第85話◆閑話:チート魔導士の奔走
「はー、ホントやになっちゃうよね」
誰に言うでもなく、ポロリと言葉を漏らした。
年配の侍女に髪を梳かれながら、グランに作ってもらった"ネイルチップ"を爪に付けていく。
小さな魔石を散りばめてキラキラと光るそれは、その名の通り爪ほどの大きさであるにもかかわらず、その大きさに見合わない強力な付与がされている。よく見ないと気づかない事とはいえ、あいかわらずとんでも技術である。
まぁ、高級素材を用意してやれるだけやってくれと言ったのは俺だけど。
グランの試作品では樹脂を加工した物だった土台部分を、高位の魔物の素材を使った物に変更し、装飾部分も色ガラスや普通の魔石ではなく、上位の魔物の魔石を使用している。
一つ一つは指輪や耳飾りなどの装飾品には及ばなくとも、金銭的効率を考えなければ手の指だけでも十、足も入れば二十も付けられる。
見た目を飾るだけではなく、付与効果を持たせた装飾品としても優秀な物だ。見た目の需要だけではなく、性能での需要もあるだろう。
貴族だけではなく、冒険者や剣を握る騎士達にも需要がありそうだ。
田舎でのんびり暮らしたいとか言って、こんな物を次々と作ってしまうのだからホント困る。
王都から遠く離れた田舎に引き籠って、やりたい放題やっている友人を思い出してため息が出た。
今回は変な商会に目を付けられるし、ホントめんどくさかった。めんどくさすぎて、商会ごと焼き払ってやろうかと思った。
王都の
部屋に控えている護衛の騎士にドアを開けさせると、長兄の守護騎士の姿が見えたのですぐに立ち上がりドアの方へと向き頭を下げた。俺の髪を梳いていた侍女も壁際まで下がり、深く頭を下げている。
守護騎士に遅れて、護衛を引きつれた長兄が俺の部屋に入って来た。
「よい、楽にしていい。あまり畏まられるとお兄ちゃんは寂しいよ、エクシィ」
最近では呼ばれる事がほとんどなくなった名前の愛称で呼ばれると、自分の事だと言うのに違和感しかない。
楽にしていいと言われたので顔を上げると、ニコニコとした顔の腹違いの兄がすぐ近くにいた。
柔和な印象の笑顔を浮かべていて、何よりも家族を大切にする人だが、その笑顔の裏には厳格で冷徹な部分も隠されている。油断すれば簡単に飲み込まれてしまう。魔法でなんとでもなる魔物どもの相手の方がよっぽど楽だ。
「ご機嫌よう兄上、わざわざこちらまで足を運んでいただき、どうかされましたか?」
王都に戻っても用事がある時にしか実家には戻らない俺は、いつも忙しい腹違いの兄とは仕事以外でほとんど会う事がない。
その兄が、わざわざ俺の部屋まで来た事には何か意味があるはずだ。
「やだなぁ、エクシィ。兄が弟に会いに来るのは当たり前じゃないか。ところで、エクシィのお友達の身の周りは落ち着いたかい? 落ち着いたなら、そろそろ僕にも紹介してくれないかい? 先日の首飾りのお礼もしたいところだし」
やはりその話か。
あれは俺にも原因があるが、出来る限りの素材を渡してグランに作ってもらった、とんでも首飾りを兄に渡して以来、以前にも増してグランに会いたがっている。
兄がグランを囲い込みたがっているのはわかっている、そして兄が後ろ盾になれば、グランに手を出せる者はほとんどいなくなる。しかしそれと同時にグランが表舞台に引きずり出される可能性が高い。そうなると、あれだけの発想と能力を持つ人物が政治の駒にされないわけがない。そしてグラン自身は何も権力を持たない平民だ。身分の高い者からの強制力に逆らう術がない。
後ろ盾は必要だが、決してこちらの世界に引き込むわけにはいかない。
「その件でしたら解決しましたよ。グランも望み通りの平穏な生活に戻ってますし、また何かあったらお知らせしますよ」
「そうかい。今回はバーソルト商会とオルタ辺境伯を味方につけたみたいだね? うんうん、エクシィにしては随分貴族らしく立ち回ったようだね。でも、まだそれだけでは足りないだろう? 彼の功績があれば、彼自身に爵位をあげて、彼を庇護している君の爵位を一つくらい上げても、文句をいう人はいないんじゃないかな? そうすれば君も彼を守りやすくなるのではないかな」
服の下に付けていると思われる、グラン作のとんでも首飾りがある位置を、兄がトントンと指で叩いた。
兄夫婦を守る為にグランに作ってもらったあの首飾りは、俺の予想の遥か斜め上を行った。
グランがやり過ぎる事を前提としての依頼だった。細工を得意とするモールをいつの間にか誑し込んでた事にも驚いたが、まぁグランだしその程度なら想定内だ。
だけど、何で新種の……しかも魔法白金の合金なんか作り出しちゃったんだよおおお!!
