一章 勇者との出会い
一節 異世界の空
ジョーはなけなしの勇気をふり絞り、できるだけのことをしたのであろう。
しかし、サクラを助けることは敵わず、それどころか、より惨い結果を招いたのかもしれない。
世の中、行動がすべて報われるわけではない。それは、どこの世界でも同じことである。
………………
少年が目を覚ますとそこは見知らぬ部屋だった。
無機質で無表情な鉄板の天井、見渡す限り配線ばかりで何もない部屋。
朦朧とした意識のまま彼はそこから起き上がり、部屋を出る。
彼は何かを考えるでもなく、ただ無意識に従って通路を行く。
誰にも出くわすこともなく、殺風景な道を硬い足音を立てて歩く。
そうして突き当たった先の、扉に掌を当てて開く。
その部屋の中には、白金に輝く巨人がいた。
目の前のそれは動くこともなく、ただ前を見つめて立っているだけである。
彼はそれを一瞥すると、何も見なかったかのように反対側のドアへ向かう。
光があった。
崩れた天井から覗く空からの光。彼にとっては、閉塞された空間からの、解放の象徴。
それを見上げると、彼は完全に意識を失った――
――――――
「……痛っ!」
激しい揺れで頭を打ち付けられ、少年は目を覚ました。
完全に覚醒してもなお、揺れは収まらない。このような状況で寝ていられたことに彼は驚いた。
その少年、ジョーが横たわっていたのは、木製の床。天井と側壁として幌が張られ、前方には人が座り込んでいた。
開放されていた後方からは、荷馬車が着いてきているのがわかる。それを見て、ようやく自分が同じものに乗っていることを彼は理解した。
「よぉ、起きたのかい?」
前に座っていた人間、御者を務める細い男が、背中を向けたまま話しかけてくる。
その甲高い声からは、どこか嫌らしさを感じる。くせのある白い長髪のせいで、老人であるとジョーは思い込んでいたが、その声は若い男のそれであった。
「ええ。――ところでここどこですか? 何で僕ここにいるんですか?」
「誘拐したからだなぁ。ヒェッヒェッヒェ!」
「なっ!?」
突然のカミングアウトに驚きを隠せないジョー。ついでに述べるなら、その男が突然笑い出したことにもだ。
「……冗談だぜぇ。すぐ馬を休めっから、そん時に説明してやるよぉ」
「びっくりさせないでくださいよ! ……まぁ、わかりました。大人しく待ってます」
本当に誘拐犯なのならば、ジョーは抵抗するだけ無駄だろう。
彼の頭にはヘッドギアは無く、場所も全然わからないため、逃げても野垂れ死ぬだけである。
そもそも全く拘束されていないのだから、やましい目的があるわけではないだろうとジョーは判断し、従うことにした。
御者は振り向いてジョーを見つめる。
狂人のように見開かれた瞳は、まるでルビーのように紅く、そして妖しい。また、背中を向けているとわからなかったが、かなりの猫背である。
それらの特徴が重なり、その男からは異様な雰囲気が醸し出され、ジョーを怯えさせた。
「名前、わかんねえと不便だろぉ? 俺ぁピーターってんだ」
「……ジョウです」
「ジョーってのか。まぁ、多分みじけぇが、よろしくなぁ。ヒィーヒッヒッヒ!」
……聞き間違えられるのはいつものことである。
ちなみにジョーは
悪意を感じないとはいえ、顔を歪めているその男が怪しいことに間違いはない。ジョーは警戒を解くことはしなかった。
やることがないジョーは荷台の後方に座り込み、外の景色を眺める。いざという時の逃走ルートの確認も兼ねた暇つぶしだろう。
そこから見える光景は、まさしく馬車が走るのにふさわしいと彼が感じるものであった。
通っている道は草が抜かれ平らに均されただけのものであるし、そこを外れると伸び放題の雑草が生い茂っている。
遠くを見渡せばいくつもの林や森があり、景観を損なう邪魔な建築物は何一つない。
「何だあれ……」
一つだけ、異様に目につくものがある。天まで続いていそうな、巨大な樹。
