第82話 初めての夜
日曜日の午後、お母さんの運転する車に乗り、由紀ちゃんの彼氏さんが支配人の温泉旅館まで向かう。
途中お母さんが気になっているという養鶏場の直売のお店に寄って、ロールケーキを食べてお茶をしたり、海辺の別の温泉地で足湯を楽しんだりして、ちょうど夕方ごろ温泉旅館に着いた。
テラでは生きるのに精一杯で、観光とかまだまだ先の話……ユーリルが言っていたコルカの先にあるという温泉に行けるようになるのはいつのことだろう。
「ふー、お腹いっぱい。もう入らないや。ね、料理もおいしかったでしょう」
今日の夕食は食堂ではなく部屋で食べるスタイルで、着いて早々テーブルの上には旬の食材を使った料理が所狭しと並べられた。これ本当に食べきれるの? って思ったものだ。
「本当ね、美味しかったわ。それにしても樹、私が残した分まで全部食べてくれていたけど、大丈夫なの?」
「せっかくの料理を残すのはもったいないから。でも、しばらくは動けそうにない。温泉はもう少ししてから入る。お母さんは?」
「樹はあとか……それじゃあ私が先に温泉行ってくるわね。樹はここから出ないで待っていてくれる。鍵が一つしかないから」
「はーい。ごゆっくり」
お母さんが温泉に行っている間、仲居さんが来て料理の後片付けをして、お布団を敷いてくれた。
一時間ぐらいたっただろうか、布団に寝転がり、スマホをいじっていたらお母さんが帰ってきた。
「おかえりー。ゆっくりだったね」
「いろんなお風呂があって思わず楽しんじゃったわよ。樹も早く入ってらっしゃい」
今日の女風呂は1階でいろんなお風呂が楽しめるところだ。男風呂は古い2階の浴場のようだけど、僕はこちらの方が好き。白濁したお湯で匂いも強く、まさに温泉って感じがする。
お腹の方も落ち着いてきたし、ゆっくりと入ってこよう。
「それじゃ、行ってくるね」
僕は浴衣を着て、タオルと下着の着替えを持って温泉へと向かった。
そうそう、お金も忘れてない。お風呂帰りの売店横のアイスを外すことはできない。
脱衣場をみると先客が幾人かいるようだけど、連休の中日にしては少ないように思う。まだ、お客さんが戻って来ていないのかもしれない。
浴衣を脱ぎ浴場の中に入り、洗い場でまずは体を洗う。今日は時間がゆっくりあるから、すべてのお風呂を堪能しなければならない。何事も流れが大事なのだ。
最初に前回も一番に入った少しぬるめのお風呂に入る。そこでしばらく体を慣らし、次に源泉が注がれている熱い方の湯船に向かう。
おお! 今日は前よりも少し熱いみたい。マグマも気合入っているのかな。
そのあと露天に入り、サウナも試してみて二階の大浴場は一通り堪能することができた。
ふー、さすがにそろそろのぼせそう。
脱衣場で汗を引かせた後、一階の売店まで向かう。
そうそう、合宿の時はここで風花と会ったんだ。まあ、今日は誰も来てないはずだから、会うこともないんだけどね。
一階の売店横のソファーで、誰にも邪魔をされずゆっくりとアイスを食べ部屋へと戻る。
ええと、部屋は4階の5号室。ここだ、鍵が無いから部屋を間違えたらいけないってスマホで写真撮っていたんだよね。
鍵のかかっていない部屋のドアを開け、僕の靴が下駄箱に入っているのを確認してから部屋の鍵を閉め、ふすまを開ける。
「ただいまー」
「お帰り」
その瞬間僕は頭の中が真っ白になった……
「な、なんで」
部屋の真ん中に敷いてある布団の上には、浴衣を着た風花が座っていたのだ。
「ごめんね。お母さんたちから内緒にしとくように言われて……」
そういえばあの時のリュザールの様子がおかしかった。
「え、いや。それでうちのお母さんは?」
「真由美さん、私のお母さんの部屋に移っているの」
部屋を移ったって!