グランに頼まれて火山地帯まで行って、火山の匂いのするくっさいスライムを生きたまま捕まえるのめちゃくちゃ苦労したけど、まさか魔法白金とミスリルの合金作る為だったなんて予想できるかつーの!! ていうか、あのスライムの吐き出す酸が、めっちゃやばかったんだけど!?
『ガラス瓶に入れれば大丈夫』
そういう話じゃないよ!! そんな危険なスライム生け捕りにしろとか無茶振りしないで!! 空間魔法駆使して捕まえて来たけどさ!!
スライムの生け捕りもめんどくさかったけど、その後が更にめんどくさいことになった。
作っちゃったものは仕方ない。下手に隠してうっかり変なところでポロリするくらいなら、ちょっとめんどくさくても、兄上の知るところにしといた方がいざとなった時の対応が楽だ。
とはいえ兄上はうっかりグランに興味を持ってしまい、こうしたやり取りをあれから何度もすることになっている。
俺が頼んだ事なので、素材面では全面協力したけど、それ以上にグランの本気が、俺の予想の遥か上すぎたのだ。
予想の遥か上を行く性能の首飾りを作ってくれた事に感謝すると同時に、自分がグランの本気を甘く見ていた事に唇を噛んだ。
この腹違いの兄は、めんどくさい人ではあるが俺にとっては大切な人の一人だ。だから、グランにあの首飾りを作ってもらった事は後悔していないし、グランにはとても感謝している。
そして、兄と同様にグランも俺にとっては大切な友人である。
俺は欲張りだから、どちらも手放したくない。
しかし、兄がグランに興味を持ってしまったのは俺の責任でもあるから、そちらは俺が兄からの防波堤になるつもりだ。
規格外の力には相応な後ろ盾も必要となる、そう教えてくれたのはこの兄だ。
「爵位は今のままで十分ですよ。グランの事は本人に聞いてみないとわかりませんけどね、おそらく彼は爵位より食材とか素材の方が好きだと思いますよ」
影響力に直結する爵位は必要だが、グランを差し出してそれを得るのでは意味がない。
「そうかい、でも何か困ったらすぐお兄ちゃんを頼っていいからね?」
「はい、その時は素直に力を借りに行きます」
そんな事がないよう、出たくもない夜会に顔を出して根回しをしている最中だ。
話が終わり兄が退室した後、どっと疲れが押し寄せて来た。
ドサリとソファーに腰を下ろし、今回の顛末を思い返すと頭が痛くなってきた。
グランがとんでも合金を作り出してしまった事の事後処理も終わらぬうちに、今度は爪に塗るポーション"マニキュア"で、変な商会を釣りあげて来たので、順を追って進めていたバーソルト商会との取引も急ぐ羽目になった。
根回しを急ぐために義姉上にマニキュアを渡したら、まさかバーソルト商会に突撃してくるとは思わなかった。
うっかり言質取られて囲い込まれたらどうしようかヒヤヒヤしている俺を他所に、年上の巨乳好きのグランはずっとデレデレしてるし、そりゃー後で思わず顔面ホールドもしたくもなるよ。
は? 神代文字? クルに教えてもらった? 神代文字って、専門家が高級魔道具に使うかなり専門的な文字だよ? 出所があの三姉妹ならわかるけど、どうしてそんなのホイホイ使っちゃうの!? あ、でもそれ俺にも教えてほしい。
ていうかこれもう、グランが神代文字を使える事が義姉上にバレちゃったよね!? 義姉上は兄上ほど強引な人物ではないし、変装してこっそり平民街をうろうろするくらいには庶民の感覚に理解のある人なので、グランを無理やり囲い込むような事はしないと思っていても、貴族社会の中で生きている女性だ、決して油断は出来ない。実際、グランはさらりと釣られて神代文字とか使っちゃってるし。
ていうか、どうして義姉上の両手全部に、電撃系の付与なんてしてくれちゃってるの!? 後で間違いなく俺が兄上に何か言われるじゃないか!!