ジョーの見たことのあるどのビルよりも高い。だが、その樹のことを彼は全く知らなかった。
しばらく巨樹を見つめた後、ジョーは視線を移す。後ろの馬車の御者がこちらに向かって手を振っているのに気が付くと、手を振り返した。
「目が覚めたか!」
後ろの馬車の御者が呼びかけてくる。
「ええ! おかげさまで!」
何が「おかげさま」なのかはわからないが、ジョーも聞こえるように大声で返事をした。
「悪い! もう少し待っててくれ!」
「わかりました!」
その黒髪の御者はピーターと違い、まともな人間のようにジョーには思えた。
遠目では細かい容姿を確認できないし、たったこれだけのやり取りであったが、気遣いが感じられる。
ピーターも気を遣っていないわけではないのかもしれないが、初対面の相手に不穏な冗談を言うような人間を、快く思う者が果たしているのだろうか。
そんなことをジョーが考えていると、後方の馬車の横をすり抜け、馬に跨った大柄な男が後ろから迫ってきた。
歳を重ねた者特有の精鍛な顔つきと見事なまでの白髪を見れば、今度こそ老人で間違いないだろう。
「おお! 起きたのか、少年!」
ジョーの目の前まで迫ってきた来た老人は、必要以上に大きい声で話す。
「え、ええ……」
引き気味のジョーは何とか返事をする。もちろん、適正な声量で。
すると、老人は左手に持っていた何かを、突き出してきた。
「ウサギを狩ってきた! あとでふるまってやろう!」
老人に足を掴まれ、逆さづりになっているそれは、羽を地に向けて広げていた。
血抜きのためか首は切断されており、揺れに合わせて断面から血液を垂らしている。
ジョーには鶏にしか見えなかった。老人がボケているのか、何かの隠語なのか、それともただ単にからかわれているだけなのか判断ができない彼は、とりあえずごまかすように微笑んだ。
「リック爺さん、その辺にしてやれ! いちいち狩りの成果を見せびらかすのは、あんたの悪い癖だ!」
見かねたのか、黒髪の御者が注意する。困っていたジョーには救世主のように思えた。
そして、それを受けた老人、リックは上体を後ろへ振り向かせる。
前方不注意である。馬に乗っているというのに、かなりリスキーなことをしていた。思わず、ジョーは後ずさる。
「トーマスの小僧か! 黙っておれ! これだけが吾輩の生きがいなのだ!」
ジョーと話していた時以上の大声でリックが応える。ジョーは思わず指で耳を塞いでしまう。
「随分つまらない生きがいだな! それはいいが、ちゃんと仕事はしてくれよ!」
「言われんでも解っておる! 少年、これを頼むぞ!」
御者のトーマスが親指を立てて後ろを指すと、リックは手に持っていたそれを荷台に投げ捨てる。
肉が音を立てて跳ねると血が飛び散り、ジョーの着ている服に付着した。
血を拭おうとしたその時になって初めて、彼は知らない服を着ていたことに気が付く。
「この服……何なんだ、この人たち……」
「悪いな! あの爺さん、歳の割には子供っぽいんだ!」
未だに困惑しているジョーの心中を察してか、トーマスは非礼を詫びる。
「――よし、森が見えてきた! 入る前に馬を休ませる!」
その声に反応するかのように、馬車が急激な進路変更を行ったことを、その身に感じるわずかな遠心力で理解したジョー。
道の脇に避けたのだろう。彼の乗る馬車は減速し、やがて止まった。
「説明するから、降りてきてくれ!」
「あ、はい!」
トーマスの声を受け、ジョーは荷台から降りた。
日差しを浴び、おもむろに空を見上げるジョー。
その目に映るのは、大きな鳥たちが飛び交い、白い雲を浮かべる青い空。どこまでも続く、広大な世界。
しかし、そこにはジョーが最も望んでいたものが欠けていたのだ。
「……え?」
その空に、太陽は無かった。
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