第87話

     Bruise


 伊丹と志倉を伴って出かけた。時おり、こうして家から出られず、引きこもりの相手への出張、という形もある。

「それで外出するのか? 座ると下着が丸見えなのに」

 志倉のゆるいホットパンツをそう指摘すると、真っ赤になりながら「見えないもん!」と応じてくる。さっきまでエッチをしておいて、今さらパンツぐらいで赤くなるのも不思議だけれど、むしろ周りからみられる、と指摘されたことで、色々と想像したのかもしれない。

「今回の家は深刻なんだそうです。児相が介入しようとしても、拒絶されて、もう何年も行方の分からない子がいるって……」

 小学二年生と、一年生の二人の姉弟がいるはずなのに、学校にも通っていない、という。

「生きているかどうかも分からない?」

「はい……。もう何年も、その姿を見た人がいないって……」

 それは深刻かもしれない。育児放棄、幼児虐待、色々と考えつくけれど、最大の問題は、民事不介入という壁かもしれなかった。


 そこは古ぼけたアパートだ。三つある一階の部屋、その真ん中だという。

「二人はもう帰った方がいい」

「何で?」

 志倉はここまで来て、追い返されることに不満なようだけれど、オレは先ほどから頭痛を感じていた。これは犯罪だ。きっと、オレがその子供たちと関わるようになることが確定し、犯罪予知としての頭痛が働きだした。しかも、かなり大きな事件になる予感もあった。

 伊丹は素直にうなずき、不満そうな志倉を伴って帰っていく。

 恐らく、児相が介入できないのは、家に入らせてもらえないからだろう。それはオレであっても同じだ。そこで、助っ人を呼ぶことにした。

 バスを乗り継いで、ここまでやってきてくれたのは……。

「お久しぶり」

 まだ小学四年生の、日暮 鳴鈴である。彼女はオレと同じ、やり直しの人生を歩んでおり、オレが頭痛で犯罪を感知できるように、彼女は人の心を動かせる、という特殊な能力をもっていた。

「キミに手伝って欲しいことがあるんだ」

「ええ、分かっている。私はこのやり直しの人生を、あまり有意義なものにできていないけれど、手伝えることがあるならやるわ」

 見た目は小学四年生だけれど、中身は七十歳以上を生きているので、落ち着いてそう答えた。

 アパートのチャイムを押すと、まだ若い、水商売風の女性がでてきた。日暮がすっと近づき、彼女の手に触れる。その瞬間、女性はわなわなと震えだし、顔を覆ってわっと泣き出してしまった。


 彼女は玄関で体を丸め、震えながら泣きじゃくっている。

 日暮の力を目にするのは初めてなので、驚いてみていることしかできない。

「彼女は罪悪感を抱えていた……。でも、自分を納得もさせていた。これは夫のためにしていること、夫から命じられてしていること……と。だから、その罪悪感を大きくした」

 日暮は、彼女自身が引きこもりになっていたが、強引に入院させようとして家を訪れた者たちを、尽く追い返した……という逸話をもつ。この程度の精神操作は簡単にできてしまうようだ。

 そのとき「おい、何をしているんだッ⁈」と声がした。

 どうやら、父親が帰ってきたようだ。目を怒らして、こちらにずんずんと歩み寄ってくる。

 オレが日暮をかばうため、前にでると、いきなりオレの腕をつかんできた。ただその腕を、日暮がまた軽く触れる。すると、彼は大きく目を見開いて、わなわなと震えだすと、頭を抱えて「ごめんなさい、ごめんなさい……」と、怯えたように震えだしてしまった。

「細かくは分かりかねるけれど、彼も幼いころに、両親から虐待に近い扱いはうけていたようね。それが、奥さんの連れ子にそのまま向かった。自分がうけていた仕打ちと同じことを……」


 二人が前後不覚に陥ったので、オレと日暮の二人は玄関からアパートに踏みこむ。そこは四畳半が二つ連なる、古いタイプの若い夫婦用のアパートという感じだ。比較的モノが乱雑に置かれていて、布団もひきっ放しだし、だらしない暮らしだということは分かる。

 その奥にある押し入れに近づくと、日暮は黙ってそこを引き開けた。

 そこにはペット用のゲージが二つあり、そこに一人ずつ、赤ちゃんが横たわっていた。……否、赤ちゃんではない。行方不明といわれた姉弟だ。

 頭が大きく見えるのは、痩せこけていて成長すら止まっているせいだろう。骨と皮だけで、洋服すら幼児期のままで、しかもかなり汚い。事情は知れる、オムツをしているけれど、あまり交換してもらえず、糞尿が痩せた足やお腹のところから、吹きだしていて悪臭がひどい。

 骨が折れたままくっついたのか、姉は右腕の辺りが変な曲がり方をしているし、姉弟とも恐らくクル病だろう。日光に当たっていないため、膝が曲がってまともに歩けそうもなかった。

「大丈夫かい?」

 オレがそう声をかけたけれど、二人とも微かに動くぐらいで、答えはない。でも、生きていることは確認できた。

 その家にある母親の携帯電話から、警察に連絡する。オレと日暮の二人は、早々にここを後にすることにした。夫婦は未だに玄関先に倒れているし、ドアを開けっ放しにしておけば、警察とて中の状況を知れるだろう。


「ありがとう。助かったよ」

「いいえ。これぐらいは協力させて。私はあまり役立たないかもしれないけれど、あなたの依頼なら協力するわ」

 同じ市内に暮らすけれど、ここからだとかなり遠くへ引っ越してしまった。それでも呼べば、こうして手伝いに来てくれたのだ。彼女もやり直しの人生をよりよくしようと考え、そして挫折した経緯がある。それでもオレの助けで、改めてこの人生を生きていこう、と考えられるようになったのだ。

「火傷は?」

「今はお腹の辺りを、少し始めたわ。これで皮膚が再生されたら、全身も同じように形成手術を施すんだって」

 片方の胸も、火傷のひどい状況であり、家を売ったお金でその皮膚をつくり直すのだそうだ。

「あの子たちも、再生できるのかな?」

「どうだろう……。多分、あの家族はもう再生はできないだろうね。あの子たちが親の元を離れ、体に刻まれたハンデを乗り越えられればいいけど……」

「刻まれたのは、心の方が大きいかもしれないわね。あえて、あの子たちには触れなかったけれど、心が弱っているのを感じたわ。いつ生きるのを諦めても、おかしくなかったぐらい……」

「キミでも、どうすることもできない?」

 日暮は寂しそうに笑みを浮かべた。

「私は、壊すの専門……。治す方が大変だし、きっとうまくいかないと思う。人間の形が様々なように、どこをどう動かすと、相手にとって良い形になるか……それを判別するのは不可能よ」

 それはそうかもしれない。彼女は心をコントロールするわけではない。相手の歪みを大きくすることで、その心を揺さぶる……という言い方をしていた。きっとあの夫婦も、その歪みをみつけられたから動かされたのだ。

「でも、最悪を避けられたのだから、今は一先ずよかったのかな。彼女たちを何とかするのは、行政に任せるしかない」

 口惜しいけれど、今はまだ学生の身で、そこまで立ち入ることは難しい。小早川姉妹のように、良い受け入れ先がみつかることを、今は祈るばかりだった。





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