「え、それって……」
もしかして最初から仕組まれていた。
「私じゃいや?」
嫌じゃない、嫌じゃないけど……
「い、いいの?」
風花は静かにうなずいた…………
翌朝風花と一緒に朝食と取るために食堂まで向かう。
どういう顔でお母さんたちに会ったらいいかわからないけど、逃げるわけにもいかないし、空腹には勝てなかった。
お母さんたちはすでに席について食事をしていた。
「お、おはよう。お母さんに水樹さん……」
「おはよう樹、それに風花ちゃん」
「ふふ、うまく行ったようね。おはよう樹君」
「さあ、あなたたち。ちょうどここ空いているから座りなさい」
僕と風花はお母さんたちの隣に座った。
「図られた……」
「図られたなんて人聞きのわるい。いつまで経ってもあなたたちが進まないって水樹から聞いて、一計を案じただけじゃないの」
意味変わんないから。
「よかったわねえ風花」
「うん」
そんなこと言われたら何も言えないよ。
「ねえ、真由美。赤ちゃんできたかしら」
「ぶっ、ゲホゲホ」
「樹、汚いわね、しっかり食べなさい。そうねえ、まだ学生だから妊娠していたら大変だけど、まあ私が何とかするわ安心して」
「私たち、もうおばあちゃんか……男の子かしらそれとも女の子のかしら」
いや、準備万端用意してあったし、注意したから。
「お母さん、真由美さん、ごめんなさい。赤ちゃんはまだ先です」
「あら、そう残念。でも時間の問題ね。そうだ、赤ちゃんの服とか作りたいわ。編み物習わなくちゃ」
「あら、編み物なら樹が上手よ」
「そうなの。樹君、今度私に編み物教えてね」
その時の食事はさすがに味がわからなかった。
チェックアウトまで時間があるということで、朝から入れ替わった温泉に入り、宿を後にすることになる。
どうも風花と水樹さんは宿のバスでこちらに来ていたみたいで、帰りは僕たちの車で一緒に帰ることになった。
「ねえ、水樹。昨日美味しいロールケーキ食べされてくれるところ見つけたのよ、寄ってみない?」
「いいわね、でもその前にお土産よ。海岸のところの道の駅に寄ってくれない。あそこの海産物はお勧めらしいのよ」
僕と風花は後ろの座席に並んで座っているけど、距離感がつかめない。話しかける言葉も見つからない……
「樹君」
「ひゃい!」
「どうしたの?」
「ご、ごめん風花。何?」
「あの、真由美さんが言っているロールケーキって樹君も食べたの?」
「あ、あー昨日ね。宿にくる途中にね。卵屋さんがやっているお店で、朝採れたての新鮮な卵使っているから美味しかったよ」
「そうなんだ楽しみ」
ああ、そうか。今まで通りでいいんだ。ありがとう風花。
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あとがきです。
「樹です」
「リュザールです」
「「いつもお読みいただきありがとうございます」」
「なんでリュザール?」
「風花ばかりずるい」
「え、だってリュザールとはあと1年半後に結婚する予定だから」
「ボクも早くソルと結婚したい」
「でも、リュザールだって今は無理だって言ってたじゃない」
「うん。ボクはまだ一人前じゃなかった。セムトさんには到底及ばない。こんなのでバーシの隊商率いていたなんて恥ずかしい」
「バーシの隊商にはカスム兄さんもいたからね。それにソルもこれから銅貨を普及させないといけないから、今は子供を産むわけにはいけない。だからもう少し待っててね」
「うう、我慢する」
「まあ、銅貨の普及がうまくいって、リュザールも納得がいったら早めてもいいと思うしさ」
「ホント!」
「うん、大丈夫だと思う」
「わかった。ボク頑張る!」
「では、次回更新のお知らせです」
「次回は地球の話が少し多いかな」
「「次回更新をおたのしみにー」」
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