第9話 鏡花
「初めまして。私、峰岸鏡花と申します。ミステリー部門で編集者をしています」
「初めまして。工藤雅也です」
「えと、なにか?」
健二君に通された会議室で、私にそう名乗ったのは、若く、きりっとした美人で、年の頃は、二十代後半だろうか。最近流行っているキャリアウーマンというものだろうか。髪を後ろできつく纏めているせいか、キツイ顔つきに見える。あまりに想像と違いすぎて、彼女に呆けた顔を晒してしまった。
「あぁ、いえ、想像していたのとだいぶ違ったもので」
「良く言われます。工藤先生。私以外は皆、年配の男性ばかりですので」
「義理兄さん、でも峰岸さんはやり手の編集者でね。何本もヒット作に携わった経験があるんだ」
「ほお、お若いのに、それは凄い」
「ふふっ、先生だって十分にお若いですのに」
「そうだね。君とあまり変わらないことを失念していたよ」
「それでですね、先生の作品を是非、私に担当させて頂きたいと思っております」
「それは光栄だね」
「実は、まだ先生の作品を読んだのは、私と田中君だけなんです」
「そうなのかい?」
「ええ、どうしても他の編集者に任せたくないので、慎重に進めたいのです」
「これは間違いなく傑作ですわ、先生。後世に残る作品です」
彼女は、両の拳を握りしめて力強くそう言った。
「いや、まさかそんな」
「そして、私はどうしても先生の担当としてお力添えさせて頂きたいのです」
「それは、それは。私としても、是非お願いしたいですね。私の作品にそこまで情熱を傾けて頂けるなんて光栄だよ」
「義理兄さん、彼女は社内はおろか、社外にも多くコネを持っているし、安心して任せられると思うよ。僕もサポートするので」
「うん、健二君がそう言ってくれるのであれば、僕も安心できるよ」
その後、彼女と数日に一度会い、出版に向けての意見交換や今後の流れについて話し合った。見た目通り、彼女は野心家であり、私の作品で更なる評価を得ようと心血を注いでいる。力強い人だ。女性の社会進出の声が高まる中、いまだ、風当たりは強く、男性よりも評価されない現実があるようだ。彼女も相当苦労しているのだろう。時折見せる影のある表情が妙に心に残った。
彼女の努力が実ったのか、他の男性編集者に私の作品を横取りされることもなく、編集長から一任され、出版されるところまでこぎつけた。その時点で他の編集者達にも私の作品が読まれ、編集部で噂になるほどだった。間違いなく売れると。そして、入念な準備を経て、満を持して、私の作品は異例の速さと出版部数で出版された。宣伝に相当な金額がつぎ込まれ、書店は勿論、駅や町などにも宣伝のポスターが数多くみられるようになった。
売り上げも、初日から今年の出版物の最高を記録し、あっという間に増刷が決まった。いままで、ほとんど顔を出さなかった出版社に呼ばれ、インタビューなどを数多く受けた。最初の挨拶依頼、遠くからチラッとしか見たことが無かった編集長も、いまでは入口まで出迎えてくれるようになった。他の編集者も私の顔を覚えたのか、皆が丁寧に挨拶してくる。全く現金な奴らだ。しかしながら、悪い気はしない。ヒヒッ。下卑た笑いが抑えられない。
私の作品は、有名な故人の大作家の名を冠した文芸賞で大賞を取り、ニュースになり、更に世間に知られることとなった。ラジオやTVといった媒体からも出演依頼が相次ぎ、作品について語ったりもした。通帳にはいままで見たことが無いほど零がならんだ数字が増えてゆき、街では、多くのファンを称する人々から握手やサインを求められた。四畳半の自分の部屋で、誰に知られることもなく、ひっそりと童話を書き続けていた生活が嘘のようだった。
私は、霧江の死の悲しみを糧に成功を収めたのだ。愛する彼女が私のために最後にくれた贈り物。彼女には感謝しかない。近いうちに彼女の儚い花を供えに行こう。きっと彼女は私が幸せになるのを天国から見守っていてくれる。必死に原稿を書き上げ、成功したことを彼女は喜んでくれているだろうか。
夕方、次回作の構想を練りながら、机に向かっていると、車が玄関の前に止まる音が聞こえた。そしてすぐにチャイムが鳴り響く。いま私しか在宅していなかったので、面倒に思いながらも、階下へと降り、玄関を開ける。すると、そこにいたのは、いつもより、少し派手な格好をした鏡花だった。秋を過ぎ、多少肌寒くなってきたせいか、コートを羽織り、首にスカーフを巻いていた。このように突然の来訪は初めてだったので、少し驚いてしまった。
「すみません、先生。突然」
「あぁ、いや、構わないよ。どうしたんだね」
「近くまで来たものですから、寄らせて頂きました。ご連絡しようかとも思ったのですが、なかなか公衆電話が見つからず、気づいたら着いてしまってましたの」
「あぁ、まぁ、上がってください。何の持て成しも出来ませんが」
「先生、これからお時間ありますか? もし良かったら外で食事でもどうですか?」
「えっ、あぁ、構わないよ」
「あぁ、良かった。では、街まで行きましょう。最近見つけた良い料亭があるんです」
「そうなのかい。それは楽しみだ。少し待っていてくれ。着替えてくるよ」
そういうと、入った原稿料で買った、新品の服に腕を通し、着替える。きっと個人的に今回のヒットをお祝いしてくれるのだろう。それと次回作についての話かもしれない。それについては、私も思うところがあるので、丁度良い機会だ。
彼女の運転で着いた料亭は、最近できたらしく初めて見る店だった。それなりに格式高い造りではあるが、老舗と呼ばれる店の重厚な雰囲気を出すにはまだまだ時間がかかるだろう。既に予約してあったのか、到着するとすぐに若女将が三つ指を付き、出迎えてくれた。きっと鏡花は私が断らないことを確信していたのだろう。いや、例え、私が断ったとしても、強引に連れ出されていただろう。私が女性の強引な誘いを断れる性格ではないことを見抜かれているのだ。魅力ではあるが、その人を見透かした態度は、それなりに不快だ。
通された六畳間には、中庭の庭園が見えるおおきな窓があり、整えられた植物が見えた。錦鯉がゆったりと泳ぐ池も風流で、なかなか落ち着いた雰囲気だった。数十年もすれば、なかなか貫禄のある庭園になるだろう。部屋の中は黒い漆塗りの柱と木組みに白い壁、床の間には、墨絵の掛け軸と、生け花が飾られていた。どうにもこんなにも厳かな部屋での食事は尻のすわりが悪く感じてしまう。このような高級な料亭など、近所の定食屋が関の山の私には場違いとしか思えなかった。
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