第3話
席に着くなり同僚は大声で怒鳴り出した。
「このクソが!」
今まで抑えていたものが一気に溢れ出したのかもしれない。その怒りの矛先が何に対して向けられているのかを想像することは難しい。しかし、僕に対して向けられている部分もあるのだろう。だから、僕はそんな同僚にかける言葉が見つからずに彼が手に持っているハンバーガーを見つめる事しかできなかった。
「おい、ジェームズ、もう一度言う、何故あんなことをしたんだ」
目線を上げ、同僚の顔を見つめる。目が合った。誤魔化してはいけない、そんな気がした。
「分からないんだ・・・・・・」
そのような思いとは裏腹に声に出たのは何とも歯切れの悪い回答だった。同僚のつくため息から落胆の感情が伝わってくる。僕は目を逸らした。
「言わせてもらうけどな、お前は俺を危険に晒した、これは事実だ。しかも、仕事は休職、その間は別の仕事をやらなきゃいけない」
「ああ」
同僚は怒りを自ら抑えつけるように、ゆっくりとゆっくりと続けた。
「ただ、お前が止めてくれたことで殺さずに済んだことも確かだ。まあ、別にあいつを殺したところで、そこまで大きな問題にはならなかっただろうが、社会的には大変なことになっていたと思う。もしかしたら復讐されたりしてな」
同僚は軽く笑うと、スプライトを手に取りハンバーガーを一気に胃の中へ流し込んだ。
「だからだ、一応感謝はしている。ただ、結果論だ。俺の判断は間違っていなかったし、お前の判断が間違っていた。そういうことだ」
複雑な気持ちだった。確かに結果論ではある。僕自身なんとなく同僚を引きはがしたに過ぎない。そこに正義感も使命感も無かった。もしあの男を黒人だと認識していたら、もし助手席に座っていて先に車を出ていたら、僕は同じ行動をとっただろうか。しかし、昨日以来の緊張して凝り固まった関係が少し解けた気がした。
「それじゃあ、また復帰したらな」
そう言い残すと同僚は、僕の答えを待たずに席を立ち、店の出口へとゆっくり歩きだした。一人残された僕は注文した料理にまだ口をつけていなかったことに気づいた。急いで注文した料理を口に詰め込み、外へ出たときにはもう同僚の姿は見えなかった。
***
それからというもの、一日のほとんどの時間を家の中で過ごすことになっていた。彼女すらいない僕はいかに仕事が生活の中心だったのかを思い知らされた。目の異常に関して言えば病院に行くことはなかった。金銭的に苦しいからというわけではなく、ただ病院に行っても意味がないことを知ってしまったのだ。今日のニュースも一日中その話題で持ちきりだ。『全世界で色覚異常が発生』。世界中の人が何かしらの色覚異常を発症したらしい。そして患者の数も現在進行形で増え続けているという。症状は様々で、色が消えた人、特定の色が無くなった人、色が入れ替わった人、新しい色が見えた人など多岐にわたる。この原因不明の病気は治療法が存在しない。だから病院に行っても無駄なのだ。僕のように日常生活に支障のない人ならばある種他人事のように世間を眺めることもできるが、中には深刻な症状の人もいるようで、病院は詰めかける人で大混乱している。社会活動全体にも影響が出始めている。信号の色を読み間違えたことによる交通事故、色が変わったことによる精神的な疲労などだ。そして何より、このアメリカという国では些細なきっかけが暴動に発展するのだ。だからこそ銃が普及しているのか、それとも逆なのかは知る由もない。
色覚の専門家が言うには、色は頭の中にあるらしい。光の波長という連続的なものに人間の感覚で色という離散的な感覚を抽象的に認識しているのだそうだ。現実の世界には色なんてものは存在しなくて、ただ波長の違う光があるだけなのだ。人間の目がおかしくなったのではない。人間の目それ自体は色を生み出さない、カメラが色を感じないのと同じだ。ちなみに人間が感じる色の感覚をクオリアと言うらしい。もしかしたら今までは人それぞれ見ている色は違っていて、ただ呼び方だけが共通していただけなのかもしれない。そんなことを考えている時だった。机の上の携帯電話が鳴った。誰もいない部屋の中で携帯電話の振動が机を震えさせている。電話をかけてきたのは上司だった。一息ついてから通話ボタンを押した。
「久しぶりだなジェームズ、急な話だがすぐに復帰してもらう。人が足りない」
上司の声は電話越しでもわかる程に老けていた。
「明日からですか?」
「いや、今すぐだ。君も知っているとは思うが色覚異常の件で警察の出番が増えている」
確かに社会情勢は不安定化している。そして状況は現在進行形で悪化している。警察の出番もかなり増えているのだろう。謹慎が予定より早く解除されて復帰できることは嬉しい。この気持ちに間違いはない。しかし、家の中でのつかの間の平穏から呼び起こされる気がしていた。静から動への移行は大きなエネルギーが伴う。この慣性の法則は世界の大きな理の一つだろう。無秩序が時間とともに増大するエントロピー増大の法則も。そして、分かりましたと一言告げると携帯電話をもう一度机にそっと置いた。遠くにサイレンの音が聞こえる気がした。
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