第20話

   Water Closet


 前の人生では、幣原 真清が大きく傷つき、自殺未遂まで起こすこととなった田口先生との関係だけれど、そもそもその事実が最初に発覚したわけではない。田口先生による少女買春が明らかとなり、警察の捜査がすすみ、その過程で教え子との禁断の関係も露見したのだ。

 小学校の教師と、教え子との肉体関係……。それはセンセーショナルな話題となって、野次馬的にメディアが群がってきた。報道では名前を伏せられても、地元ではすぐに特定され、彼女はつらい目に遭った。

 その結果、自殺未遂をくり返すこととなった……ここまでが、前の人生でオレが調べて分かっているシナリオだ。

 しかしこの時間軸では、そういったことは起きていないし、オレとの関係に置き換わっている。恋愛関係でなく、愛人関係に近い点が微妙ではあるけれど、彼女が自殺する理由はなくなったはずだ。

 いくら時の強制力があっても、彼女が自殺しようとは思わないはず……。それは事故の後で、強姦され、殺される運命だった七海が助かったように、真清だって人生を変えられるはずだった。


 春休みに、見知らぬ番号から電話がかかってきた。

 オレがこの歳で、携帯電話をもたされている理由は簡単だ。共働きの両親が、何かあったらオレに連絡をして、夕飯の支度をさせたりするため、だ。小学二年生になる妹もいて、その面倒もみなければいけない。これでも、良いお兄ちゃんをしており、親もオレのことを信用しているから、携帯電話をもたされているのだ。

 両親が外から、何かの都合で連絡をしてきたのかも……そう考えて、でてみることにした。

「あ、本当にでた」

 若い女の声で、そう言ってすぐ「ねぇ、会えない?」と告げてきた。自分が誰かも教えないし、水商売の女性がそんな声音で電話してきたのを前の人生で聞いたことがある。中身は七十七歳、その程度は体験済みだ。

 ただ自分の使命を考え、その誘いをうけてみることにした。何より、ここで断ったら、何か事件の気配を見逃すかも……と考えたからでもある。


 待ち合わせの場所に指定されたのは、駅から少し離れたところにある、比較的新しい公園だ。ただ遊具などはなく、広くて木々が植わっているだけなので、あまり訪れる人がいない。

 そのベンチに足を組んですわっている少女がいた。高校の制服だけれど、この辺りでは見たことないもので、テンプレのバッグを肩から提げるなど、春休みなのに、そうした格好をすること自体に、不自然さを感じた。

 彼女はこちらに気づくと「うわ! まだガキじゃん」と、失礼なことを平然と言ってのける。髪は明るめのオレンジに近い色に染め、化粧をしていることも分かる。マニキュアも指一本、一本の色を変えるなど、オシャレには気をつかうタイプだ。ややふっくらとした印象をうけるけれど、女子高生のおいしいものを食べ過ぎちゃう感じが伝わってくる。

「何の用ですか?」若干警戒しつつ、そう尋ねる。

「単刀直入にいうけど、アンタと寝たら、お金をくれるって人がいてね。まさか、アンタの親?」

「少なくとも、そんな性教育に積極的な親ではないので、他人でしょうね」

「こっちとしてはどうでもいいけど、お金はもらっているから、セックスをしよう」   

 ど真ん中の直球は、むしろ危険球のようにも感じるけれど、小学生相手に余計な説明を省いたのかもしれない。

「もうお金をもらったなら、バックれてもいいのでは?」

「こっちも仕事として、プライドをもってやっているからね。まさか、小学生に性の手ほどきをする……とは思っていなかったけど」


 そもそも、彼女に依頼したのは誰だ? しかも携帯電話の番号を知っている……。生憎と心当たりがない。

「本当に高校生ですか? 何でまた売春なんか……?」

「高校生よ! 失礼ねぇ……。だって、高校生のときが一番、需要あるじゃん。需要と供給ってやつよ。不特定多数を相手にするのは、正直あまりいい気持ちはしないけれど、時々上手い人もいて、そういうときはラッキーってね。ま、ほとんどそんな奴いないけど……」

 お金を払った側が強いのも、経済の鉄則だ。

「そこで知り合った相手が、オレとセックスしろって? 誰が……」

「生憎と、依頼主については教えられないよ。それが契約だからね」

 お金をだして、見ず知らずの小学生の性の相手をしろ……否、見ず知らずではないか……。でも、相変わらず目的が不明だ。

「思っていたのとちがうけど、小学生の童貞を奪うっていうのも……」

「生憎と、オレは童貞じゃないですよ」

「へぇ~……。ま、私としてはどっちでもいいんだけど、する? しない? 嫌なら無理強いはしないけど……」

 これも何かの、事件の前触れなのか……? むしろ事件の只中に、自らつっこんでいくような気もする。


「オレの携帯電話の番号、アナタの履歴から消してもらっていいですか?」

 相手はちょっとびっくりしたようだけれど、ニヤッと笑って「OK。後腐れなしってことだね。あぁ、そっちの携帯に残った番号は、消すも消さないも自由だよ。もし残すなら、名前はマリリンと入れておいて。私の源氏名」

 源氏名……、水商売でしか聞かない言葉だ。

「アナタにお金を渡した人物についえは、もう聞きませんが、一体いくらもらったんですか?」

「三万円よ。私の最低ライン。その人は紳士的だったから、その金額でOKしたわ」

 紳士的な、少女買春の相手……?

「病気をうつしてくれ?」

「病気もちじゃないわよ! ちゃんと相手にメットを被せるし」

 そういって、ひらひらと薄っぺらい包みをふる。

「準備いいね」

「ノーヘル希望っていうヤツもいるし、脅してくるヤツもいるけど、こっちも商売でやっているんだから、その辺りはきちんとやるわよ」


「なるほど、その商魂を見込まれた……ってことですね」

「そういうこと。私はもうやる気だけど、いくら童貞じゃないって言っても、高校生は嫌? でも、一度は試してみない? お姉さん、結構テクもっているよ」

 相手は高校生の女の子だ。いくらテクを駆使しようと、七十七歳までAVをみつづけた男の性知識に適うはずもないし、生憎とその明け透けな感じが、どうにも拒否感を抱いてしまう。

「どこでするんです? お互い、ホテルには入れないでしょ?」

「へぇ~……。そんなことまで知っているんだ。でも、都合のいい場所があるってことは、知らないでしょ♥」

 マリリンはそういって、手を引いてオレを引っ張っていく。そこはこの公園にある公衆トイレ、その女子用に入っていく。

 まだ新しいそのトイレの個室は、赤ん坊のオムツが替えられるよう収納式の台も備えるなど、かなり広くとられていた。

「ここ、掃除も行き届いているし、消臭機能もあるなど、とってもいい場所なのよ。お仕事をするのに」

 彼女にとっては、清掃が行き届いているここが、仕事場らしかった。そしてオレにとっては、まだ依頼主も分からない中で、マリリンと二人きりのここは修羅場になるのかもしれなかった。



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