第29話 病
夕方、マンションに戻ったアスターとリタは今日一日について話し合っていた。
「学校てのは、以外と面白い所ね」
「そうだな。でも俺は社会の授業で聞いた奴隷の話が気になるよ」
「地球の歴史っていうのは、良い事だけじゃ無さそうね」
「うん。それに、都市っていうのは窮屈だ。異能力を使えないのもな」
「でも、バスで移動出来たりして便利じゃないの。色んな人が居るのも面白いわ」
「俺はタラゴンの方が好きだよ。サバンナで思いっきりインパラを吹っ飛ばす方がね」
「フフ。私もタラゴンは好きよ。でも、文明社会っていうのも、中々興味深いわ」
「貴方達、週末は病院へ行くのよ」
ハルカが紅茶を持ってきた。
「えっ。でも、週末はクラスメイトと約束があるのよ」
「休日は二日あるんだから、どちらかは病院へ行きなさい」
「分かったわ。でも、どこも悪くないのに」
「政府との約束よ。地球に住む条件だわ」
「分かったよ、ブランカ達と一緒に行くさ」
アスターはそう答えると、紅茶を一気に飲み干した。
夜、アスターは窓から月を見てみた。タラゴンの月よりずっと小さい。発しているエネルギーも弱かった。タラゴンの強力な月に慣れていたアスターには、地球の月はもの足りなかった。体の底から沸き上がるようなエネルギーをここでは感じない。地球人達はこんな脆弱な月で満足なのだろうか?
週末の一日目、アスター達は病院へ向かった。医師は一通り四人の体をチェックすると、薬を渡した。
「毎日これを飲んで」
アマラは納得いかなかった。どこも悪くないのに何故薬を飲まなければならないのか?
「どうして薬を飲むんですか?」
「君達の体の為だよ。地球は君達の産まれたタラゴンとは違う。地球の環境に上手く適合していくために、この薬が必要なんだ」
アマラは密かに医師の心を覗いてみた。だが医師の心は閉じていて読めなかった。心を読めないこともあるのだわ――。アマラは内心驚いていた。意志が強固な人間の心は
「――分かりました」
アマラはそう言うと診察室を出た。
四人は病院の廊下を歩いていた。脇に並んだ病室から叫び声が聞こえる。
「何だろうな?」
ブランカが病室のドアの前で立ち止まった。
「何かあったのかな? 見てみよう」
アスターはドアを開けた。病室のベッドには男が一人、ベルトで縛り付けられていた。男の顔面は蒼白で、脂汗をかき、何とか身動き出来ないかと体を震わせていた。
「大丈夫ですか?」
リタが話しかけてみる。
「俺は……俺は騙されたんだ! 政府は俺の命を狙っている! 早く何とかしないと!」
男は乾いた声を振り絞った。
「騙された? どういう事です?」
ブランカが訊ねる。
「俺は……殺される!」
男は目を見開いて叫ぶと、ぐったりとなった。
「アマラ、読めるか?」
アスターが男の心を探るようにアマラを促した。
「……何だかグチャグチャしてるわ。恐怖、怒り、焦り……。この三つに支配されていて、話の筋道が見えないわ」
「貴方達! 何をしてるの?」
看護婦が入って来た。
「ええ。叫び声が聞こえたので。どうしてこの人は縛り付けられているんです?」
リタが質問する。
「この人は重度の精神病よ。元々は企業の重役だったんだけどね。心を病んでしまって普通の状態じゃ無いのよ。時々妄想に駈られて暴れだすので縛っているのよ。周りの人の安全の為よ。さ、貴方達には関係無いわ。出ていって頂戴」
看護婦は急き立てるように四人を部屋から追い出した。
「精神病……」
廊下でアスターは呟いた。タラゴンでは見た事の無い病気だった。心を病むだなんて、何があったのだろう? 他にも心を病んだ人が居るのだろうか? 地球はタラゴンより遥かに便利だし、豊かだ。企業の重役だったなら、普通の人より裕福だった筈だ。それでも病むのか。地球での幸せとは一体何なのだろう?
「お金を稼いで、贅沢な暮らしをする事が幸せと思っているみたいよ」
アマラが口を開いた。
「俺の心を読んだな?」
「ええ」
「でも、あの人だってそれなりに裕福だったろうに、病んでしまった」
「そうね……。きっと、それだけでは人間は幸せになれないのかもね。そう思い込んでいるだけで」
「そうかもな……」
アスターはそう呟くと歩き出した。
自宅に戻ったアマラは、医者からもらった薬を摘まむと、顔に近付けてマジマジと眺めた。赤と黄色のカプセルだ。医者には必ず飲むようにと念を押されたが、アマラは得体の知れないカプセルを呑み込む気にはなれなかった。
「そうだわ」
アマラは携帯電話を取り出すと、アドレス帳からマムルの住所を検索した。
『ドクター、今日病院で薬を貰いました。何で出来ているか分からなくて飲む気になれないので、成分を調べて頂けませんか? 後で薬を送ります』
メールを打つと、ビニールに包んだ薬を封筒に入れて、マムル宛の住所を書いた。これは明日投函してこよう。アマラは封筒を机の上に置くと、夕食を食べに行った。
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