「白石さんがそんなことするわけないです!」

 シフトを忘れた青山さんが、お菓子を持って謝罪に来てくれたところまでは、今日のことは許そうと思えた。しかし、その次に青山さんの口から飛び出した言葉には、心底怒りが湧いた。S高の女の子が薄汚いおじさんと援助交際をしていて、その女の子が白井さんかもしれないなんて、そんなこと有り得ない。確かに煙草は吸っていたかもしれないが、自らの身体を売るような女の子のはずがない。

「分かってるよ、けど、黒田から聞いた白井さんの特徴とその子があまりに似てたからさ……」

「黒いロングヘアーの生徒なんて山のようにいますよ!」

「そうだよな。いや、本当に悪かった」

 ショートボブの髪を掻き毟りながら、伏せ目がちに謝る青山さんにため息を吐くと、こちらも髪を掻きながら謝る。

「いえ……こちらこそ声を荒げてしまってごめんなさい。クッキーありがとうございます」

 エプロンを脱いで鞄の中にしまうと、机の上に置かれた青山さんの持ってきたクッキーを、銀色の缶の中から一つ選んで食べる。仕事の後の甘味はいつも以上に美味しく感じる。

「おいしいですね」

「三千円もしたんだからな。不味かったらあの店潰してやるところだったよ」

 青山さんはそんな冗談を言いながら、クッキーを二つ取って同時に口に入れた。ボリボリと長い咀嚼音が響く中、帰り仕度をする。時計を見ると二十一時十分だった。

「それじゃあお先失礼します」

 まだ口にクッキーを残す青山さんを置いてバックヤードを出る。店内でコーヒーカップを洗う赤坂さんにも挨拶をすると、一度手を止めて「お疲れ。今日はありがとう」と丁寧にお礼を言ってくれた。上機嫌の中、喫茶アカサカを出たその時、僕はとんでもない光景を目の当たりにした。

 隣に立つラブホテルの前に、先ほど青山さんが言っていた特徴の汚らしい男と、手に茶封筒を持った白石さんが向かい合って立っていたのだ。あの茶封筒の中にはお金が入っているのだろうか。現実を受け止めきれずにその場に立ち竦んでいると、男の方が僕に気が付き指を指してきた。そして、その指に釣られて白井さんもこちらを見た。白石さんが僕に気が付くと、驚いた表情を浮かべた。

「や、あ……あげます!」

 白石さんは手に持った茶封筒を男に返すと、僕から逃げるように走り出した。

「待って白石さん!」

 思わず僕も駆け出す。きっとこれは何かの間違いだ。そうだ、あの男は白石さんのお父さんなのだ。いや、もしかしたら白石さんは無理やりホテルに連れ込まれたのかもしれない。とにかく僕の知っている白石さんは、自ら望んで援助交際をする女の子のはずがない。

 いや、これはチャンスかもしれない。もし白石さんが本当に援助交際をしていたのなら、これほど大きな秘密はないだろう。もし世間に露見したら白石さんは間違いなく破滅するだろう。そんな秘密を共有できるのだ。これでさらに白石さんとの距離は縮まるどころか、蜘蛛の糸のように二人を絡めて離さないだろう。

「待って!」

 商店街を抜け、人通りの少ない公園の前の歩道で、ようやく白石さんに追いつき腕を掴む。白石さんは諦めたのか、立ち止まり乱れた息を整える。

「と、とにかく、落ち着いて、す、座って話そう」

 僕も乱れた息を整えながら、公園のベンチを指差して提案する。白石さんは小さく首を縦に振って、二人でベンチに座った。

「寂しかったの」

 唐突に白石は言った。

「だからあんなおじさんと?」

「仕方なかったの……私、家族からも虐げられていて……どこに居ても一人ぼっちだから」

「だからって……」

「お願い、このことは誰にも言わないで」

「秘密ってこと?」

「そう、二人だけの秘密にして」

 そうだ、これは秘密なのだ。しかもとびきり深い秘密。この秘密があれば白石さんを一生繋ぎ止めておける。異常な思考であることは理解している。好きな子が援助交際をしていた事実よりも、新たな秘密ができた嬉しさの方が大きいのだ。

「分かった……」

 僕は最低な人間だ。今から秘密という糸で白石さんを絡めて逃げられないようにしようとしている。これはもう告白でない。脅迫であろう。

「その代わり……僕と付き合ってくれませんか?」

 白石さんは目を見開き、僕を凝視した。そして、口を真一文字にして頷いた。彼女の目から流れる一滴の涙に目を背けながら、僕も泣いた。

 本当に僕は最低な男だ。だけど、それでも白石さんが好きだ。例え白石さんにさらなる深い秘密があろうと、僕は一生彼女の秘密ごと愛し続ける。

「煙草持ってる?」

 涙を拭き終えると、白石さんに顔を向けて聞く。

「持ってるけど……どうして?」

「二人で吸おうよ。付き合った記念にさ」

「……うん」

 白石さんはそう言って煙草の箱を鞄の中から取り出して、僕に渡してくれた。フィルムの開け口を指で摘んでペリペリと一回転させながら、

「ライターは持ってる?」

 と聞く。白石さんは首を横に振った。

「そうか……あ、バイト先の人が持ってるから借りてくるよ。ここで待ってて」

 白石さんの返答を待たずに立ち上がり、煙草の箱を持ったまま喫茶アカサカへと駆け出した。その日の空は、飲み込まれてしまいそうな程真っ黒だった。

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