第56話

     Reformatory


 もう一人の妹、渡ノ瀬 紗季とも、春休みになるとお出かけだ。彼女はお出かけのときに、腕をからめてきて、実の兄とはできなかった兄とのお出かけデートを楽しむことも多いけれど、その日はちがった。

 今日は、その実の兄との面会日である。兄は少年院に入った。実の妹を誘拐して、両親に身代金を要求しようとした。その事件で、実刑判決をうけたのだ。

 半グレの連中に騙されていた、ということもあったし、彼の実の母親は出産後、すぐに離婚して家を離れ、その後で再婚した母が妹である紗季を生んだ。そんな複雑な家庭環境の中で、孤立していった面もあるのだろう。

 ただ、事件としては紗季が実際に誘拐され、それを兄が主体的に為した、と認定されたのだ。しかも反省の態度を示さず、両親も罪の減刑を求めなかったことから、実刑が確定した。十四歳ということもあり、少年行きが決まったのだった。


 渡ノ瀬 雄大は比較的元気な様子だった。オレは紗季の隣に陣取っているが、あくまで付き添いだ。

 ちらっとオレを見たけれど、雄大は妹の紗季に向いて話しだす。

「オレは、オマエだけには謝りたいと思っていた。巻きこんで、済まなかった」

 そういって頭を下げる。紗季もしっかりと向き合ったのは事件以来初めてで、少々驚いている。

「兄さんは、どうして……」

「騙されていたんだよ。オレは一刻も早く家を出たかった。彼女もできた。いずれ結婚するつもりだったが、どうせオレには結婚資金もだしてもらえないだろう。だから強引でも、親からお金をださせるのに紗季を誘拐する、という提案をされた」

「オマエが付き合っていた奴らは、少女をたらしこんで、連れていくプロだ。そんな約束をしたら、どうなるかは分かっただろ?」

 これはオレが尋ねた。すると、キッとオレを睨みつけてから答えた。

「そんなことは知らなかった。ちょっとは悪いことをするが、誰も捕まっていないだろ、と言われ、オレも納得していた。今回の件は、親から手切れ金をもらって、それをみんなで山分けすることで、グループへの入団金と、オレの結婚資金にするつもりだったんだ」

「それを彼女からもお願いされた?」

「そうだよ。彼女も仲間で、オレを騙そうとしていたとも知らずに……。有頂天になっていたのさ」


「お父さんたちと、仲直りする気はないの?」

「向こうが、そのつもりがないだろ。オレは自分の母さんと会ったんだ。そこで、何が起きたのか知った。アイツは、オレの母親とは政略結婚をしておいて、用がなくなったらポイ、だったのさ」

「政略……結婚?」

「土地買収に、祖父が地主の家との結婚を画策したのさ。だが、父親は別の女性と結婚したかった。それがオマエの母親だよ」

「そんな……」

「オレが生まれたのは、父親にも想定外だった。だから扱いに困った。男の子だし、いざとなれば跡継ぎにできる……。オレはずっと中途半端な存在だ。だからそんな家、出ていってやろうと思った。そんなとき、奴らに会ったんだ。もっとも、向こうはそんな家庭の事情を知って、近づいてきたんだろうが……」

 雄大はすっきりとした顔をしていた。罪自体を反省したわけではないが、家族関係をやり直すつもりがない、その意志だけはもう変えるつもりもないのだろう。

 面会を終えようとしたとき、不意に雄大がオレに話しかけてきた。

「紗季を車に乗せた後で、段ボールに詰めるなんて知らなかったし、あいつらは紗季を犯そうとしていた。オレも今さらどうすることもできず、諦めていた。でも車が止まったとき、オマエが出てきたのを見て、オレは驚くと同時にホッとするものを感じたよ。

 ありがとう、英雄。紗季を助けてくれて。そして、オレは紗季の前からいなくなるが、よろしく頼む」


 帰りの電車で、紗季はそっとオレの肩に頭を乗せてきた。

「兄さんは……孤立していたんでしょうか?」

「彼には、もう一つの帰る場所ができたんだよ。実の母親のところさ。多分、キミを誘拐するのも、自分と母親への慰謝料だと思っていたんだろう。母親を巻きこむわけにはいかないから、そんなことは言わなかったけれどね。

 でも、キミを傷つけるつもりはなかった。半分しか血がつながっていなくても、ちゃんと兄さんをしていたんだ。だから、オレに感謝したじゃないか。自分の力では、キミを助けられない……。そう悟ったとき、彼の復讐は終わったんだと思う。

 もしキミが傷つけられていたら、母親が傷つけられた以上のキズを、キミに負わすことになったんだからね」

 多分、オレに対しても複雑な感情を抱いていたはずだ。それは誘拐事件が成功していたら……否、前の人生では成功していたのだろう。そうして身代金をせしめた後、彼がどうしたかは知らない。でも、妹は体を傷つけられ、拭いきれない傷を負わせたとの悔恨を、ずっと彼は抱えたはずだった。

 それをオレが救った。事件をつぶしたから、敵意を向けていた。でも、紗季と話をするうち、彼女を助けたという事実の方が大きくなった。だから、最後にオレを英雄と呼んだのだ。


「紗季は、大丈夫かい?」

「…………はい。兄も、私の身を案じてくれていたと知って、少しホッとしました。あの大きな段ボールに入れ、と命じられたとき、私も怖かった……。周りから聞こえてくる会話も、全部です。でも、その中に兄の声は雑じっていなかった。兄に呼び止められ、兄も一緒に車に乗ったはずなのに……。

 助けてくれなかった……、そう思っていました。でも、そうじゃなかったんですね。兄は兄で、私のことを考えてくれていた」

「血のつながりなんて、そんなことはどうでもいいはずさ。だって、キミも最初に警戒していたように、彼が本気でキミを害す気だったら、性欲のはけ口にされたはずなのだから……」

 そういうと、彼女はぎゅっとオレの腕をつかんできた。

「私、兄のことをそう疑ったことを、今では恥ずかしいと思っています」

「それでいいんだよ。家族だからって、信じられない奴もいる。一方で、血のつながりがなくとも、キミのことを心配し、考えてくれる奴もいる。でも、疑うこともあるだろうし、悩むこともある。人を相手にしているのだから、自分の思い通りにいかないこともあるし、逆にそれで助かることもある。

 人生って、人が生きると書くけれど、ただ生きるわけじゃない。人同士が交わり合い、色々と関わり合いながら生きるんだ。

 キミの兄さんは、間違いなくキミのことを考えてくれた。大人になったとき、もう一度会ってみればいい。今度は家とか関係なく、兄と妹だった二人として……」

 父親は、すでに前妻との間で、親権の問題を話し合っている。だからその前にこうして面会したい、とやってきたのだ。

 オレも七十七歳まで生きて、その人生経験もふくんだ発言だ。彼女にはまだ、その意味が分からないかもしれないけれど、いずれ家とか、関係なく決断を迫られる場面も訪れるだろう。そのとき、先に家を離れるという決断をした、兄の言葉がきっと役に立つはずだ。

 それまでは、この仮初の兄が彼女を支えないと……オレの左腕をつかむ、彼女の手にそっと触れた。






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