第84話◆閑話:とある商人の独白
フォルトビッチ商会――ソーリスでも一、二を争う老舗で、富裕層向けの服飾品や装飾品を主に取り扱っている商会である。現在の当主になってからは、美術品や女性向けの美容薬品にも手を広げ、商会の規模はさらに大きくなった。
商売は綺麗事だけでは成り立たない。
競合する商会との腹の読み合いと足の引っ張り合い。新しい物はより早く独占し、優秀な職人は他に渡さないように囲い込む。当たり前の事だ。
多少の汚いことや強引な事は、大手の商会ならどこもやっていることだ。
私の兄が会頭になってからは、商会はその事業を大きく拡大し、急速に業績を伸ばした。その陰では違法ギリギリ、いや違法な事も多く行われていた。
腕のいい職人や、質のいい顧客を握っている工房を、少々強引な手段で買収して囲い込むなんて事は当たり前だった。
そんな事をしているとトラブルも多かったが、それも"力"で解決した。金さえ払えば仕事をしてくれる者はいくらでもいる。
人の集まる場所には必ず日陰になる者もいるのだ。
そうして商会を拡大させた兄の次の目標は、領主御用商人だった。
上流階級向けの高級服飾装飾品を取り扱うフォルトビッチ商会の最大の競合相手は、同じソーリスの商会ではなくソートレル子爵の隣、オルタ辺境伯領の領都オルタ・クルイローにあるバーソルト商会のオルタ・クルイロー支店である。
王都でも一、二を争う大商会の支店は、オルタ・クルイローと王都を繋ぐ転移魔法陣で、王都で流行している物を辺境まで運んでくる。その中にはもちろん王都で最新の服飾品、装飾品もある。
オルタ・クルイローからソーリスまでは馬車で日数がかかるとはいえ、王都の流行りの物を持ち込んで来るバーソルト商会は、ソートレル子爵に贔屓にされている商会だ。
どうにかそこに割り込んで、領主の御用商人の座に収まりたい。それが会頭である兄の願いだった。
そんな折に耳に入ったのが、ピエモンで売っているという爪に塗るポーションの噂だった。
町の間を移動する事が多い冒険者や商人の女性の間で噂になり始めており、ピエモンの小さな商店で毎週決まった日にしか売っておらず、数も少ないので手に入りにくいという話だった。
金の匂いのする話だと思った。そして兄もすぐにその話に食いついた。
すぐに情報を集め、その爪に塗るポーションが売られるという日に、小番頭の男をピエモンに向かわせた。
この小番頭の男は、私と兄の従弟にあたる。やる気と向上心があるのだが少々短絡的な所があり、あまり仕事が出来る方ではない。
商会の役職は身内で固めている中で、他の同世代の親族が中番頭以上であるにも関わらず、この男だけは小番頭止まりだった。
その事もあって、非常に出世欲が強く、手間のかかる仕事や都合の悪い仕事を回すのにはちょうどいい男だった。
もしもの時は切り捨てても問題ない、そんな男だった。
いつものように相手方に接触を図り、取引に難色を示されれば、少々強引な手段を使ってでも取り込む予定だった。
結果、小番頭は取引は失敗したものの、爪に塗るポーションのレシピを持つ職人を特定して来た。この男にしては上出来だと思った。
相手は小さな商店と、冒険者と兼業の職人という話だったので、少し脅すか店の商売の邪魔を続ければすぐに取り込めると思い、この件はそのまま小番頭の男に任せた。
その結果、全て失敗し商会ごと追いつめられる事になるとは、この時点では全く予想をしていなかった。
その職人の男がソーリスに現れたと聞いて、兄がその男を商会に
その男は元Bランクの冒険者で、金さえ払えば事情に触れることなく仕事をする男だったので重宝していたのだが、帰って来なかった四人に顔を知られていたので、足がつく前に商会から離れてくれてありがたいと思った。
しかし五人がかりで失敗したのなら、慎重になる必要がある。相手には五人の男を返り討ちにする手段があるという事だ。
『王都の冒険者ギルドの"グラン"という男について調べてみるといい』
元Bランクの冒険者の男が残した言葉が気になって、小番頭を王都へ調査に向かわせた。
しばらくして、小番頭が"グラン"という男の情報を持って帰って来た。 その頃には、王都で爪に塗るポーション「マニキュア」が流行り始めているという噂が、ソーリスにも届くようになった。
このグランという男の身体的特徴は、小番頭の言う冒険者風の職人と一致していた。
短期間でBランクまで上り詰めた若手冒険者、料理や付与も得意で商業ギルドに多くのレシピを登録している。
半年近く前に突然王都から姿を消して以来、行方を知っている者がいない。遠方の田舎の出身で近くに身寄りはおらず、人当たりは良いが少々変わり者で、親しい友人はさほど多くない。
