第3話 プログラミング

 休日の昼下がりにベッドの上でゴロゴロしながら漫画を読んでいると、過去の俺から連絡がきた。

 

 過去の俺:英語わからん

 現在の俺:俺も分からん

 未来の俺:同じく

 過去の俺:大丈夫?

 現在の俺:大丈夫

 未来の俺:同じく

 過去の俺:いや、俺の未来が心配って意味で

 現在の俺:……できなくても支障はない

 過去の俺:現在支障あり

 現在の俺:喉元過ぎれば熱さを忘れる

 過去の俺:現実逃避ってことね

 現在の俺:そうとも言う

 未来の俺:プログラミングやれ

 過去の俺:それは楽勝

 未来の俺:……

 現在の俺:……

 過去の俺:おい、どうしたよ


「薫、プログラミング教えて」

 妹の薫の部屋をノックする。

 薫は扉から顔を少し覗かせて、「急にどうしたの、兄貴。留年が怖くなったの?」と訊いてきた。

「いや、別件で、ちょっとプログラミング学び直そうかなと思ってさ」

 そう、あくまでも学び直し。一度は学んだのだ!

 妹の前で兄としての威厳を保ちたいという欲求には抗えなかった。

「ふーん、積極的なのはいいことだよね」と先生みたいなことを言って、「ちょい待ち」と顔を引っ込める。

 少しして、薫はハンディクリーナーを持って部屋の中から出てきた。

「なぜクリーナー?」

「兄貴の頭を綺麗にしてあげようと思って」

 ……笑えない。

「冗談だってば。そんな捨て猫みたいな顔しないでよ。私が悪いみたいじゃん」

 薫は再び自室に戻って、手を空にした状態で現れる。

「兄貴の部屋に行こ。私の部屋散らかってるし」

 俺の頭よりも自分の部屋を綺麗にしろと思った。

「へえ、わりと綺麗にしてるじゃん」

 俺の部屋に入るなりベッドにダイブした薫は偉そうに言う。

「……早く教えてくれ」

 我慢だ我慢。薫先生の機嫌を損ねてはご指導を賜ることができなくなるやもしれぬ。

「で、何が知りたいわけ。プログラミングって言っても様々でしょ」

「全部だ」

「全部? 学び直しって言ってなかった?」

「全部学び直したいんだ!」

「……兄貴みたいなのがどうしてK大に受かったんだろ」

 最後のは呟きのつもりだったのだろうが、聞こえてるぞ、妹よ。

「まあいいや。とりあえず基本的なところからやるから、それは分かるっていうときは言って。飛ばすから」

 俺が秘蔵にしていたポテチを薫はベッドの下から取り出すと、開封して一枚を口に放り込む。

「おい、何勝手に食べてんだよ。てか、なんで隠し場所を知ってる」

「お駄賃だよ、お駄賃」と言って、薫は二枚、三枚と頬張った。

 ノートパソコンを二人で覗き込んでプログラミングの学習を進めていく。

 小一時間ほどして休憩を挟んでいると、「私もK大受けようと思ってるんだけどさ」と薫が言った。

「へえ、薫なら余裕なんじゃね」

 俺よりも学業優秀なのは間違いない。俺が受かったのなら薫も受かるだろ。

 だけど、薫は浮かない顔だ。

「なんだ、心配なことでもあるのか?」

「……面接」

「けど、別に薫、人見知りってわけじゃないだろ。隣ん家のおばちゃんとよくおしゃべりしてるし、この前の学校の弁論大会だって優勝したって言ってただろ」

 薫はポテチの袋の開いた口を俺の方に向ける。

「サンキュー」

 ポテチを一枚頂戴した。俺が小遣いで買ったやつだけどな!

「実際こうやって面と向かって話すのはオーケーなんだけどさ、面接ってウェブでしょ。ウェブってさ、すごくやりづらくない? 相手がどんな気持ちで話をしているのかとか、自分のアピールは上手くいっているのかなとか――面と向かって話してたら、そういうの何となくでも伝わってくるでしょ。でもウェブだといまいち伝わってこなくて……。しゃべってると、だんだん不安になってくるんだよね」

 思っていたよりも深刻でまともな悩みだった。ここでズバッと答えてやれば、薫は俺に尊敬の眼差しを向けることだろう。気合を入れなければならない。

「ふむ、ふむ」

 普段回していない頭のネジを力づくで回していく。

 ぶっちゃけ何も気にせずにウェブ面接に臨んだ俺が受かったのだから、薫も特に考えなくても受かるとは思う。が、「気にしすぎだ」なんて言っても薫は満足しないだろうし、逆に失望と軽蔑の眼差しが向けられるに違いない。

 錆びついたネジがきしきしと音を立てている。

 ポテチを二枚、三枚と口に放り込み、咀嚼した後、俺は口を開いた。

「習うより慣れよ。俺と練習するか?」

 散々頭の錆を落としてみたが、結局慣れるしかないだろという結論に辿り着く。薫は単にウェブでの会話に慣れていないだけなのだ。

「何度かウェブ面接の練習したら、こんなもんかって思えるようになるんじゃね」

 俺の返答を聞いた薫は眉をひそめた。どうやらお気に召さなかったらしい。

「それって、私に諦めろって言ってるの?」

「人生諦めが肝心だろ」

「ふーん、そんなこと言っちゃうんだ」

 薫はポテチの袋をひったくると、残りのポテチをすべて口に流し込んだ。

「おい! 俺のポテチ!」

「諦めが肝心なんでしょ」と薫はしたり顔で言って、部屋を出ていった。

 くそ! 何なんだよ、あいつ。

 ムカムカを抑えるためにランニングでもしようと部屋を出ると、扉の前に本が数冊置かれていた。

 それらはプログラミングの本で、《これオススメ》と書かれた付箋が貼られていた。

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