第17話◆閑話:似て非なるモノ
「餅だよなぁ……なんか違う気もするけどモチだよなぁ。餅っぽい物あるなら米っぽい物あってもいいのになぁ」
前世の記憶にある食材を思い出しながら、片栗粉で打ち粉をしたまな板の上の、人の頭ほどの大きさの茶色い木の実を、包丁で半分に切った。
中から粘度の高い白い果肉がドロリ垂れ、粘着力の強いそれは包丁にも付着して、ビローンと伸びた。
餅なんだよなぁ……どう見ても。
イッヒという背の高い木に生る、茶色い分厚い皮に覆われた人の頭ほどの大きさの実の果肉は、前世の記憶にある"餅"という食べ物によく似ていた。というかそのまんま餅だよね?
丸めてオーブンで焼いてみれば、プクーっと膨れるのも、果肉を一度乾燥させて臼で挽いて粉にしたものに、ぬるま湯と塩を加えて練った物を、薄く丸く伸ばして網の上に乗せ炭火で焼けば、すこしボコボコした形の歯ごたえのある焼き菓子になるのも、前世の記憶にある物にとても似ていると思う。
イッヒの実の果肉と前世の記憶にある"モチ"という食品は、食感も性質もとてもよく似ているが、前世の記憶にある"モチ"は"モチゴメ"と言われる穀物から作られる物で、イッヒの実の果肉とはちょっと違う。
まぁ、前世とは違う世界だから、生態系が全く違うのは当然か。
そんな感じで、前世の記憶にある食材や素材が、前世の記憶とはちょっと違う形で今世でも存在していたりする。
魔力を含まない野菜や花とかは、前世の記憶にある物とほぼ同じだったりすることが多く、逆に魔力を含む植物は前世の記憶に似たような物があっても、微妙に違う物だったりする。
特にハーブや薬草の類は、前世の記憶にある物と見た目や性質が似てる物が多く存在する。しかし魔力を含む影響か、その効能が前世のそれに比べてかなり強い。
素材が違えば食文化も当然変わる。前世の記憶にはない料理も多いが、前世の記憶にある料理と似通ったものも多い。
記憶を辿ると、前世の食文化レベルは、今世とは比較にならないほど高かった。いや、食文化どころか文明の水準もかなり高かった。
まぁ、前世は魔法という物が存在しない世界だったので、前世と今世を一概に比較して、どっちが良かったなんて思うのはナンセンスだと思ってる。
それに前世の記憶があるとはいえ、前世の記憶を思い出したのが、今世の俺の生活習慣や性格がある程度確立された後だった為、今世の俺を前世の俺が上書きするわけでもなく、知識として前世の記憶が俺の中に居座ってる感じだ。
多少は今の俺の性格や嗜好に影響はあるが、前世の記憶に今の俺の性格がまるごと引っ張られたとかいうことはない。
そんな感じなので、前世と今世の文化や習慣の違いを苦に感じる事は、あまり無い。
ただ、ちょっと前世の記憶にある快適さを、再現出来るならやってしまおうかなってなった程度だ。もちろん、やり過ぎは良くないというのは、なんとなくわかっている。
つまるところ、美味しい物食べたい。
「米食いてーなー」
前世の記憶には鮮明に残っている馴染みの深い食材を思い出す。冒険者として各地に足を運んだ際に、市場や商店を巡り探したが、結局見つけることは出来なかった。
先日、ピエモンの町で行われた"五日市"と呼ばれるバザーで、遥か東方からの商品を取り扱っていた露店で、俺がずっと探し続けている食材――米から作られたと思われる酒が売られているのを見つけた。
そして、その東方の商品を取り扱っていた露店には、前世の記憶にある懐かしい物が他にもあった。
もしかすると、東方の国へ行けば米が見つかるかもしれない。
そう思うと、探しに行きたい衝動に駆られるのだが、まだ今の家に越して来て間もない、生活の基盤も整ってるとは言えないので、米を探す旅に出るとしてももう少し先の話だ。
それに……
「米とは限らないんだよなぁ…」
イッヒの実の白い果肉を、片栗粉を叩いた手で捏ねながらため息をつく。
前世の記憶にある食材が"そのまま"今世に存在してるとは限らない。むしろ似て非なる物の可能性の方が高いし、イッヒと餅のように前世の記憶にある"米"と全く違う形状で存在してるかもしれない。
麦は存在しているというか、小麦を使った食品は多く、パン類は階級問わずよく食されている。麦を原料とした発泡酒や、パスタ、オートミールも存在している。麦が存在するという事は、米が存在してもおかしくないと信じている。
麦以外にも前世の記憶にある物に近い食材は多く存在し、似たような調理方法も多数見受けられる。
しかし、前世に比べ物流の水準や文明のレベルが劣っている為、食文化も前世の世界に比べて、多様性や華やかさは劣っている部分が多い。
前世の世界では、食物の品種改良や耕作技術が進んでおり、世界レベルでの交易も発達していたせいで、俺が住んでいた国の食文化は、多様かつ高水準だったのが記憶として残っている。
この世界の主だった移動手段は、徒歩と馬による移動なので、遠方との交易に時間がかかる。その為、遠方の食物を鮮度を保ったまま運ぶのは非常に困難で、手間もコストもかかる。
