二節 商隊
ジョーは茫然と空を見つめ続けていた。
顔を上げて、ただ突っ立っているだけのその姿を見れば、誰でも心配したくなるだろう。
森の前に止められた多くの車。それらから降りてきた者たちは、奇異の視線を向けると、一瞥して去ってゆく。
「おい、何をやっているんだ!」
ジョーは我に返る。声の方へ振り返ると、そこにはトーマスがいた。
「こっちへ来てくれ! 事情を説明する!」
「はい、今行きます!」
ジョーはトーマスたちの方へと駆け出した。
きっと、雲に隠れてしまっているか、特殊な天候なのだろうと考えることにして――
彼らは数人の男たちで焚火を囲み、腰を下ろしていた。
それに倣い、ジョーも空いていたところに座ると、長い黒髪を後ろで束ねた浅黒い肌の男、トーマスが口を開く。
「まずは自己紹介をしておこう。俺はトーマス。一応、この
トーマスは親指で自らを指す。その態度からは、どこか尊大な印象が感じられる。
「商隊?」
「そうだ。と言っても、ただの商人たちの寄り合い所帯で大したものではないんだがな」
ジョーは納得したかのように頷いて見せる。あまり理解はできていない。
「誘拐犯ではないんですよね?」
「はぁ? 身元の分からない人間を誘拐する意味があるのか?」
ジョーは念のために質問をした。
経緯を知らないトーマスは、困惑の表情を見せている。
「ヒェヒェヒェ、冗談だっての」
「なるほどな、お前か。すまんな、こいつセンスどころか分別もないんだ」
トーマスはピーターの頭を軽く叩いた。相変わらず薄ら笑いを浮かべるその表情に、反省の色は無さそうである。
「それならよかったです。ところで、どういった商品を扱っているんですか?」
「まあ、色々だな。――次に、こいつはベンだ。道中、何か困ったときは俺かこいつに相談してくれ」
トーマスはジョーの質問を軽く流すと、隣にいたスキンヘッドの大男を紹介する。
その強面の男は腕を組み、鋭い眼差しでジョーを睨んだ。思わずジョーの体が震えあがる。
「……よろしく頼む」
「この通り無口な奴だが、喋れないわけじゃない。安心して頼っていいぞ」
「よ、よろしくお願いします……」
ベンの紹介を終えると、トーマスは次の人物の紹介に移ろうとする。
「次は――」
「ピーターの小僧は知っておるのだろう? ならば、次は吾輩でいいな」
トーマスの声を遮り、先ほど馬に乗っていた老人が言葉を割り込ませる。
ジョーが喧しく感じない程度には、その声は抑えられている。
「……あんたはただの護衛役だろう」
「そういうな。この少年に興味があるのだ」
「やれやれ」といった風に肩をすぼめるトーマス。
「吾輩の名はリックと言う。この商隊の護衛をやっている傭兵だ。よろしく頼むぞ、少年」
「ええ、よろしくお願いします」
リックは立ち上がり、右手を差し出す。ジョーも腰を上げると、リックの手を握った。
「じゃ、さっさと話し進めようぜぇ」
「僕が名乗ってないですが」
「ピーターから聞いているよ。ジョーと言うのだろう? 遅くなったが君の置かれている状況を、俺たちの知っている範囲で説明しよう」
ジョーが名乗ることもなく、トーマスはさっさと本題に移らせる。
トーマスは少しの間黙り込むと、言葉を紡ぎだした。
「君は……行き倒れていたのさ。それを俺たちが拾った。見つけたのがピーターだったから、あの馬車に乗ってもらっていたんだ。経緯は以上だ、何か聞きたいことはあるか?」
トーマスは随分あっさりと説明を済ませてしまった。
ジョーは拍子抜けしながらも、補足を求める。
「色々わからないんですが……まず、ここはどこですか? そして僕はどこに倒れていたんです?」
「ここは<ネミエ帝国>の南部だ、詳しい土地の名前は知らんな。君が倒れていたのは、街道のど真ん中……ここからそう離れていないところだ」
ジョーの聞いたことのない国の名前だが、彼はあまり驚いてはいなかった。
