第128話◆勇者と元勇者

 レイヴンが、そろそろコーヘー君が目を覚ますだろうと言うので、俺は今朝から彼の傍にいた。

 まるで、コーヘー君が目を覚ます事を知っている風な言い方だったな。まぁレイヴンだし、きっと森の主の凄い力なんだと思って気にしない事にしよう。


 レイヴンはコーヘー君の目覚めを予言した後、俺に彼の目覚めを待つように告げ、ドリーとアベルを鍛錬に誘って外に連れ出した。

 もちろんアベルはものすごく渋ったけど、ドリーと二人がかりで連れて行かれた。

 レイヴンが気を利かせてくれたのは、俺にでもわかった。 

 その後、程無くしてコーヘー君は目を覚ました。




「やぁ、目が覚めたようだね」

「……っ」


 犬の獣人――黒いコボルトのような姿になったコーヘー君が、ベッドの上で体を起こした。

 さて、何から話そう。


「俺の事は覚えてるかい?」

「ゥウッ」

 コーヘー君は何かを喋ろうとして、上手く声が出せなかった。

 ずっと寝てたから喉が渇いてそうだし、頭部が人間から犬のようになったのだ、上手く喋れないのだろう。むしろ、人間の言葉を喋れるかどうかも怪しい。

 しかしコーヘー君には、自動翻訳のスキルがあるから、人間の言葉が話せなくても会話は出来る気はする。


「声が出せないなら、頷くか首を振るだけでもいい。俺の事は覚えてるかい?」

 コーヘー君がコクコク頷いた。


 ずっと寝ていて喉がカラカラだろうから、すぐにでも水を飲ませてあげたいところだが、順序を間違えると間違いなくパニックを起こしてしまう。


 元の姿からかけ離れた姿になってしまっているので、コップから水を飲むのも難しいだろう。

 そして、眠っている間に人ではない姿に変わってしまったのだ、俺達が何かやったのだと勘違いされかねない。

 勘違いしたままパニックを起こして暴れてしまえば、力を失って魔力を封じているとは言えこちらも力での対応になる。


 それに、力を失っている事にも魔力を封じられている事にも気づかず、逃走を試みて窓から飛び出すような事があっても困る。

 レイヴンの家は大きな木の上にある。そこから、日本人の体で飛び降りたら無事では済まない。

 転移して来た時の影響で、多少は身体的に強化されているかもしれないが、レイヴンの家は俺でも身体強化なしでは飛び降りたくないくらいの高さの場所にある。



『君は日本人だね?』

 敢えて、記憶から日本語を掘り起こして話しかけた。

 犬の顔をしていても、コーヘー君が目を見開いたのがわかった。そして、コーヘー君の目からポロポロと涙がこぼれ始めた。


 あ、まずい。

 涙をぬぐったら、体の変化に気付いてしまう。

 コーヘー君が涙を手で拭う前に、手ぬぐいを取り出して涙を拭いてやる。そしてその頭を撫でた。

『一人で知らない世界に来て辛かったな』

 犬でもしゃくりあげるんだなぁと思いながら、コーヘー君が落ち着くまで待つことにした。

 とりあえず今のところ、まだ体の変化には気付いてないようだ。




『これから俺が話す事、君の身に起きた事、君が知る事は、君にとって非常に辛い事実だ。受け入れろとは言わない、だが話は最後まで聞いて欲しい。もし途中で暴れるような事があったら、俺も力で解決しなければならなくなる、いいね?』

