第91話◆見た目は重要

「お待たせいたしました」

 コトリと小さな音を立てて置かれた白いカップから、コーヒーの良い香りが漂って来た。

 あー、前世で馴染みのあるコーヒーの香りだ。とても懐かしい。香りが強すぎなくて俺の好みだ。

 一緒に出されたミックスサンドとレアチーズケーキも、美味しそうだ。そして、どこか懐かしさを感じる。

「いただきます」

「え?」


 思わず手を合わせると、店主の女性が驚いた顔になった。

 しまった! これは前世の作法だった!! 美味しそうな物を見るとついやっちゃう癖は気を付けないと、知らない人に怪しまれる。

「あ、ああ。どっかの国の作法らしくて、教えてもらって以来つい癖になっちゃって。気にしないでくれ」

「は、はい。あ、コーヒーにお砂糖とミルクは必要ですか?」

「いや、何も入れなくて大丈夫だ」

 コーヒーはブラックが好きなのもあるけど、初回はなおさら何も入れないで味と風味を楽しみたい。


 口を付けると、コーヒーの苦みが口の中に広がった。

 味にトゲトゲしさがなく、苦みは強くても後に引く感じがない。俺のリクエスト通り酸味は控えめで、強い香ばしさもない。

 つまり、俺好みの味で満足という事だ。


「すごく俺の好きな味だ、ありがとう」

「いえ、こちらこそ。お口に合ったようでよかったです。三杯まではおかわり無料ですので、おかわりが必要な時はお声をお掛けください。それではごゆっくりどうぞ」

 なるほど、一杯だと高く感じるが、三杯でこの値段ならそうでもないな。一杯だけなら高めの値段設定で、三杯までおかわり出来るというのは、やはり一人の客の滞在時間が長くなることが前提なのだろう。

 よく見れば店内には本棚があり、本がたくさん並べられている。専門誌より、大衆紙や新聞、娯楽系の書物が中心のようだ。


「本棚の本は借りてもいいのかい?」

「ええ、ご自由にどうぞ」

 そういう事なら、食べ終わったら借りてみようかな。たまにはゆっくり読書も悪くない。


 本を借りる前に、ミックスサンドとチーズケーキを食べちゃおう。

 ミックスサンドが俺のイメージ通り、複数の種類のサンドイッチだったのでちょっと嬉しい。頼んだ後に俺が思ってるのと違ってるかもと、実は少し不安だった。

 玉子サンドに、ハムレタスサンド、チーズトマトサンド。サンドイッチの定番だ。

 コーヒーにミックスサンド。前世の記憶にある喫茶店!って感じの食べ合わせで、初めての場所のはずなのに、すごく懐かしい気がしてしまう。

 コーヒーの味もサンドイッチも味も、元日本人の俺好みの味で、思わず前世の記憶がぶわっと戻って来そうだ。


 そして、レアチーズ。タルト生地の上に、レモン風味のレアチーズがたっぷりと詰まっている。

 あー、これこれ喫茶店のスイーツの味! とても懐かしくて泣きそう。

 前世で学生の頃はよく喫茶店でレポート書いてたよなぁ。社会人になってからは、外回りの空いた時間にこっそりサボってたりもしたな。

 っと、あんまり前世の事思い出しすぎて、うっかりこんなところで黒歴史を思い出して悶えるわけにはいかないので、前世の記憶には蓋をしておかねば。


「ご馳走様、美味しかったよ。コーヒーのおかわり貰えるかな」

 食べ終わって空になった皿を返しながら、コーヒーのおかわりを頼んだ。

「はい、コーヒーは先程と同じでよろしいですか?」

「あぁー、折角だからマスターのお勧めにしてみようかな。頼めるかい?」

「ええ、お任せください」


 コーヒーを待つ間に本棚に並んでいる本を見てみる。

 新聞や大衆紙が多いが、よく見ると女性向けのロマンス小説というやつだろうか、それっぽい本も結構たくさんある。

 おしゃれで雰囲気のいいお店で女性の店主だし、女性客も結構来るのかもしれないな。

 冒険譚系の小説を見つけたので、それを手に取って元の席に戻って本を広げた。前世ではこういう小説すごく好きだったよなぁ。

 よく真似して……うっ! これ以上はいけない!


 本を開いて読み始めたところで、スッとコーヒーが置かれた。

「ありがとう」

「ごゆっくりどうぞ」

 出て来たコーヒーにそっと口を付ける。

 先程頼んだのよりやや苦みが強く酸味がほとんどない。レアチーズケーキを食べた後なので、口直しには丁度いい苦さだ。

 そして、サイフォン式なのに濃いというかかなりコクが強い。

 読書しながら飲むには丁度いい濃さだな。あまり飲みすぎると夜寝れなくなりそうだな。

 そんな心配をしていたが、気づけば手に取った本を読むのに夢中になっていた。


 現役冒険者が冒険譚を読むのはおかしな事かもしれないが、前世で憧れていた冒険者は、実際の冒険者より、こういった物語の中の冒険者の方が近い。

 旅に出て、仲間と一緒に成長して強敵を倒す。それだけの筋書きなのに、何故かとても楽しくて憧れる綺麗な世界。ペラペラと本をめくっているうちに二杯目のコーヒーも無くなっていた。

