菅谷勇利6
「僕ね、泳いだことあるんですよここ」
僕が一眼レフで海を撮りつつ、そうミナガワさんに言うと、
「え、まじで」と彼は水の濁り具合を見つつ。驚いた。
「でもそれ、いいかもですね。映像的に面白いかも」
彼はそう言って、僕に「今、できます?」と聞いた。
-まじかよ-
ミナガワさんは、話す分には気難しさのないサラリーマンではあるが、写真や映像作品となるとけっこうなアーティスト気質で、こういった急なお願いも珍しくはない。
だからといって断るとすぐに受け入れる人のため、いまいちつかめない。
「ちょっと泳ぐのは、今はきついですね。すいません」
「あー、そうなんですね。まあまあ、そうですよね」
このように。
僕があの時こんな汚い海を泳げたのは、相当感情的だったからだ。
-俺が生まれた原因でもあったな-
あの時は、神聖なものに思えた。この海も、ここでの望海との二人きりの空間も。
今もそれを思い出して、なんとか当時の衝動的且つ多幸感に溢れた感情を取り戻そうとしているが、まったく出てこない。
「やっぱり泳いでみてもいいですかね」と僕は言った。
「お、いいですね」とミナガワさんは言った。彼は小さめの三脚をバッグから取り出し、砂浜にセッティングし始めた。
僕はミナガワさんの車へ一旦戻り、念のため持ってきていた海パンへ着替えた。
-いや持ってきてんのかい!ってね-
まあ、念のためな。
-望海との思い出を聖地巡礼しようとすんな。どうせもうあっちに気持ちはないんだから-
「じゃあ」と僕は言って、水にどんどん浸かっていった。
ミナガワさんは「ちょっと待って」と言い、スマホや三脚の角度を整えていった。
「OK、大丈夫」と彼が言ったため、僕は泳いだ。
-何か感じるか?-
うーん
ごめんねって気持ちかな。
俺は、何度も何度も浮気してたわけだし。
付き合ってた最中にマッチングアプリ使うとか、やばいでしょ。
-そうだな-
その気持ちは、泳いだって消えないよ。
むしろここに来ると、それがまとわりついてくる。
当時はここで泳いだら、わけもなくさっぱりした気持ちになってた。望海の純粋さに甘えてたというか、溺れてたんだ。
自分さえよけりゃいい、バレなきゃいいって思っててさ。
いや、今でもそうは思ってるか。
でも自分が自分を気持ち悪いって思うようになっちゃったんだよ。
自分さえよけりゃいいの自分が、嫌だって感情になっちゃってさ。
そこからはずっと、もやもやしてるよ。浮気も一切しなくなったのに、ずっと。
-だからこそ、俺が生まれたんだろ?-
うん。多分ね。
-俺は死にたくないなあ。そのもやもやが消えたらたぶん、俺は死ぬんだろ?-
知らないよそんなの。
とにかく、ここで泳いでも、気持ち悪いだけだったな。
「おっ、おつかれー」
スマホを三脚から外しつつ、ミナガワさんは言った。
「いいの撮れました?」
「良かったですよ。もう早く帰って編集したいです」
ミナガワさんは満足そうにしていた。
ミナガワさんと話しているときでも、僕はまだ望海のことを考えていた。
今の彼女には会いたくはないのに、昔の彼女にはとても会いたくなった。
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