 コーヘー君が落ち着いたのを見計らって、できるだけ優しく話しかけた。


 姿の変化の事は、先延ばししてうっかりバレてパニックになられても困るので、先に教えた方がいいだろう。

 それに、辛い事を最初に知っておけば、追加で知る事のダメージが小さくて済むと思うんだ。

 俺は嫌な事は最初に終わらせてしまいたい派だ。嘘、たまにめんどくさいことを先伸ばしにして、アベルに怒られる。

 そんな理由でまずは、今の姿を教える事にした。


『いいかい? 信じ難いかもしれないが、これは君の身に実際に起こっていることだ』

 まっすぐに目を見て告げると、コーヘー君は不安そうに頷いた。

 収納スキルの中から四角い鏡を取り出して、コーヘー君の方へと向けた。


 コーヘー君は暫く不思議そうに鏡を見つめた後、目を見開いた。そして食い入るように鏡を見つめた後、ゆっくりを手で顔を触り、最後に自分の手のひらを見つめた。

 すっかり毛が生えてしまっているが、コーヘー君の手の形は、まだ人間のそれに近い。

 呆けたように手を見つめた後に我に返ったのか、頭を抱えて掠れた叫び声――いや、咆哮を上げた。

 俺は鏡を収納に戻し、その様子を黙って見守った。





 暫くしてコーヘー君は、肩で息をしながら虚ろな目でこちらを見上げた。

『受け入れられないかもしれないが、それが今の君の身に起こっている事だ。その理由はこれから話すよ』

 そう言って、ヒーリングポーションを混ぜた水の入ったカップを、コーヘー君に手渡した。

『喉が渇いているだろう? 毒等入ってないから安心しろ。ヒーリングポーションは入ってるけどな。飲めば少しは喉の調子がよくなる。鑑定スキルがあるなら鑑定すればいい』


 こっちの世界で生きる為の便利スキルをいっぱい持っているようだったので、どうせ鑑定も持っている気がする。

 やはり鑑定スキルを持っていたのが、コーヘー君はヒーリングポーション入りの水を見つめた後、それを飲む素振りを見せた。

 しかし、慣れない犬の口では飲みにくいようで、零れた水がポタポタとコーヘー君の膝の上の毛布を濡らした。まぁ少しでも飲めたなら、ヒーリングポーションの効果で、声は出るようになるだろう。


『喋れるようなら、君の名前と歳を教えてくれないかな?』

『コウヘイ。ササキ・コウヘイ……十四歳』

『コウヘイ君ね。俺はグラン。たまたま通り掛かった、元日本人の生産者兼冒険者だ』

 コウヘイ君の虚ろな目を覗き込むように視線を下げて、俺は自分の素性をコウヘイ君に伝えた。



『じゃあ、順を追って君の置かれている状況を説明するよ。そして、君の事を教えて欲しい。順番に質問するから、答えたくない事は答えなくていい。何か聞きたい事があったら後で纏めて聞くよ』

『はい……』

 自分の姿に衝撃を受けた様子のコウヘイ君は、そのショックから立ち直れない様子で、虚ろな目で無気力な返事をした。

 どうやら、喋る事は出来るようだ。


『君は日本人で合ってるね? そしてここは、君がいた世界とは違う世界という事はわかるかい?』

『はい』

『じゃあまず、君がどうしてその姿になったかと言う話だ。君はこちらの世界に来て、たくさん魔物を殺したね? その中に強い魔物も多くいたよね?』

 コウヘイ君の黒い瞳がわかりやすく揺れた。

 瞳の色と体毛の色は、人間だった頃の瞳と髪の毛の色なのだろう。懐かしさを感じる少し茶色味を帯びた黒い瞳が、戸惑いを隠し切れず落ち着きなく揺れている。


『たくさん殺しました。魔物を倒せば喜んでもらえたから……』

『うん、そうだね。魔物の被害に困っている人はたくさんいるからね。俺も冒険者だから、魔物を倒すのが仕事だからね。だけど物事には限度って言うものがあるからね。まぁ、その話は今は置いておこう。それでだ、君がその姿になった原因は、君が殺したか傷つけた魔物が君に掛けた呪いだ』

 出来るだけきつい言葉にならないように、諭すように説明をしていく。

『じゃあ、その魔物を倒したら元の姿に?』

 コウヘイ君の表情が少し明るくなった。だが、俺は残酷な現実を伝えなければならない。

『君の呪いは君のギフトが反転した物だ。ギフトが呪い化した物の解呪は難しい。ステータスを見るスキルはあるかい? あるなら確認してみるといい』


 ステータスを見れば、彼は更に絶望するかもしれないが、どうせすぐ気付く事だ。さっさと、教えてしまった方がいい。

 スキルや魔法の挙動は、使用者の知識やイメージに影響される。俺と同じくらいの時代の日本から来て、十四という歳なら"ゲーム"をやり慣れていてもおかしくない。鑑定スキルも持っているようだ、俺と同じようにステータス画面を見る事が出来ると予想をしている。


『旅人? ギフトがなくなって、スキルも減ってる……どうして……これが呪いなの?』

『俺は君のステータスを実際に見たわけじゃないから、詳細がどうなっているかはわからないが、君のスキルやギフトを見た仲間の話によると、ギフトが呪いに変わって、そのギフトの影響下にあるスキルが弱体もしくは消失したらしい。そのギフトが変化した呪いが、君が今の姿になった原因だよ。そしてその呪いを解く手段はないと思っておいたほうがいい』

『そんな……っ!! じゃあ僕のギフトは!? 呪いは解けないの!? 僕は勇者なんだよ!! 僕は魔物を倒して魔王を倒しに行かないといけないんだ!?』

 コウヘイ君がベッドに座ったまま、毛布の上に手を突いて、俺の方へと乗りだして来た。

 あー、やっぱりそこ勘違いしちゃってたか。


『俺も勇者だよ――この世界の"勇者"は特別な存在じゃないんだ。他の人より適性のある戦闘スキルが多いだけの、ちょっとだけレアな"天職"ってやつだよ。珍しくはあるけど、勇者は俺達以外にも存在するんだ』

