第30話

     Sickness


「…………え?」

 最初、聞き間違いかと思った。でも彼女は二度目も「別れよう」と告げてきた。

「どうして?」

 起き上がったオレも、思わずそう尋ねる。でも、それが彼女の本心ではない、と気づく。彼女は泣いていたから……。

「ダメ……。本当は、ちゃんとお別れしようと思ったのに……」

「どういうことだよ。だって、やっとつながれたって……」

 彼女も起き上がって、唇を求めてきた。このとき初めて、何かがある、と理解した。別れたくないのに、別れる理由……。引っ越し? でも、遠距離恋愛だってできるはずだ。

 唇を離した彼女が、弱弱しい声で告げてきた。

「私……癌…………なんだ」


「それは……治療をすれば…………」

「手術をするの。来週……。でも、それで治るかどうかわからない。お腹を開けてみて、どこまでできるか確認するって……。みんな、何とかなるっていうけれど、私にはわかった。もう手遅れだった……って。お薬も、放射線治療も、どこまで効くのか分からない。膵癌……というそうなの」

 オレは愕然とした。膵臓がん……それは発見が遅れることも多く、みつかったときには手遅れとなっていることも多い、厄介な癌だ。そして予後も極めて悪く、手術をしても、化学療法でも、完治が難しい……と。

 七十七歳まで生きたオレには、それぐらいのことは知識としてある。まだ十代の彼女が、定期健診もうけていない彼女が、それを発見するぐらいに体調を崩したとすれば、もう手遅れに近い状態だったのだ。

 だから、この旅行を赦された……。きっと、手術で体を切られる前に、きれいな体のときに、大人になりたかった。だから親もトモダチとの旅行……という条件を赦してくれた。赦す気になるほど、彼女の自由にさせてやろうと思うほど、病気が重篤なのだ、と……。


「私はこれから、ずっと入院することになる。もう会えないかもしれない。だからお別れするんだって……」

「この旅行は、そのため……?」

「…………うん」

 彼女は何度も涙をぬぐう。涙声になっても、はっきりと答えているのは、それだけ強い決意でここに来た……ということだろう。

 これまで、ふわふわした女の子というイメージが強かったし、実際に何かの壁にぶつかっても、どうやって解決していいか分からない……そんな印象が強かった。彼女と出会ったときでさえ、SNSで脅してきた相手に、会ってしまおうとするぐらい、世間知らずでもあった。

 でも、泣きながらでも、オレとの別れを……強い決意で語った彼女に、もうそんな弱さは感じなかった。


「オレは……別れないよ」

「…………え?」

「一緒にいたいんだ。それは病気だからって、変わらないよ」

「でも私はこれから、髪の毛とか抜けちゃうかもしれない。手術をして、体とか傷だらけになるかもしれない。可愛くない姿だって、見せちゃうかもしれない……」

「関係ないよ。オレが外見で、梅木と付き合っていたと思うのか? 外見なんて関係ない。梅木は……梅木だ」

 梅木はぽろぽろと泣いていた。嬉しさと、戸惑いもあるだろう。ここまで覚悟を決めて、最後の旅行を企画した。そして体を重ねた。これが最後だと思うから、別れたくないけれど、別れないといけない……そう思っていたから。

「泣くなよ。オレたちの関係は変わらない。ちょっと、梅木が闘病をすることになって、一緒にいる時間が病院になるってだけさ。その病気が治ったら、またデートをしよう。夏は海で泳いで、冬はスキーに行って、これからもいっぱい、いっぱいデートをするんだ」

「うん……、うん……」

「こういう、エッチももっとしよう」

「え~……。偶に……、偶に、でいいよ」

「気持ちよくなかった?」

「う~ん……、まだよく分からない」

「じゃあ、もっとしようか」

 そういって、唇を重ねた。


 彼女が病気のことなんて忘れるぐらい、オレはいっぱい感じさせてあげられるように、彼女の色々なところを責めた。

 なぜか、背中の肩甲骨の少し下辺りが敏感に感じるらしく、そこを責めてぴくぴく反応するのが面白くて、しばらくそこを触ったり、さすったりしていると、彼女が真っ赤な顔をして、ぽかぽか叩いてきた。そんなところで身悶える自分が、恥ずかしくなったのだろう。

 そして、挿入して腰を動かすと、相変わらずそれに合わせて「ふぁ……ふぁ……」と声が漏れてしまうし、オレもそんな彼女を見下ろして、そんな彼女の声を聞いていると、やはり止められない。でも、もう関係なかった。それで彼女が感じてくれるのなら、枯れてもすべて出し切るつもりだった。

 夜中に、もう一度お風呂に入った。

 夕方は別々に入ったけれど、今度は一緒に入り、オレが背中を流してあげた。まだちょっと恥ずかしがっていたけれど、そうすることにもう違和感はなかった。

 でも、お風呂からでても、またエッチをくり返す。お互いに止まらない、お互いを感じていられるときを、大切にしようとした。空が白々と明けるころ、お互いに抱き合ったまま、つながったまま寝てしまった……。


 翌日、彼女が薬を飲んだとき、やっぱり病気なんだと自覚する。今はまだ、薬も少量だけれど、入院したらもっと色々な薬と向き合わなければいけないはずだ。

 電車に乗って、手を繋いですわる。これまで、恥ずかしがりの彼女が、人目にふれることを嫌い、手をつなぐのはよほど、人が周りにいないときだけだったけれど、今はもう関係なかった。電車が混雑していても、オレたちは手を放さなかった。

「これから、美潮って呼んでいいかな?」

 不意に、オレはそう提案する。これまで、互いのことを苗字でしか呼んでこなかった。それは、年齢差もある二人で、しかも出会いがあまりに衝撃的で、最初に呼んだそれで、そのまま通してきたからだ。

「じゃあ、私は郁……郁君でいい?」

「いいよ」

 オレはそういって、電車の中で軽くキスをした。さすがにそれは恥ずかしかったのか、少し顔を赤らめたけれど、美潮はオレの肩に頭を乗せてきた。

 多分、穏やかに過ごせるのは今日が最後だろう。だから、今はそんなことでも赦せる気がした。

 オレたちは、恋人から人生をともにする相手、に昇華したのだ。そしてこの握られた手が、一緒に歩むということを示すようでもあった。それが後、どれぐらいの時間残されているのか? 互いにそれを不安に思いつつ……。










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