第31話

   2 Blue Move


     Memories


 オレは中学生になっていた。あれからの話を、少ししておこうか……。

 梅木 美潮は、旅行から帰ってすぐ、両親にオレのことを紹介してくれた。母親は何となく気づいていたので、寛容に受け入れてくれたけれど、父親のショックはいかばかりだっただろう。しかも相手が、中学一年生の娘にして三つも年下の小学生、というのだから、尚更だったかもしれない。

 美潮はすぐに入院し、検査や投薬がはじまった。

 オレは毎日、放課後になると病院に行って、彼女に付き添った。

 彼女は日に日に、衰えていくのが分かるほどだった。投薬も、決して楽なものではなく、食欲も湧かず、動く気力すら小さくなっていった。

 手術もしたけれど、結果的にはすべての悪い部分をとりきれず、放射線治療に切り替えた。そのために髪は抜け、帽子をかぶる機会が増えた。

 彼女はつらいはずだけれど、気丈にふるまうことが多かった。これまでと同じように、いつも明るく……。でも、オレと二人きりのときは、弱音も吐いた。恐らくずっとオレのことを大人だと言っていたこともあるのだろう。オレもそれをうけとめ、頑張れとは言わずに、彼女の支えになろうとした。


 でも、彼女はオレたちが旅行にいったときから、二ヶ月と生きてはいられなかった。奇跡は起きなかった……。

 最期のときが近づくと、ほとんど意識ももどらなかったけれど、オレが手をにぎったときだけ、意識がもどることが多かった。会話なんてかわせずとも、軽く微笑んだように、オレには見えた。泣いたらダメだと、オレも彼女に笑いかける。彼女はそれで安心したように、また目を閉じる。

 そんなことをくり返しつつ、どんどん弱っていった彼女は、静かに眠るようにして亡くなった。

 最期まで、オレは一緒にいることを赦され、彼女のことを看取った。

 ただ、お葬式には出なかった。まだ元気なうちに、彼女とそのことを話し合っていたのだ。


「もし私が死んでも、お葬式にはでないで。お別れは、お墓に来てして」

「何で?」

「だって、二人きりでしたいでしょ。みんながいるところで、お別れなんて嫌」

 それはわがままではなく、彼女にとって、オレが特別だということだと理解した。

「それに、郁君の中で、私はずっと生き続けるでしょ? 私もそう。きっとあっちの世界に行っても、郁君のことは忘れたりしないよ。だから、二人のことは、二人きりのときだけでいいの。二人きりのときに思い出して、それ以外のときは忘れてくれていてもいいから」

 自分が死んだ後、オレの負担にならないよう、気をつかっている。オレがこれから色々な人と出会うだろうし、そのとき自分が枷にならないよう、そんなことを言っているのだ。

「忘れないよ。でも、こちらが未練を残していると、もし美潮が向こうで、いい人をみつけたときに負担になってもいけないから、そのときは化けて出てくれ。オレも忘れるようにするから」

 冗談でそういった。もう病気が篤くなったときであり、むしろ明るくそう言わないと、間がもたなかった。

「郁君以上にいい人なんて、いるわけないじゃない」

 そういって美潮は唇をさしだしてきた。さすがに親がいるときはしなかったけれど、二人きりのときは看護師がみていても、キスをした。二人のときを大切にしたかったから。看護師なんて、通行人と同じぐらいに思っていた。

 もう唇もカサカサなことが多く、オレが唇を湿らせて、それで補っていたぐらいだけれど、彼女とはそうやって唇をかわすことが、互いに必要だと分かっていた。


 オレはお墓に来ている。梅木の家は、この辺りの地の家柄であり、お墓も比較的大きかった。まだ納骨されて間もないこともあり、お花も卒塔婆も飾ってあって、きれいにされていた。

 オレは一輪だけもってきた、平たくなったひまわりの花をそこに置いた。

「誕生日、憶えているかい? オレが花をもっていったら、隠れて付き合っているから部屋に飾れないし、すぐ枯れちゃうようなものは嫌って、言っていたよね。だから、ドライフラワーにしてもってきたよ。これだと、ずっと見ていられるだろ? 夏の花のひまわりだ。

 ……オレは、ずっと君に助けられてきた。

 人を助けるなんていっても、自分が満足することなんてないんだ。よく、人助けは自己満足という人もいるけれど、誰かに感謝されたって、自分が幸せになるわけじゃない。幸せな気持ちになるだけ……。そんな満足は、すぐに冷める。自分が置かれた現状が不幸だったら、すぐに絶望させられる。


 そんなとき、美潮が現れた。全然お子様で、異性にも免疫がなくて、だからあぶなっかしくて……。でも、美潮といるときは不思議と安心できた。暖かく、穏やかな気持ちになれた。

 何でだろう……。ずっと考えていた。でも分かったよ。君のご両親はいい人だ。その人たちに囲まれて、君もいい子だった。君はオレのことを大人だと言っていたけれど、そんな美潮に、ずっとオレは甘えていたんだ。外でお弁当を食べようと言ったり、膝枕をしてもらったり……。

 君のそのほんわかとした暖かさに、ずっと本物の家族といるときのような安らぎを感じていたんだ。

 ありがとう……。オレと出会ってくれて」

 オレは泣いていた。七十七歳まで生きて、女性とはまったく関係することなく死ぬことになって、どこか女性に一線を引いていたところもあった。

 あの日、君が悪い男に騙されそうになり、会いに行くところで出会った。もし彼女が、そのままあの男の毒牙にかかっていたら、どうなっていただろう? きっと、異性を信じられなくなり、大人を毛嫌いする、苦しい人生を送ったはずだ。その暖かさを失っていたはずだ。オレはそれを守れたのかな……。

 最近、色々と失敗することも多くて、気が滅入ることもあったけれど、そういうときでも君と逢えば、ほっこりすることができた。きっと君は、自分の病気を隠していたときだろうけれど、それでもオレに暖かさをくれたんだ。その暖かさを守れたことが、オレが君にしてあげられた、唯一のことかもしれない。


「でも、お別れなんてできるわけないよ……。美潮とのことを、終わりとは思えない……。出会ってくれて、ありがとう。オレと付き合ってくれて、ありがとう……。幸せをくれて、ありがとう……」

 別れるのではない。現実の世界で、会えなくなっただけ……。オレはそう思うことにしていた。オレが蘇ったように、彼女もどこかでそうなっているのだろうか……。オレみたいな人間がやり直しの人生ができ、彼女のようないい子がそれをできないなんて……。

「美潮……、もし成仏したいのなら、オレのところに化けてでてくれ。そうしたらもう一度会えるから。そして、その時また話し合おうよ。これからのこと……。オレはそれを待っているよ」

 そういって、オレは墓石にキスをして、そのまま歩き去った。






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