それを裏付けるように、そのグランという男の交友関係や取引先の情報は、ほとんど報告になかったという。
そして小番頭が持ち帰って来た情報の中には、そのグランという職人の二つ名もあった。
「紅蓮の猛獣使い」 「王都冒険者ギルドの飼育員」
魔物使いということだろうか。強い従魔を連れているのだとしたら五人で返り討ちに会ったのも納得するし、短期間でBランクになったというのも納得だ。
魔物使いなら、町の中での魔物の使役は基本的に禁止されている。町の中ならば
しかしやはり、相手はBランクの冒険者だ、力づくは失敗する可能性も高い。すでに一度失敗もしているので、警戒されていてもおかしくない。
手を引くべきではないかと思ったが、兄はこの男が持つレシピに興味を示した。その中にはここ数年で見かけるようになった調味料や特殊な素材などもあった。
「……やはり欲しいな」
暫く考え込んでいた兄が呟いた。
その男の持つレシピ、そしてそれだけのレシピを開発する能力を持つ職人が手に入れば、商会の業績を更に伸ばす事はできるだろう。
無理やりにでもその職人を取り込むように、小番頭を焚き付けた。
決して直接的な言葉は使わず、出世を餌に小番頭が自主的に動くように誘導していく。兄がよく使うやり口だ。失敗した時は実行者の責任にして切り捨てる。
いつものように職人の取引先から潰し、そこから適当に借金を作らせて、レシピを取り上げるのは毎度やっている手段だ。それでもダメなら関係者を人質にしてレシピを要求すればいい、それでだいたいの者はこちらに従う。必要ならば契約魔法を使って従属させてしまえばいい。今までもそうやって、使える職人を取り込んで来た。
だが、その計画は上手くいってないようだった。
職人の関係者を誘拐しようとして失敗したと報告を受け、そろそろ手を引くべきだと兄に進言しようとした矢先、小番頭がやらかした。
続く失敗と王都での噂で、元から視野の狭い小番頭はさらに視野が狭くなっていたのだろう。まるでそこに誘導するかのように垂らされた糸、その意味にそんな男が気付けるわけがない。
そして私も兄も状況判断を完全に誤っていたのだ。いや、それ以上に相手の情報操作と、行動の速さに全てが後手に回っていただけだと、後になって気づいた時にはもう手遅れだった。
ピエモンでそのマニキュアを高値ながら小番頭が購入して来た翌日に、小番頭が購入して来た物より上質な物が、ポラール商会で安く大量に売られ始めたのだ。
逆上した小番頭は、我々に何の相談もなくポラール商会に乗り込み、その売り場で騒ぎ立て売り子の女性店員に掴みかかったというのだ。
その現場は店に来ていたソーリスの町の住人にも目撃されており、掴みかかった男がうちの小番頭と気付いた者もいたはずだ。
しかも更にまずい事に、ポラール商会はいつの間にかバーソルト商会と業務提携を結んでおり、そのバーソルト商会の後ろにはオルタ辺境伯が付いていた。
つまり、フォルトビッチ商会の者が、オルタ辺境伯が後ろ盾をしている商売の邪魔をしたという事になるのだ。
ソーリスの町に来ているというオルタ辺境伯の使者――オルタ辺境伯の弟の元に、その日のうちに兄と小番頭と共に謝罪の為に向かうが、謝罪どころか頭を上げる事すら許されなかった。
そして、その場には赤い髪の男もいた。その男が、我々が取り込もうとしていた職人だとすぐに分かった。
この職人は平民だというのにオルタ辺境伯の弟と、かなり親しそうに話している。つまり、この職人はオルタ辺境伯とも繋がっているという事になる。
手を出す相手を完全に間違えたのだ。今更気づいても遅い。いや、こんなこと気づけるはずがない。
話がまとまりかけたところで、小番頭が再びやらかし、退室の許可が下りたのでその小番頭を引き摺りながら、店を出て商会へと戻った。
小番頭がグランという職人から買った物は、話の流れから察すると古い商品だったようだ。高値で買ったようだが、あの職人が言ってたように、迷惑料としてそれで手打ちになるなら安い。
こちらが何度も強引な手段を使ったのはバレている。この浅はかな小番頭の事だ、どこかで証拠を掴まれている可能性が高い。だが今なら、この男だけ切り捨てれば何とかなる。
兄は小番頭に解雇を言い渡し、犯罪行為の証拠を掴まれているのなら自首をするようにと促した。
兄も私も直接的な言葉では命令していない、この男が兄に唆されるがままにやった事だ。兄がよくやる尻尾切りの手法だ。
これでいい。この件はこれ以上は何もしない方がいい、この男を切って終わりだ。そう思ったのに兄は小番頭の男を再びけしかけた。
「例のレシピがフリーになればうちも販売に乗り出せて損失も取り戻す事も可能だ。証人がいなければいくらでも逃げ道はある、そうすれば解雇は取り消して、商会で匿う事もできる」
兄は何を言っているのだ?