現実味の無さから、夢か何かではないかと疑っているのだ。思考放棄と言い換えてもいいだろう。
次に思い当たる物、着心地の良くない服をジョーはつまむ。
彼が着ているのは、柄のない小麦色の質素な服装。ゴムや革の類は一切使用されていない、麻の衣装である。
目の前のトーマスたちが着用しているのは、それより幾分か上等そうな物だ。
「僕の服はどこですか? 貸してもらってるようですけど」
「裸だったらしい。身包みをはがれたんだろうな」
その説明で、ジョーはヘッドギアをつけていなかった理由も察したようだ。落胆を隠せず、名残惜しそうに耳を撫でている。
「……なるほど、ありがとうございます」
「なに、よくあることだ、気にするな……というのは難しいかもしれんがな」
「ところで、他にも聞きたいことがあるんですけど――」
「何だ?」
ジョーは目の前で炊かれている火を指し示す。
「何で火をつけてるんですか?」
気候的には、寒くもなく、温かくもないといったところである。
そして、その火の中には薪がくべられているのみであり、何かを焼いている訳でもなかった。
「……さあ? いったい誰が起こしたんだ?」
「吾輩だ。さっきウサギを獲っただろう、丸焼きを作ってやろうと思ってな」
リックは何かを思い出したかのように視線を動かと、ジョーと目を合わせる。
「そういえば少年、先ほどの『ウサギ』はどこだ?」
「あ、馬車の中に置いてきてしまいました。ちょっと取って――」
「俺が行くぜぇ」
ジョーの代わりにピーターが立ち上がり、彼の馬車へと向かう。
それを尻目に、リックは何かを懐の革袋らしきものから取り出した。それは――
「どうだ、この首。件のウサギの物なんだが……なかなかの大物だろう?」
「おいおい、そんなもの見せられても困るぞ」
リックは切り取られた『ウサギ』の頭を見せびらかしていた。
その毛並みは、ジョーが受け取ったそれと同じであり、首の切断面の太さも一致していた。
それに思い至ると、馬車で受け取った死体の足が明らかに鶏のものでなかったことをジョーは思い出す。
そこから思い浮かぶものは――鶏のような羽の生えたウサギ。
ジョーは鶏もウサギも実物を見たことは無かったが、羽の生えたウサギなど話に聞いたこともない。
「そ、それ……何なんですか?」
ジョーはウサギを指し、恐る恐るリックに尋ねる。
彼にとっては得体のしれない異形のものである。不気味に感じるのも仕方のないことだろう。
「ウサギだが……まさか羽付きウサギを見たことがないのか?」
怪訝な顔つきで首を傾げるリック。ジョーは、反射的に目を逸らした。
「ええ、ははは……」
観察するように見つめてくるリックに対し、ごまかすようにジョーは笑う。
「こいつぁ帝国領内にしか生息してないらしいぜぇ。ケケケ」
「ほう、なるほどな」
戻ってきたピーターがフォローを入れると、リックは納得し頷く。
ピーターは腰を下ろすと、馬車から持ってきた肉を勝手に捌き始めた。
「となると、少年は帝国の出身ではないのか……なら、皇都まで連れて行ってやったらどうだ?」
「……爺さん、冗談が過ぎるぞ。移動中の食料だってタダじゃあないんだ。無駄飯ぐらいをそんなに長く載せていられるか」
「そうか、お主がそういうなら仕方がないな。だが、どこで客人を降ろすかぐらいは、伝えたほうがよいのではないか?」
リックの言葉で、ジョーも聞いておくべきだった事を思い知らされる。
トーマスも今しがた思い出したように、呆れ返っていた表情を正す。
「それもそうだな。ベン、地図はあるか」
「……ああ」
ベンは腰の鞄から畳まれた紙を取り出すと、投げ渡した。受け取ったトーマスはそれを地面に広げ、その辺の手ごろな石を重しにする。
ジョーから見れば、いかにも質の悪そうな紙に記されたその地図は、何とも簡素なものであった。
