三節 悪意の都市
皇城を真っ直ぐに目指すジョーは、一切の周り道をしない。
皇都の地理など知るはずもない彼は、考えなしに最短ルートを突き進むのだ。
狭い路地にも平気で入り込み、人気のない通りを歩いて行く。
――それが、いけなかった
「へへへ……!」
「ヒヒヒ……!」
「グヘヘヘ……!」
今、彼が歩いているのは、小綺麗な皇都としては、とても汚く不衛生な路地である。
道端には汚物がはびこり、蝿が我が物顔で飛び回る。あちらこちらに座り込んでいる者たちは皆やせ細り、髪や髭を伸ばし放題。
更に、彼は気が付いていないが、そこには人の死体さえあるのだ。
ジョーの目の前に躍り出たのは、見るからに善人ではない者たち。
手にはナイフを持ち、下卑た笑いを浮かべている。
その視線は、ジョーの腰に括り付けた麻袋に向いていた。
「ああなりたくなきゃ、それを大人しく渡しなぁ!」
先頭に立つ男が甲高い声で警告する。
その指は、道端に捨てられていた、染みのある大きな麻袋に向いていた。
「え? えっと……」
ジョーは困惑するのみである。
その様子からすると、麻袋の中身も察することができていないだろう。
「へへっ、もうやっちまおうぜ! めんどくせぇ!」
一人の男がそう提言する。
男たちのムードは一気に始末する方向へと向いた。
ジョーは怯えて声も出せない。
「へへへっ、悪く思うなよ……」
先頭の男がジョーに獲物を向け、刺し入れようとしたその時――
ジョーの後ろから何者かが高速で駆けてくる。
「ぐえっ!」
「ぎゃっ!」
「があっ!」
後ろからやってきた白い影は、一瞬で男を何人も蹴り飛ばすと、ジョーを後ろへ突き飛ばした。
「なんだてめぇ!」
一人だけ残っていた男がナイフを振りかぶる。
ナイフによる刺突が、白い男の脇をすり抜ける。
「ヒェヒェヒェヒェヒェッ! 当たるわけねぇだろ!」
暴漢は、右手の手首を掴まれた。その手から、ナイフが零れ落ちる。
白い髪の男、ピーターはその紅い瞳と口元を歪ませながら、懐からナイフを取り出し、空いている手に握った。
「や、やめろ! やめてくれぇ!」
「悪く思うなよぉ。なぁんてな! へッへッへッへッへ!」
ピーターの持つナイフは、狂気の笑いと共に首筋を切り裂いた。
鮮血が吹き出し、路地を汚す。だがピーターは返り血の一滴も浴びていない。
「あ……あっ……」
ジョーにできたのは、その光景を黙って見守ることだけであった。
――――――
トーマスは、煌びやかな装飾の施された扉の前で、一人佇んでいた。
その手にはシワ一つない紙があり、もう片方の手で軽く拳を握っていた。
彼は意を決し、目の前の扉を叩く。
「はい、どなたでしょう?」
部屋の主から、返答の声が返される。
その声は澄み切っており、一切の邪気を感じさせない美しい声だった。
「殿下、私です。トーマスです。報告したいことがあります。入ってもよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
トーマスは許しを得ると、取っ手に手をかけ、中へと入る。
「お久しぶりです。トーマス」
部屋の主、第一皇女ルイーズ・リヴィア・センドプレスは軽く会釈をする。
トーマスはいつもこの女性には目を向けることができない。畏れ多いとさえ感じてしまう。
なぜならば、美しい白のようにも見える銀髪はこの世で一番美しく、碧い瞳は彼にとっては眩しい程にその優しさを表現しているから。
その身に纏っている上等な純白のドレスは、彼女の心を覆い隠すには暗すぎる色合いに見えてしまうから。
だからこそ、トーマスは自然と跪いてしまう。
「ご無沙汰しております。早速ですが本題に――」
「ああ、聞かせてもらおうか。ドブネズミ」
その部屋には、もう一人いた――
トーマスはこの人物を好きになることはできない。憎たらしいとさえ感じるのだ。
なぜならば、その茶色の髪は、排泄物のように汚らしい内面を象徴し、その濁り切った眼差しは見る者を不快にさせる。
身に纏った衣服は強欲さと傲慢さを印象付け、その秘めたるどす黒い心に絶妙なアクセントを与えている。
そう、偉そうに椅子に腰を掛けるこの人物こそ、この国の最高権力者、センドプレス皇帝その人であった。