 まぁ俺の場合、魔法が使えないせいでただの器用貧乏だけど。


『天職? 特別じゃない?』

 コウヘイ君が、大きく目を見開いた。犬の顔なので感情が読み取りにくいが、おそらくかなり動揺しているのだろう。

『そう。その人が向いてる職業ってやつだよ。別に天啓とか選ばれた者とかじゃなくて、汎用型戦闘職みたいなポジションだね。勇者に向いてるって言われても、抽象的過ぎて困るよな』

 実際俺もガキの頃思いっきり期待したしね。

『じゃあ、魔物は!? 人間を襲う魔物は!? 魔物を操ってる魔王は? 魔王はいるって聞いたよ!』

 あー……、魔族の王の事を魔王って言うんだよなぁ。魔族の国は存在してるけど、普通に貿易してるよね。俺は行ったことないけど、ユーラティア王国から、海を渡った南の島国だった気がする。


『魔物は、コウヘイ君のいた世界の野生動物みたいなものかな。時々人間並みか、それ以上に賢いのもいるよ。人間とは違う姿だけど会話できる者だっている。それから魔王は、魔族の王の事を魔王っていう事があるな。どっかの国が魔族と戦争してた時代もあるけど、この辺の国は今は魔族の国とは普通に国交があって、貿易もしているよ』

 コウヘイ君の勘違いを一つずつ潰して行く。

『そんな……でも魔物は人間を襲うって聞いたんだ! 魔物に食べられた人もいるって!』

『コウヘイ君のいた世界でもたまにあったでしょ。 海外の肉食獣の食害事故とか、日本だとヒグマが一番有名かな? 俺が知ってる時代なら情報社会だったけど、そういう"ニュース"とか"記事"とかなかった?』

『あ……』

『こっちはね、コウヘイ君のいた世界より人間と自然の距離が近いんだ。魔法があるからだろうね、科学ってやつがあまり発展してないんだ。そのせいもあって、人口密度はコウヘイ君のいた世界よりずっと低い。つまり野生動物が多くて、それらに襲われる事も多いんだよ。だからそうならない為に、魔物と戦う事を生業にしてる人がいるんだ。でも、コウヘイ君の世界でも、肉食獣が人間を襲ったからって、その肉食獣を全部殺したりはしなかっただろ?』

『うん……』

 コウヘイ君は勘違いを悟ったのか、項垂れて膝の上で手を握り締めている。


『それでだ、君の呪いの話だ。君に掛かっている呪いは、君が生き物の命を奪うと呪いが進行して、君は獣へと近づいていく呪いのようだ。詳しい事は俺にはわからないが、もし君がこれからも生き物を殺し続けるなら、君は獣となりいずれ獣ですらない何かになる』

『獣……ですらない……何か?』

 コウヘイ君の口と手がカタカタと震えているのがわかる。

『ああ、それが何なのかはわからない。ただ獣ですらない"ナニカ"という事しかわからない。ステータスで呪いの詳細を見れるなら自分で確認するといい』

『汝……獣ですら非ず』

『おそらく、君が無差別に殺したり傷つけたりした魔物に掛けられたのだろう。理由のない殺戮は、獣ですらないと』

『あ……あぁ……』

 コウヘイ君が両手で口を押るように、顔の辺りに手を運んだ。

 しかしその行動は、自身の顔が犬のそれになっている事を、本人に強く再認識させる事になったようだ。


『殺さなければ、これ以上獣化はしない。しかし元の人間に戻るのは絶望的だ。これからはその姿で生きて行かなければならない。そして、うっかり何かしらの命を奪えば呪いは進行する。今はまだ君には人の心が残っている。この先どうするか、ゆっくり考えるといい』

『…………』


 色々いっきに話すより、少し考える時間をあげたほうがいいだろう。

 それに、目覚めたばかりだしね。

 一旦会話を終了して、ドアの方へと歩いて行く。

 ゆっくり考えるなら一人の方がいいだろう。

 逃走できないように、アベルが部屋に結界を張ってくれているから、窓から飛び降りたりはないだろう。



『後で食事を持って来るから、それまでもう少し休んでるといい。あ、そうそう。ここはね、つい先日君と対話を試みようとして、君が傷つけた鳥の獣人の長の家だよ。彼は、行き先の無い君をこの村で休ませる事を快諾してくれたよ。この世界はね、姿形では判断できない者はたくさんいるんだ』




 部屋を去る前に、つい余計な事を言ってしまった俺は、大人げない。

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