウヘイ君は、俺たちと共に行動をする気があるようだ。

「確か光魔法のスキルを持っていたな? それなら、ヒーラーになればいい。ヒーラーなら魔物を倒せなくとも冒険者として生きていける」

 あー、なるほど。ヒーラーなら自分で魔物にトドメを刺すことはほとんどないから、呪いは進行しないな。自分で倒さなかったら呪いは進行しないよな? 後でレイヴンに確認してみよう。

「なるほど。光魔法のスキルは残ってるみたいだし、ヒーラーなら出来そうだね」

「幸い姿が変わっているから、指名手配されていても見つかる事はないだろう。冒険者ギルドで新しく身分証を作ってしまえばいい」


 確かに姿がかわっていて、今まで冒険者ギルドに登録していないのなら、新規で登録することもできる。今まで一度も登録していないのなら、魔力を照合されて身元がバレる事もない。

 誰でも登録できるのが冒険者ギルドの良いところでもある。居場所がない者が、一からやり直すことができるのが冒険者ギルドだ。


「コウヘイ君はそれでもいいのかい?」

「はい」

 まだ迷いはあるだろうが、他にこれと言って良い道もない。

「しかし、コウヘイという名前はこの辺りだと珍しいから、名前も変えておいた方がよさそうだな。名前付きで指名手配されてるからな」

「名前ですか……」

 ドリーの言葉にコウヘイ君が戸惑いを見せる。

 姿が変わり名前まで変わってしまうと、全くの別人になるようなもんだ。自分という存在が消える気がしてしまうのだろう。コウヘイ君が戸惑うのもわかる。


「まぁ、名前は身分証作るまでに考えておくといい。それより坊主、ちょっと細すぎだな! 冒険者は体力勝負だ。今まではギフトに頼った戦い方が出来ていたかもしれないが、これからはギフトの補助なしで生きなければならない。つまり体力と筋肉が必要だ」

 あ、なんか嫌な予感する。

 チラリとアベルを見るとすごく嫌そうな顔をして頷いた。


 俺も冒険者になったばかりの頃、ドリーにかなりしごかれた。

 王都にいる頃からドリーは、よく駆け出しの冒険者の面倒を見ていた。面倒見のいい性格でもあるが、人材を発掘するのが好きなのだろう。ドリーのパーティーのメンバーのほとんどは、ランクの低い頃にドリーが目をつけて育てた者だ。

 ドリーに任せれば安心なんだけど、筋肉ダルマにされそうで、そこの部分は安心できない。というかすでに話が筋肉の方向へ行っている。


「体力と筋肉ですか?」

 あー、コウヘイ君、その熊の言うこと真に受けないで!!

「そうだ、冒険者は体力がいるからな。ギフトなしでも一人前の冒険者になれるように、俺が教えてやろう。ついでに、冒険者やこの周辺諸国の法や文化についても教えよう」

 いや、ついでの方を先に教えてあげて? というか、そこ俺が教えるつもりだったんだけど。


「ドリー落ち着け。彼はまだ起きたばかりで体力も回復していないし、体の出来ていない子供にきつい鍛錬は良くないだろう。それに、体を鍛えるより先に気持ちを落ち着かせるのが先だろ?」

「ぬ、そうだな。では、今日は俺達だけで鍛錬するか。坊主は明日からにするから、それまでに気持ちを整理しておけ」

「は、はい」

 いや、鍛錬から離れてくれ。コウヘイ君もその熊に付き合わなくていいんだよ!


「グラン、逃げた方がよさそ」

「そうだな」

 アベルの耳打ちに、小声で答えた。


「俺は食器片付けて夕飯の仕込みがあるから、午後は忙しいな」

「あ、俺も手伝うよ」

「お、そうだな。手伝ってもらえるとありがたいかな!!」


 アベルとこそこそと逃げようとしたら、熊に後ろから襟を掴まれた。

「お前ら、南の森の敵の強さを身を以て知っただろう。もう少し鍛えておかないと素材集めできないよなあ。さぁ行くぞ!!」


 抵抗虚しく、アベルと共に熊に捕獲されて、午後は熊流地獄の筋トレに付き合わされる事になった。

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