第90話◆水の街

 その日、俺はどうしても我慢が出来ず、冒険者ギルドで馬を借りて、街道をひたすら西へと向かった。

 目的地は、パッセロさんがコーヒー豆と、コーヒーを淹れる道具一式を買って来たという店。


 乗合馬車だと日帰りが厳しそうな距離だが、馬なら余裕で日帰りできる距離だったので、冒険者ギルドで馬を借りてその店のある町を目指した。

 冒険者ギルドで借りれる馬は、冒険者が使う事を前提とした体格の良い、魔物をあまり恐れない性格の馬だ。足も速く体力もある種だが、気難しい性格の個体が多い為、性格の合う馬がいなければ、町の馬屋で穏やかな性格の馬を買おうと思っていた。

 運良く相性のいい馬がいたので、冒険者ギルドの馬を借りる事ができた。

 借りたら返さないといけないので、冒険者ギルドで馬を借りるのは近場の移動の時に限られる。


 朝早くにピエモンを出発して馬を走らせて到着したのは、ソートレル子爵領の西隣、アゲル伯爵領のアルジネという町だ。

 あまり大きな町ではないが、王都とシランドルを繋ぐ街道と、北から南へと流れる川が交差する場所にある町だ。


 川はあるが、川は街道よりも魔物に対するリスクが多い為、交易に川を利用することはあまりない。街道以外の物流の便はあまり良い場所ではないこの町に、南国の飲み物の店があるのが、ちょっと不思議だった。

 まぁ、そんな事より、そのコーヒーを取り扱っている店で、先日パッセロさんに貰った豆以外にも、他の種類の豆があるのかなーって気になったんだ。


 というわけでコーヒーを求めてアルジネの町までやってきた。川沿いにあるこの町は、町の中に川から引かれた水路が走っており"水の街"といった感じで、街並みに水路が溶け込んでいてとてもおしゃれな雰囲気だ。

 きっと春に来ると、花がたくさん咲いてて綺麗なんだろう。今は秋なので、紅葉したポプラっぽい木の並木が見頃だ。


 町を散策するのに馬は邪魔になるので、冒険者ギルドに預けておいた。冒険者ギルドで借りた馬なので、支部は違っても一時預かりはしてもらえるのだ。

 馬も預けたし、目的の店を探しつつアルジネの町を散策だ。アルジネの町に来るのは初めてなので、何があるか楽しみだ。

 店のだいたいの場所はパッセロさんに聞いているが、ついでなのでアルジネの町を散策するつもりだ。川沿いの町なので、川魚はピエモンやソーリスより豊富そうだ。


 ソートレル子爵領は内陸部なので、海に面している地域はない。大きな湖も川もない為、自然と肉中心の食生活になる。オルタ辺境伯領に食材ダンジョンがある為、ソーリスではピエモンよりは魚を安く買えるが、それでもやはり高い。

 しかし、ここアルジネは目の前が川である。あまり大きな川ではないが、規模は小さくても漁業も行われているはずだ。


 何かいい魚はいないかとチラっと魚屋を覗いてみると、サーモンっぽい魚がいた。

 前世の鮭と同じような生態なら、秋なので産卵のため川を上って来たものだろう。見ると子持ちのような物も並んでいるが、川を上って来た鮭はそのまま調理しても美味しくない印象がある。かなり安い値段で売られているが、上手く料理できる自信がないので今回はスルーだ。


 河口の方の町まで行けばもしかすると、素人でもおいしく料理できる、子持ちのサーモンに出会えるかもしれない。

 ソーリスでもサーモン系の魚は売っていたのだが、おそらく食材ダンジョン産の物だと思われ、子持ちのサーモンはいなかった。サーモン系の魚の卵好きなんだよなぁ。プチプチしたい。


 サーモンは諦めて、よくわからない川魚とか、カニとかを買ってしまった。収納スキルあるとついね……魚をたくさん入れても、収納スキルの内部が生臭くなったりはしないから大丈夫。


 アルジネの商店街を暫く散策した後、目的の店へと向かう事にした。パッセロさんが簡単な道筋のメモをくれたおかげで、商店街の裏通りにひっそりとあるその店はあっさりと見つかった。



 『リーパ・フルーミニス』



 そう書かれた三角看板が、レンガ作りの建物の前に出ていた。建物から吊り下がっている看板は、カップの絵が描かれているので、この店で間違いないだろう。

 前世の記憶の感覚だとアンティーク調というのだろうが、今世だとわりとよく見かける雰囲気のおしゃれな外観だ。窓は小さく高い位置にあるので中の様子は外から見えない。ちょっと入り辛そうなところが、俺好みの隠れ家的な雰囲気を出している。