俺の持っている収納スキルのような、大量の荷物を楽に運べるスキルも存在するが、収納スキルは珍しい部類のスキルで、更にいうと俺の収納スキルみたく時間経過を止めたり、任意の速度にしたりできるというのはほとんど存在しないらしい。
遠距離を一瞬で移動出来る転移魔法なる物も存在するが、それは収納系のスキルより更に稀少だ。
物流のほとんどは馬車による移動が多く時間もかかるので、庶民の間で出回る食材はほとんど近隣の物か、長期保存が可能な物ばかりだ。
人や物の出入りの激しい大きな都市では、それなりに遠方の物も流通しているが、田舎に行けば行くほど物流は限られてくる。産地が限られている果物や香辛料はその代表で、平民では手が出しにくい価格である。
ただ、前世でも馴染みの深かった、イモ類やタマネギ、ニンジンといった物は、今世でもほぼ同じ物が存在し、なおかつ定番の食材で、若干風味に違いはあるものの市場に多く並んでいる。
そんな感じで、前世の記憶からしたらちょっと食文化が物足りない部分もあるのだが、時間経過の無い収納スキルを持っているおかげで食材を貯め込めるので、貯め込んだ食材を暇な時にあれこれと弄って、前世の料理を再現しようと試みている。
またそれが結構楽しくて、思ったよりハマってしまっている。
今は一人暮らしなので振舞う相手がいないのだが、王都にいた頃は、作った料理を冒険者仲間に時々お裾分けしていた。それがわりと好評だったので、調子に乗って前世の記憶にある色々な料理に挑戦していた。
その時の名残りで、田舎に越して来た今でも料理をするのは好きだ。
王都の冒険者仲間には、ほとんど何も言わず突然こっちに引っ越して来てしまったので、こっちでの生活が落ち着いたら手紙でも書いておこう。
「せめて"糯米"の状態だったら、"オコワ"にも出来たんだけどなぁ。餅の状態だもんなぁ…」
前世の記憶にある料理を思い出しながら、イッヒの果肉をどう料理するか考える。
「普通に焼いて食うかー? ショウユもあるし……海苔は海に行った時に、採って来たのがあった気がするな? 後は乾かして挽いて粉にして煎餅にでもするか? 練り菓子にしてもいいな?」
イッヒの実の使い道を、色々と考えてみる。
収納の中にイッヒの実はたくさんあるので、色々試してみる余裕はある。それにイッヒの実は近所の森で採れるので、無くなっても旬の時期なら補充は楽だ。
炭水化物なので酒も作れそうだが、残念ながらその知識も技術も設備もない。
モチも元はモチゴメというコメなので、そのモチに似たイッヒの果肉からなら、コメで作った酒に類似した物が出来そうな気もするんだけどなぁ。
スライムさんにお願いしたらなんとかならないかなぁ……いや、そんなもんで酒作れたら市場に出回ってるよなぁ。まぁ、ダメ元でやってみるか?
スライムは取り込んだ物質によって、その特性が変化する。
その特徴を利用して、特定の餌だけを与える事により、任意の特性を持つスライムを作り出す事も出来る。
そうして作り出される多様なスライムの素材は、食品や薬品を始め、鍛冶製品や装飾、服飾品、魔道具など至るとこで利用される。
スライムの養殖は、一大事業としても展開されており、世界各地に大規模なスライム養殖場も存在する。
また、個人規模、家庭規模でもスライムは飼育されているくらいに、この世界でスライムは便利で身近で有用な魔物だ。
ダメ元でスライムに、イッヒの果肉ばかり食わせてみて五日目、スライムは琥珀色になり、スライムゼリーからはほのかにアルコール臭が漂い始めた。
予想していた酒とはちょっと違うスライムゼリーができてしまった。
【イッヒ酒】
レアリティ:E
品質:普通
原材料:イッヒの実
料理に用いる
イッヒの実を原料とした甘みの強い酒
飲用の他、料理、調合などに用いる
鑑定してみればゼリー状ではあるが酒である。
味見をしてみるとややドロリとして甘味の強く、アルコール分を含んだスライムゼリーは、前世の記憶の似たような調味料を思い出された。
「ミリンだこれ!」
前世の記憶を辿れば、ミリンも調味料として使われる事が多いが、コメから作る酒の一種だった。
予定外だったが、懐かしい調味料が作れたのは嬉しい。先日、五日市で手に入れたショウユとも相性がいい。何なら、酒を混ぜてアルコール度を上げれば、普通に酒としても飲めるだろう。
予想とは違う物が出来てしまったが、前世の記憶にある調味料の製法を見つけれたので、これで料理の幅も広がるし、結果的に大満足だ。スライムゼリーなのでゼリー状でドロッとしているが、風味は近いので問題なく使えるはずだ。
全く同じ物はなくとも、似たような物は作れるというのを改めて実感しながら、イッヒ酒のおかげで料理の幅が広がる事を喜んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます