お世話になった赤いきつねへ

放牧村長

第1話

 ここは日本でも珍しい、尻尾が二つの稲荷様を祀った神社がある。


 山奥の廃れた神社で独り、子狸が泣いていた。


「おやおや、そんなに泣いて、どうしたんだい?」


 子狸に優しく声をかけたのは、尻尾が赤い狐だった。


「おらぁ、皆と違うって仲間外れにされるんよ」


 そう言って、顔をあげた子狸の目は、驚くことに緑であった。鮮やかな緑の目を見た狐は、子狸に近寄り、穏やかに声をかけた。


「そうか。お前さんの目の色が他の狸と違うもんだから、怖がられてるんだね」


 子狸は声を震わせながら狐にすがった。


「おらぁひとりで、どうしたらいいか分からんよ」


 狐は優しく笑うと、赤い尻尾で子狸を包んであげたのだ。


「なら、私とおいで。これから寒くなってくる。お互い独りでいるより、いいだろう」


 それから、風変わりな狐と子狸は一緒に暮らしだしたのだった。


 狐は子狸にいろいろ教えてあげた。餌さの捕り方、場所、縄張り、寝床の確保、生きていくのに困らないよう優しく、時に厳しく。


 子狸は親のように狐を慕った。

 どこへ行くのも一緒、ご飯を食べるのも一緒、夜になれば身を寄り添い一緒に寝た。


 子狸の寂しさは、いつの間にか消えていたのだ。


 そんな、ある日のこと。

 いつも通り、餌さを捕り終え、神社へ戻ろうとした時だった。


 普段、人の姿を見ない神社に人が居たのだ。


 子狸は不思議そうに狐に聞いた。


「なんか、おるべ。あれが『人』ってもんか?」


「あぁ、そうだよ。あの子は大丈夫だけど……居なくなるまで、ここで少し待とう」


 茂みに隠れ、静かに様子をうかがう狐と子狸。


 子狸は初めて見る人間にドキドキしながらも、人間がどういった生き物なのか気になり、緑の目を大きくして見るのだった。


 人間は杖をつき、よろよろと歩いていた。


 神社の回廊に繋がる階段に腰かけると、人間はシワシワの顔を寂しそうに、より深くシワを寄せるのだった。


「懐かしいねぇ。ここでよくウドンを食ったもんだ。また会いたいねぇ」


 そう、寂しそうに言葉を漏らす人間を寂しそうにみつめる狐。それに気付いた子狸は狐に問う。


「あの『人』のこと知ってんのけ?」


「あぁ、よく知っているよ。昔、ここでよく遊んだからね」


 狐は静かに昔話を始めた。


 狐と人間が出会ったのは70年も前だった。


 それまで狐は人間に幾度も関わり、寄り添う度に悲しい気持ちを味わっていた。助けても怯えられ、気持ち悪がられ、心を開いたとしても先に死んでしまう。


 悲しい気持ちを絶ちきるために、故郷から離れたこの山奥へと逃げるように来たのだ。それでも人間が好きだった狐は直接関わることをやめ、遠くから見守ることにした。


 すると、いつの間にか人間達はここに神社を建て、たまに見かける不思議な狐を神様と崇めるようになったのだ。


 それから数十年後、一人の少女が神社で泣いていた。


 ずっと人間に関わることを止めていた狐が何故その少女に話しかけたのか?


 寂しかったのだ。傷ついて、もう関わらないと見守り続けて、数百年──独りだったから。


 見守り続けた顔は笑っていた。泣いていた。怒っていた。しかし、どの顔も狐に向くことは無かった。


 ある時から、狐は寂しいと感じるようになった。そんな時に、目の前に現れたのが彼女であった。


 狐は少女に話しかける。


「どうして、そんなに泣いているんだい?」


「寂しくて。お母が死んでもうた。お父も戦争でおらんくなって。おら、ひとりだ」


「お前さんも寂しいんだね。おいで。一緒に泣くことしか出来ないけれど」


 そう言って、狐は少女と肩を寄せ合い、いつまでも一緒に泣いた。


 その後、少女は近くの『うどん屋』に身を置いた。そして、狐に会いによく神社に来たのだった。


 いつも二人は時間の許す限り遊んだ。少女が一杯のうどんを一生懸命、神社に持ってきては、のびきったうどんを「おいしいね」と、一緒にすすった。


 狐の寂しさは少女によって、次第と消えていくのだった。


 しかし、それも束の間だった。少女は遠くにいる親戚の元へ、引き取られることになったのだ。


「おら、また必ずここに来るよ。待っててくれるけ?」


「あぁ、待っているさ。私はいつでも、ここに居るよ」


「明日はいっぱい遊ぼうな!」


 会えるのが最後になる日、一緒に遊ぼうと約束した彼女は、神社に来なかった。いや、来れなかったのだ。


 心配で様子を見に行った狐が見た光景は、神社へ来る道の端で倒れている少女であった。


 少女は神社へ向かう途中、綺麗な花をみつけ、狐にあげようと花に近寄った時に、毒蛇に噛まれたのだ。


 苦痛に顔を歪める少女に近寄る狐。少し悩むと、どこからともなく光る玉を取りだし、少女に食べさせた。そして、少女の前から姿を消した。


 痛みがなくなり意識を戻した少女は、どうして助かったのか分からなかった。だが、急ぎ約束の神社へ向かった。


 けれど、そこには約束したはずの姿が見えなかった。


 少女はそれから数十年間、遠い場所から何回か足を運ぶも、神社には誰も姿を現さなかった。



 子狸は狐の話を聞いて、不思議に思った。


「どうして会わないんけ?」


「会いたいけど、もう会えないんだ。彼女の前に姿を現す時は人間に化けてたからね」


「もう人間に化けれんのけ?」


「私はな、九尾狐という妖怪なんだが……ほら、ご覧。もう尻尾が一つしか無いだろ? もう何かに化けれるほど、力がないんだよ。私の肉を食ったものは毒を浄化することが出来る。私はそれで何度と人間を助けてきた。しかし、尻尾がなくなる度、私は力を失っていった。そして、彼女を助けるために使った尻尾で私は化ける力を失ってしまったのさ」


「化けれんでも、そのまま会えばいい」


「それは出来ない。この姿のまま、話しかければ彼女を怯えさせてしまう。彼女にまで怯えた顔で見られたくないからね」



 すると、「よいしょ」と腰を上げた人間は、神社の入り口にある尻尾が二つの狐の石像に手を合わせた。


「いつでも居るって言ったのにねぇ。もう私も永くない。最後ぐらい会いたかったねぇ。置いてった私に嫌気がさして、おらんくなったんかねぇ」


 寂しげに背中を丸めて帰ろうとする人間を、悲しそうに見つめ続ける狐。そんな狐を子狸は見ていられなかった。


「本当にこれでいいんけ?」


「仕方がないさ。彼女に想いを伝えたいが……」


 寂しい目をした狐に、子狸は納得が出来ずに走り出した。


 走りだし、茂みから抜けると、葉っぱを頭に乗せながら人間に近寄った。振り返った人間は、驚いた顔で子狸を見ていた。


 子狸は大きな声で懸命に、人間へ伝えるのだった。


「いるよ! ずっと居るよ! ずっと一緒だよ!」


 その言葉を聞いた人間は、シワシワの顔をより一層シワシワにさせて笑い、神社を後にした。


 狐もそれを見て、満足気に笑うのだった。



 それから暫くして、狐は長寿を全うした。


 狐は最期、悲しむ子狸に優しく言葉をかけた。


「悲しまないでおくれ。生あるもの、全てに与えられたものだ。お前さんは私と一緒だ。人間に興味があるのなら、関わってみるのもいい。私はずっと一緒に居るから。お前さんは独りではないよ」


 そう言い残し、狐は安らかに息をひきとった。その顔はとても満足そうに優しく笑っていた。



 残された子狸が神社へ行くと、一人の少女が神社の前に居た。


 子狸は咄嗟に茂みに隠れたが、最期の狐の言葉を思い出し、勇気を振り絞って少女に近寄るのだった。


 少女は子狸を見ると驚いた顔をして話しかけてきた。


「わぁ! こんな所に『人』が居るなんてビックリ! ねぇ、あなたお腹空いてない?」


 子狸が頷くと、少女は笑い手招きをした。


「良かった! 一人で食べるのもなぁと思ってたんだ! この前ね、私のお婆ちゃんが死んじゃってね。私、お婆ちゃん大好きだったの。だから、お婆ちゃんに最期に何かしてほしいことは? って聞いたら、ここでウドンを食べてほしいって言うもんだからさ」


 そう言うと、少女はポットとカップ麺をリュックから取り出した。少女はカップ麺にお湯を注ぐと、子狸に聞いた。


「赤いきつね好き?」


「うん!」


 少女と少年は一杯のウドンを笑顔ですするのだった────何十年も時をこえて。


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