 カランカランとドアベルの音をさせて扉を開けると、外観と同じくアンティーク調の内装の店内は、コーヒーの香りで満ちていた。

 橙色の柔らかな光源で少し薄暗い店内は、上品で落ち着いた空間になっていた。


「いらっしゃいま……しいくっっっ!?」

 カウンターにいた女性が、いらっしゃいませと言おうとして噛んだようだ。

 俺と同じくらいの年齢だろうか、綺麗系の顔立ちの金髪のお嬢さんが、カウンターの中でこちらを見ながら口をパクパクしていた。

 誰だって言葉を噛む事くらいあるだろうけど、客商売だったら噛んじゃうとちょっと焦りそうだな。


「い、いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ」

 我に返った金髪のお嬢さんが、改めて席を勧めてくれた。一人だしカウンターでいいかな。

 店内には、俺の他にも客が何人かおり、本を読んだり、書類仕事をしたりと、皆寛いでいる。

「お客様はうちの店初めてですよね? コーヒーは初めてですか?」

「いや、先日知り合いがこちらで道具と豆を買ってきて、淹れてくれたのを飲んだんだ。それで、こちらの店でコーヒーを飲んでみたくなって来てみたんだ」

 そう言うと、金髪の女性は少し驚いた顔をした。他に店員はいないようなので、この女性が店主なのだろうか。

「そうでしたか。わざわざ足を運んでいただきありがとうございました。ようこそ、コーヒー喫茶リーパ・フルーミニスへ。こちらがメニューになっております」

 そういって、縦長のメニュー表を出してくれた。


 出されたメニュー表を上から見ていく。なんとなく前世の喫茶店を思い出すメニューが並んでいて、ちょっと懐かしい気持ちになる。

 値段はコーヒー一杯が小銀貨一枚なので、それだけで庶民の一食分くらいの値段だ。それに他のメニューも追加すると、小銀貨二枚を超えるので、普通の庶民向けの定食屋よりかなり高い値段設定だ。

 店内の客を見ると、のんびり寛いている人がほとんどで、おそらくコーヒーを飲みながら長時間お店にいるのだろう。

 客の回転率より単価を優先して、一人の客がのんびりと長時間店にいる事を想定した値段設定だと思われる。

 前世でもそういう喫茶店はけっこうあった。喫茶店で勉強したり仕事をしたりで、何時間も居座っていても嫌な顔をされない店。そういうお店はわりと好きだった。


「コーヒーとミックスサンドを貰おうかな、後レアチーズケーキを」

 コーヒーにはやっぱサンドイッチだよな、と思った後にメニューの下の方にレアチーズケーキを見つけて、つい追加で頼んでしまった。

 前世でよく行ってた喫茶店のレアチーズケーキ好きだったんだよなぁ。まだ昼前だけど、お昼ご飯代わりにしてしまおう。

「畏まりました。コーヒーのお味のお好みはありますか?」

「うーん、そうだな苦みは少しくらい強くても平気だけど、酸味はあまり強くない方がいいかな」

 先日パッセロさんに淹れてもらったコーヒーは、かなりフルーティーな感じでほんのりした甘味もあり、コーヒーが初めての人でも飲みやすい感じだった。

 前世ではブラックコーヒーをよく飲んでた俺は、もうちょっと苦みが強くても平気だ。


 そして、パッセロさんが買ってきた豆は、ブレンドされた状態だった。つまり、複数の種類のコーヒー豆が存在していると言うことだ。

 パッセロさんがコーヒー豆を買って来た店に行けば、違った味のコーヒーが飲める可能性があると思い、ついアルジネまで来てしまったのだ。

 予想通り、店のカウンターの後ろには、色の違う豆が入った瓶が複数並んでいた。


 好みを伝えると店主の女性がニコリと笑った。いや、少し不敵な笑みにも見えた。

「香ばしい方がお好みですか?」

「んー、あまり香ばしすぎないほうがいいかな」

「畏まりました。それでは少々お待ちください」



 目の前でコーヒーサイフォンがコポコポとなるのは、見ていてとても楽しい。お店の雰囲気と合っていてとても厨二心をくすぐられる。

 どうしてドリップ式ではなくサイフォン式なのかという疑問があったが、こうして見るとサイフォン式の見た目の良さでどうでもよくなった。

 転生して今までコーヒーを見た事はなかったが、案外身近な場所にあったのは驚きだ。パッセロさんの話では最近噂になり始めた店らしいが、何種類ものコーヒー豆をどこから仕入れているのか非常に気になる。

 アルジネは物流の便がそこまで良い場所でもないし、コーヒーといえば暖かい地域の飲み物のイメージだ。そしてコーヒーサイフォンという器具を作成するのにも、高い技術がある工房がないと無理だろう。ドリップ式の方が器具には手間がかからないから、手軽そうなのになぁ。

 しかもパッセロさんがコーヒーサイフォンを買って来たという事は、販売用の在庫もあるのだろう。カウンターの中にもコーヒーサイフォンが複数並んでいる。

 お店の内装も上品で質の高い家具が揃えられている。もしかしてこのお嬢さん、実はすごくお金持ちのお嬢様なのでは?

 なんて事を考えたながら、ボーっとコーヒーが出来上がる様子を眺めていた。

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