チャプター1-4

 

「海……磯の匂いだぁー!」

 

 このニオイは坊主頭の事を思い出すぜ。などと賢三が苦々しげな顔を見せていれば、ひゅうと風が吹き抜けた。

 夏の夜空は美しく、宝石箱のような空が真上には広がっている。ざあざあと潮騒の音と柔らかな風が吹く心地。

 心の休まる世界に包まれたような気がして。美海がこの島から出て行きたいと言っていた事に対する意見として、矢張り、ここも悪いところではないと賢三は考える。

 

「うはー、冷たっ!」

「おーい、柏木。あんまし、奥行くなよ?」

「分かってるって。そりゃ、泳げねぇからな」

 

 今は水着を着ているわけでもない。

 何となくで海に来て、何となく居心地がいいような気がして。

 

「おいおい、喜多! こっち来いよ!」

「あん? ……んだよ」

 

 どうした、どうした。

 そんな調子で学生服のズボンのポケットに両手を突っ込みながら海の中に入った小太郎に近づけば瞬間に顔面に海水をかけられる。

 

「……ブチのめす!」

 

 丁寧に靴とソックスを脱ぎ、砂浜から一直線に海にいる小太郎に向けて賢三は走っていく。

 

「ははっ、どうだ冷てーだ……へぐぅっ!」

 

 腰の辺りにタックルを決めて二人同時に海に倒れ込んだ。

 

「しょっぺぇー……ぺっ、ぺっ」

 

 やらかした。

 賢三もそう思いはしたが、結局、今の期間は夏休みという事で制服着用の義務はない。それに、クリーニング店にでも持っていけば問題はないだろう。

 

「き、喜多……お前ぇ……」

「だぁーはっはっは! 馬鹿だな、俺たち!」

「よ、良かったUNO持ってきてなくて」

「いや、何の心配だよ!」

 

 水に濡れた事に対する文句はあまり無い。賢三としても予想外だ。

 お互いに財布と携帯電話は濡れる事を覚悟していた事もあるからか、事前にポケットから抜いている。

 

「夜の海ってのも乙なもんだな」

「いや、お前マイペースすぎんだろ、柏木」

「まあ、濡れちまったもんは仕方ねえ。これはもう存分に遊んでクリーニングに出しちまった方がいいよな?」

 

 あ、これはもう仕方ない。

 流石に賢三も悟った。瞬間に先攻は自分だと告げるように双方同時にバシャンと激しい音を立てた。

 水飛沫。

 掛かったのはほんの少し。

 お互いの行動が予測できていたのだろう。

 

「チィッ! 俺のウォータースプラッシュを躱すとは……中々やるようだな、喜多ァ!」

 

 テンションが完全におかしくなっている。ただ、この空気感に酔っているのは小太郎だけでは無い。

 

「お前も、俺のアクアハリケーン・ケンゾウSPを避けるとはな」

 

 ジリジリ……いや、海の中ではバチャバチャという音を立てながら距離を測って、「ここだ!」という様に目を見開き互いに水をぶつけ合う。

 今度はどちらも水が掛かった。

 賢三は胸に、小太郎は腹に。

 水の勢いに若干の怯みを見せるが、賢三は小太郎より先に動き出す。


「うぉおおおおおおおおおおおおおお! ケンゾウ……スマァアアアアッッシュ!」

 

 助走をつけて海から賢三は高く飛び上がり、海に向かって足から勢いよく降り立った。

 当然、海水は蹴りの勢いに応じる様にして飛沫をあげる。

 

「なぬっ!? 捨て身の技だと!」

 

 両腕をクロスさせ小太郎もガードを図るがいかんせん、液体であるのだから防ぎようもない。

 

「ははは! どーだ!」

 

 被害としてはどう見ても賢三の方が多いのだが、ここはもうノリと言うものなのか小太郎もダメージが大きいというようなフリを見せている。

 

「くぅっ……参った! 俺の負けだ!」

「なら、両膝をつき給えよ、柏木クゥン!」

 

 余裕をこいて両膝を付いた小太郎に近づいた瞬間。

 慢心という隙をついて小太郎は全力で両腕を振り上げる。

 

「わばばばばっ!」

 

 視界が悪い。それに乗じるように小太郎は賢三を弾き飛ばすと、彼も足場の状態の悪さに尻餅を付いた。

 

「わっと、冷てぇ……。お尻が気持ち悪いわぁ」

 

 文句を垂れる小太郎。

 しばらくの静寂の後に破裂したように二人の笑い声が夜の海に響き渡った。

 

「だーっ、もう、冷てぇ! 最悪。マジで最悪だわ、喜多ァ!」

「こっちのセリフだ、柏木!」

 

 お互い、笑い合って浜に上がる。

 そして夜空を眺めるように仰向けになった。

 

「あー、しょっぺぇ」

 

 賢三の顔の周りは舌が少し触れるだけで強い塩味を感じる。これは小太郎も同様だったのだろう。

 

「それなぁ」

 

 顔を見る事もなく。

 

「風呂入りてぇ……」

「ホテル戻るか?」

 

 賢三の呟きに小太郎が返す。

 

「これでか?」

 

 ホテルには大浴場があるらしいが、流石に濡れたこの恰好でエントランス入るというのは気が引ける。

 

「仕方ねえだろ……」

 

 迷惑になると分かっていながらも、そうするしかないのだと諦めて、二人は立ち上がった。濡れた衣服、砂が纏わりつく不快感に苦笑い。

 

「あー、マジ最悪だな」

 

 カラカラと笑いながらぺたぺたと舗装された道を歩きながら小太郎が言う。

 

「本当な」

 

 けど、楽しくはあっただろう。

 言葉にはしないが笑えているのだから。

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