万が一レシピがフリーになるような事があって、うちでも爪に塗るポーションを販売出来るようになったとしても、その頃には市場はとっくにバーソルト商会に押さえられて、我々があえて参入する意味など殆どなくなっているはずだ。
そんな事、商人の端くれなら少し考えればわかるだろうに、小番頭の男は兄に煽られるがまま夜の町へと出ていった。
「兄さん、どうして?」
「全てはアレの独断だ。失敗すればこっちで始末する手間が省ける、万が一上手くいけばそれはそれでいい。たとえアレが何をやって捕まろうと、アレはもう解雇済みでうちとは無関係だ。我々が自首を促した後、アレが勝手にやったことだ。あの件に関わった
そう話す兄の目には、狂気が見え隠れしていた。
だが、それも全て失敗だったようだ。
翌朝に、兄の自宅で爆発事故があり、兄が負傷したという知らせが届いた。聞けば、防犯用の魔道具は全て無効化されていたらしい。
兄は命には別条はないが重傷で、さすがに精神的にもかなり参っている様子だった。とても、偶然とは思えない事故である。
暫くは私が兄に代わって、商会を仕切る事になりそうだ。
全ては失敗し、商会の評判も落ちて、取引先も減るだろうが、これで良かったのかもしれない。兄も商会に暫く出て来れない。商会の体質を変えるには丁度いい時期かもしれない。
そんな事を考えながら、書類仕事をしていると店の者が真っ青な顔で、来客を知らせて来た。
告げられた客の爵位を聞いて、血の気が引いた。その爵位が本当なら、待たせるわけにはいかない。
あわてて、その客人を通した応接室へと向かった。
そこに居たのは、昨日、辺境伯の使者と一緒にいた、人間離れした美しい顔の銀髪の男だった。
魔導士が着るようなローブを着ているその男の胸には、紋章が刻まれたブローチが光っていた。その紋章には、特定の貴族しか使う事のない神獣が刻まれており、聞かされていた爵位が事実であることを裏付けていた。
その男は、金色の目を細め全く感情の籠ってない笑顔をこちらに向けた。
「やぁ、フォルトビッチ商会の副会頭さんだよね。そんな畏まらなくていいよ。ちょっと確認に来ただけなんだ。"はい"か"いいえ"で答えてくれたらそれでいいから」
質問の流れからして、小番頭が捕まって何かをしゃべったのか? 嘘に反応する魔道具を思わず警戒した。
いや、誘導したのは兄で私は何もしていない。情報は与える事はあったが、指示は出してない。
「フォルトビッチ商会はもうグランには一切関わらないよね?」
「はい、それはもちろんで……うっ」
答えた瞬間にビリと強い電撃が体全体に走った。魔道具か何かかと思ったが目の前の男は笑みを絶やさずこちらを見ていた。
「じゃあ、もし商会の誰かがまたグランに接触しようとしたら止めてくれる?」
「はい……っ」
再び痺れるような感覚が体全体にして、くらりとした眩暈する。
「ありがと、じゃあよろしく」
男がピラリと一枚の紙を懐から取り出した。それにはべったりと赤い血のような物が付いていた。
血判状。
絶対的な契約を結ぶときに使われる、強力な付与を施した紙である。
今までに何度もその紙を使った事がある。取引の為だけではなく、職人や小規模な商店を従属させる為にもよく使った。
その紙が、目の前の男の手の中にある。べったりと付いている血は誰の血だ? 一体何の契約だ?
混乱しているうちに、その紙がすうっと男の手から消えた。
「じゃ、約束ね。お宅の会頭さん、まだ懲りてないようだったら、しっかり首輪付けておいてね。じゃ、また暇な時にお邪魔するよ」
そう言い残すと、その男はかき消すようにその場から消えた。
とても人間には見えなかった。
恐怖だけが残り、その場に座り込んだ。
暫くの間呆然としていたが、我に返った私は考えをまとめ、兄を退陣させるための根回しを始めた。
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