正直なところ、地方の商会ごときがグランをどうこうするのは無理だろう。だがグランは自身より、自分のせいで周りの者が巻き込まれて傷つく事を極端に嫌う。
そうなった時のグランのキレ方はやばい。普段あまり怒らない分キレるとやばい。そして、自分のせいで無関係の誰かを傷つけたとなると、グランの落ち込み具合もやばい。
めんどくさいから、田舎商会なんかそのまま焼き払ってしまいたいと思いつつ、根回しを急ぐことにした。
平民市場の制圧はバーソルト商会に任せて、俺は貴族への宣伝を始めた。
俺が後ろ盾になって、バーソルト商会を窓口として、最初は貴族からそして平民の富裕層へとマニキュアの市場を広げていった。
義姉上の協力もあって貴族に広まるのは早かった、王都や主要都市では噂雀を使って、バーソルト商会の新商品として噂を広めた。
グランの名前は出さずに、職人のバックにはバーソルト商会と俺が付いている事をアピールした。
それで釣れたのがA級冒険者ドリーだ。
オルタ前辺境伯の四男――現辺境伯の弟の奴は、俺が後ろ盾に付いている職人がグランだとすぐに気付き、オルタ辺境伯への根回しと引き換えに、自分もグランの後ろ盾になると言い出した。
奴もグランに餌付けされている猛獣の一人だ。
非常に不本意ではあるが、ソートレル子爵の寄親であるオルタ辺境伯の後ろ盾は大きい。グランが住んでいる周辺なら、王都の名前だけの貴族の俺よりも、オルタ辺境伯の名の方が圧倒的に影響力がある。
ドリーの怖いお姉さま方もすごく協力的で、オルタ辺境伯領周辺の根回しも終わり、漸くバーソルト商会がソーリスへと進出する事になった。
そういえば、俺が王都でマニキュアの宣伝頑張ってる時に、王都でグランの事コソコソ嗅ぎまわってた奴いたんだよね。あんまり優秀じゃなかったみたいで、グランの過去の交友関係だけ調べてたから、人を使って適当な情報あげたらどっか行ったからまぁいいか。あんましつこいようだと、めんどくさいから燃やそうかなって思ってたんだよね。
ホント、ここまで忙しかったよ!!
バーソルト商会と商談がある日はグランを王都まで送迎したり、夜は出たくもない夜会に行って、めんどくさい貴族に囲まれながらマニキュアの宣伝したり、ホントめんどくさかったよ!!
あっちこっちの夜会出たり、晩餐会出たりしてて忙しくて、グランとはあまり話す時間もないし、話してもバーソルト商会との取引の事がほとんどだったからね。そんなことしてたら、うっかりドリーの事話すの忘れてたよ。まぁいいや、当日俺も付いて行こ。
当日到着してみればグランは女装してるし、フォなんとか商会がやらかしたあとだし、あーめんどくさい。
しかも奴らドリーにこってり絞られたのに、その後またやらかすし、ドリーには止められたけど、やっぱりあの時に契約魔法掛けとけばよかった。
どうせ血判状なしの契約魔法なんて一年程度で効果切れるしね。でも効果中に一度でも契約魔法の呪縛が発動すれば、だいたいの人は勝手に自分は契約魔法で永遠に縛られてると思い込んで、約束守ってくれるし便利なんだよね。
グランのやらかしを隠蔽するのに昔はよくやってたよね。やり過ぎて、ドリーと兄上にばれてめちゃくちゃ怒られたから、最近やってないけど。
で、やらかした奴をグランは甘い処分で許してたけど、翌朝になってなんとかビッチ商会の会頭の家で爆発事故あったとかって聞いて、やっぱグラン怒ってたんだなって。
もちろんその後グランはドリーに怒られてた。
やるならもうちょっと地味にやればいいのに。
あ、そうそう、契約魔法は血判状ないと一年程度で効果切れるけど、血判状があればそれが存在する限り続くんだよね。
転移魔法でさ、血液だけ転移させたら作れるんだよね、血判状。
グランは大人しかった一人は見逃すつもりだったみたいだけど、やっぱ首輪は必要だと思うんだよね。
王国各地に支店を持つバーソルト商会を引き入れる事で、怪しい商会への牽制はできるようになった。バーソルト商会に、商品を提供している職人のバックには、俺が付いている事も周知されて来た。
オルタ辺境伯も巻き込んだので、その寄子であるソートレル子爵領付近での後ろ盾も問題ない。グランの周りをチョロチョロしていた変な商会も片付いた。
問題があるとしたら、俺やドリーよりも更に身分の高い者達だが、あそこの家にいるうちは、そう言った者と接触する機会はまずないだろう。
だから、こないだの義姉上のように突然抜き打ちで来られて、接触を図られると非常に困る。
義姉上はともかく、兄上はちょっとめんどくさいな。ぶっちゃけドリーもめんどくさいけど。
もういっそ暫くの間、グランと国外に行くか? コメ探しに行きたいとか言ってたしな? それに、少々癪ではあるが、いざとなったらシカ野郎に頼めば森の奥の方でグランを匿ってくれるだろう。どうせグランも初見の地に夢中になって引き籠りが加速しそうだし。あの森の中なら兄もそう簡単には手が出せないだろう。
「エスクレントゥス様、そろそろお時間です」
年配の侍女に声を掛けられて我に返った。彼女からジャケットを受け取り、護衛を連れて今日の夜会の会場へと向かう。
グランが好き放題やるって言うなら、いいよ、俺も勝手に地盤固めさせてもらうよ。
俺は欲張りだからね、一度手に入れたものは手放したくないんだ。
だから使える物は全て使うよ。貴族としての地位も、この容姿も、魔導士としての力も。
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