「陛下、なぜこのようなところに……」
「儂の娘の私室を「このようなところ」呼ばわりか。偉くなったものだな、トーマス」
「いえ、そのようなつもりは……」
予想外の出来事に慌てるトーマス。
普段ならば、この男が娘の部屋に訪れるなど絶対にないのだ。
娘など、愛玩動物程度にしか考えていない男なのだ。
「何かをルイーズに報告しようとしていたのだろう。儂も聞いてやるから早く言え」
「いえ、これはその……」
言葉に詰まるトーマス。
「まさか、それ以外の用事があったのか。ならば儂は貴様を許すことはできん。即刻打ち首にしてくれよう」
「……お父様っ!」
「……報告いたします」
トーマスは、当初皇女にだけ報告する予定だったことを話し出す。
ブレイバーと言うMWを帝国内の遺跡で回収したこと。
ブレイバーは現状、とある人物にしか動かせないこと。
ブレイバーは戦場を支配できるほど、強力な性能を持っていること。
全て、洗いざらい話してしまった。
それを聞いた皇帝は鼻息を荒くし、邪悪な笑みを浮かべる。
トーマスは、成り行きを天に祈ることしかできなかった。
――――――
首から血を流し、事切れた男をジョーは眺めていた。
それ以外の暴漢達は、力の差を思い知ったせいか既に逃げ出している。
「何も……殺すことなかったじゃないですか……」
「おめぇ、自分が殺されそうになっててよくそんなこと言えるよなぁ」
心底不思議そうにピーターは言う。
「この人だって、出来心だったかもしれないんですよ……!」
「そりゃねえな。ここいらに住んでるやつぁ大体人殺しだからな」
「そんなわけ――!」
ジョーは理解が及ばない。
だからこそ、助けてもらったはずのピーターに理不尽な怒りをぶつけようとしていた。
「あるぜ、ここは貧民街だ。殺しでもしなければ食うものもねぇ。多分、そこの袋の中身は食用に加工した人肉だぜ」
ピーターは簡潔ながら丁寧にジョーに説明する。
ジョーの顔は驚きを通り越して無表情になってしまっていた。
「何なんですか、ここは……。何なんだよ、この国は……!」
ジョーは嘆く。このような生活を強いられている人々に向けた哀しみと、このような場所を放置している国への怒りを込めて――
「……それぁ後で考えな。ところで、どこ行く気だったんだぁ?」
「情報を集められるようなところですよ……そう、図書館とか」
ピーターに聞かれると、今思いついたようにジョーは話した。
「そうかぁ……フフフフフ」
ジョーが目的地を離すと、ピーターはかなり控えめに笑い出す。
「……ヘヘヘヘヘ……ケーッケッケッケッ!」
笑いをこらえることができなくなったのか、いつも以上に喧しく笑い出した。
ジョーは思わず耳を塞ぐ。
「う、うるさっ! 何でそんなに笑うんですか!」
「わりぃわりぃだってよ……まあ、いいか。案内してやるぜぇ。クヘヘヘヘ」
ジョーはピーターの態度を不思議に思いながらも、彼の案内に従った。
――――――
――ここは、センドプレス国立図書館
アークガイアにおいて、一番の蔵書数を誇る超大型図書館である。
古今東西、様々な資料が集められており、情報を求めるうえで「少なくとも無駄足になることは絶対に無い」と評判の場所だ。
きっと、ジョーでも何かしらの有用な情報を手に入れることはできるだろう。
しかし、ジョーが利用するうえで一つ、問題があった――
「何か身分を証明できるものはお持ちでしょうか?」
「……え?」
そう、彼には、身元を証明するものが何一つないのである。
これまで全く気にしていなかったが、受付の女性に求められて初めて致命的な事態であると思い知らされた。
「……家紋の入った剣ですとか、紹介状などは持っていないでしょうか?」
「え、ああ、いや……」
「でしたら、通すわけには参りません。お引き取りください」
しかも、一般開放されているわけではなく、利用には権力者の後ろ盾が必要なのだ。
ジョーのように、端から見れば不審なだけの人物など、入れてもらえるわけがない。
警備の兵士に睨まれながら、ジョーは遠巻きに様子を見ているピーターに視線を送る。
彼は、とてもいい笑顔で笑っていた。
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