縮尺の表記は無く、境や地名すらもほとんど書かれていない。離島が記されていることから、大陸の地図であることだけはかろうじてわかる。
だが、それ以上に問題なのは、ジョーがその大陸の形を見たことがないことである。
ジョーは学業の成績は優秀なわけではないが、大まかな世界地図くらいは知っている。そしてその中に、目の前に書かれた形は無い。
余白部には、「アークガイア」とだけ書かれている。おそらく、それが大陸の名前なのだろうとジョーは考えた。
ジョーが情報を取り込むように、隅々まで地図を凝視していると、トーマスはある一点を指した。
「今いるのがこのあたりだ――」
トーマスは指をスライドさせ、別の場所に移動させる。
「俺たちの目的地はこのあたり、<センドプレス皇国>の首都、通称<皇都>だ」
指が元の位置よりもいくらか手前で止まると、明後日の方向に逸れる。
「確か、このあたりに街があったはずだ。ここで降ろしてやる。それなりに人は多いところだから、まあ、何とかなるだろ」
「無責任だなぁ、隊長さんよぉ。クヘへへへ」
「仕方がないだろ、俺たちだって急いでる。あと、その呼び方はやめろといっているだろう」
ジョーもピーターの言うことに同感であったが、それ以上にそこまで運んでくれることに感謝するべきだろうと思い直した。
「ありがとうございます。急いでるのに、わざわざ寄り道までしていただいて……」
「よくあることだ、気にするな。ところで、結局どこの出身なんだ?」
「その……記憶が曖昧でよく覚えていないんですよ。ははは……」
それは咄嗟に出た方便であったが、記憶が曖昧なのは嘘ではない。
――なぜアークガイアという謎の大陸にいるのか、ここに来るまでに何があったのか。
ジョーは、馬車で目覚める前の記憶をはっきりと思い出すことができなかった。
「そうか、ウサギ肉が焼けたから、食ってからじっくり思い出すといい」
そう言って、トーマスはジョーに骨付きの肉を手渡す。
ジョーはそれを不衛生に思ったが、厚意を無碍にすることもできず、受け取って食べた。
鶏のような淡白な味であったが、塩すら使われておらず、とても味気なかった。血生臭さも残っている。平たく言えば、口に合わない。
「どうだ、吾輩の獲った肉はうまいか?」
「ええ、とても……」
自慢気なリックの問いかけにジョーは答えるが、残念なことに本音ではないのが顔に出てしまっていた。
「やめてやれよ。あんたの自慢話は俺でさえ鬱陶しいんだから……」
「え? 別にそういうわけじゃ――」
「何を言うか! 男の価値はな、どれだけ胸を張って語れる話を持ち合わせているかだ。自慢一つできん奴など、男失格だ」
的外れなトーマスの言葉をジョーは否定しようとしたが、熱く語りだしたリックによって遮られてしまう。
そしてジョー達は、延々と自慢話を一方的に聞かされたのであった。
そんな中でようやく全員が肉を食べ終えると、骨を燃え尽きた薪の中に放り込み、トーマスが立ち上がる。
「――そろそろ行くぞ! 今日中に森を抜ける!」
トーマスがそう叫ぶと、ジョー達から離れて各々休憩をとっていた商人たちが立ち上がり、出発準備を始めた。
「そうだ、最後に言っておくことがある――」
中世のような馬車達の中に数台交じっているトレーラー。その違和感と存在感はすさまじく、ジョーとしては気になって仕方がない。
トーマスはその中でも一際大きい車両を指さし、続ける。
「あれには絶対近づくな。武器が入っているからな。怪我でもされると困る」
「わかりました。近寄らないようにします」
「ああ、頼むぞ。じゃあ、後でな」
それだけ言うと、トーマスも自分の馬車に戻る。
そしてジョーも馬車の荷台に乗り込むと、商隊一行は森の中へと進むのであった。
彼らの運命を揺れ動かす、最大の転機があるとも知らずに――
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