 時計を見るとすでに昼を過ぎていた。

 本に熱中してるうちに、いつの間にか客が増えていたようだ。あまりの居心地の良さについ長居してしまった。

 折角だから三杯目を頂いてから帰ろう。


「コーヒーのおかわり貰っていいかな?」

「はい、次はどのようにしましょう」

「お任せで」

 二杯目をお任せにしたのが飲みやすかったので、三杯目もお任せだ。

「畏まりました。次もブラックがよろしいですか?」

「んー、おすすめがあるならブラックじゃなくてもいいかな。甘すぎるのはちょっと苦手だけど」

「畏まりました。では少々お待ちください」

 そういって、店主は店の奥へと入って行った。

 あれ? さっきまで目の前で作ってたけど、今度は違うのか?


「お待たせしました」

 そう言って店主が俺の前に出したのは、少し小さめのカップでフワフワと泡立ったミルクが乗っているコーヒー。

「カプチーノ?」

「よくご存じですね」

「ああ、遠くの国で飲んだ事があるんだ」

 異世界という遠くの国で飲んだ事があるから嘘ではない。

「そうでしたか。どうりでコーヒーを飲み慣れてる雰囲気がしたわけですね」

 うん、前世でめっちゃ飲んでた。それにしてもカプチーノという事は……。

 出されたコーヒーに口を付けて、予想通りの味に目を見開く。

「エスプレッソ……」

 カプチーノはミルクが入っているが、上の方はふわふわと泡立っている為見た目ほどミルクの量は多くない。そしてベースはエスプレッソなのでコーヒーの味は濃く、ミルクが加わる事で程よい苦みになる。コーヒーには砂糖もミルクをあまり入れない俺でも、カプチーノは好きだ。


「ご存知でしたか」

 どっちも水蒸気圧を利用した仕組みなので、サイフォン式の道具があるという事は、エスプレッソ式があってもおかしくないよなぁ。

 それにしても、今までコーヒーのコの字にも出会えなかったのに、比較的近場に本格的にコーヒーが楽しめる店があるなんて……。

 どうして、もっと早く気付かなかったんだ!! 悔しい!!


「普段はサイフォン式がメインで?」

 不思議に思ったから聞いてみた。

「ええ。見た目が好きで……いえ、もちろんサイフォンで淹れるコーヒーの味も好きですよ。でもやっぱりコーヒーサイフォンって、見た目がおしゃれで可愛いじゃないですか」

 彼女は恥ずかしそうに俯くがその気持ちわかる。見た目大事。

「わかる。サイフォンもアルコールランプも、おしゃれな感じで好きだな。おしゃれで味もいいなんて最高じゃないか」

「ですよねですよね! サイフォンちゃんは見た目も可愛いし、サイフォンちゃんのコーヒーは優しい味なんですよ。手入れはちょっと手間が掛かるけど、そこがまたいいみたいな? エスプレッソちゃんはそのままだとすごく濃くて力強い感じなんですけど、スチームミルクと合わされると、ゆるふわの中にキリッとした存在感があってそれが萌みたいな。ドリップちゃんもちゃんといますよ! ドリップちゃんは王道ですね! まさに主人公って感じです。でも、ドリップちゃんは淹れる人次第で味が凄く変わりますから、王道でありながら繊細!」

「お、おう」

 なんだか、急に人が変わったように早口で捲し立てられた。

 俺も自分の好きな事話す時は、早口で捲し立ててる気がするから、気持ちはすごくわかる。この店主、コーヒーが本当に好きなんだなぁ。

「あ、すみません。私ったらつい」

「いや、コーヒーに対する熱意がよくわかったよ」







「ありがとう、美味しかったよ。豆も売ってもらえてありがたい。また来るよ」

「はい、またぜひお越しください」

 三杯目のコーヒーを飲み終わって、そろそろいい時間なのでお会計をして帰る事にした。

 雰囲気のいい店だったので、すっかり長居してしまった。帰り際に俺好みのコーヒー豆も売って貰えた。アベルが好きそうな、ほんのり甘味があるフルーティな豆も売って貰った。

 お会計を済ませて、手を振って店を出て、預けている馬を回収しにアルジネの冒険者ギルドへと向かった。


 あまり物流の便のよくないアルジネに、ユーラーティア王国では手に入らないコーヒー豆を豊富にそろえた、本格的な店がどうしてあるのかはちょっと不思議だけど、お店の内装や機材の揃い方、そして店主の話し方からすると、あの店主はどこかのお嬢様なのだろう。

 水に囲まれた小洒落た町にあの喫茶店の雰囲気はとてもよく合う。お金持ちのお嬢様が、独自の仕入れルートを握っているとかなのかもしれない。

 日帰りできる範囲に、コーヒー専門店があるのは非常にありがたいので、深く考えない事にした。






 そんな事を考えながら、馬の引き取りの手続きをしようと冒険者ギルドへ向かうと、受付カウンターの周辺がなんだか騒がしいようだった。


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