僕の脳裏を過ったのは『悶絶地獄』という言葉だった。

 ついに、紫亜たんの家に入った。通されたのはリビング。

その広さは約1000平方メートル。迷子になっても不思議じゃない。

靖子さんがわざわざ南西角付近と指定したのも頷ける。


 メイドさんが言うように、その見晴らしは最高だ!


 辺りはすっかり暗くなっていて、夜景が綺麗だ。

車の白いヘッドライトと赤いテールライトが動いている。

さらに特徴的なのは、ビルの上に突き出た赤い建物、東京タワー。


 ここは、天国か!


 室内に目を向けると、指定されたソファーが置いてある。

特注品? 20人は腰かけられるほどの長さで、よくある直線的なものではなく蹄鉄のような円弧を描いている。他にも馬に関する家具が置かれている。


 かなりの凝りようだ。


 ソファーの真ん中には楕円形をしたガラス製のテーブルが置かれている。

これも高価なもので間違いはない。


「ダーリンは中央に腰掛けてね!」

「はい、分かりました」


 恐怖なんて全く感じていない僕だけど、素直にソファーへ近付くと、

ちょっとした違和感を覚える。


 ソファーは絶好のポジションに置かれているのに、

円弧の切れ目部分の向きがおかしい。


 外側に向けて切れていれば真ん中に座ったとき夜景が楽しめるのに、

部屋の内側を向くことになってしまう。


「なるほど。思った通り、危険ね……」

「だから言ったのよ。私の部屋の方が安全だって」


 咲舞と紫亜たんの会話が聞こえてくる。戦々恐々だ。

2人とも警戒し過ぎだって。僕にはまだ恐怖が理解できない。


 今のところ危険を感じるようなことはまったくない。

夜景が観えないのがつまらないと思うくらいで、至って安全な天国!


「では、若旦那様。そのまま奥に腰掛けていてくださいまし」


 メイドさんに言われた通りにする。

正面の壁にはやわらかな布地で作られたにんじん柄のカーテンが見える。

これだけ広い部屋だもの、間仕切りの類はあちこちにたくさんある。


 にんじん柄のカーテンが特別なものとは思えない。

全く危険を感じない。


 天国だ。ここは至って安全な天国!


「ダーリン。私の入浴タイムはちょっと長めなの」


 女性は入浴を楽しむもの。幼いころに観たアニメのヒロインに教わった。

靖子さんには入浴を心ゆくまで堪能してもらいたい。

身体のどこを洗っているかとか、野暮なことは考えまい! 


 Hな妄想は封印だ!


 僕は、なるべく落ち着いて言う。


「ははは、はい。お気遣い無用でしゅ。お風呂、楽しんでくだしゃい」


 かみかみだ。

実際、春の天皇賞の残り200メートル地点通過中くらい鼓動が乱れているし、日本ダービーで坂を登り切ったところ以上の鼻息だ。


 興奮が抑えられない。真っ当にしゃべれるはずがない。


 Hな妄想は封印したつもりだけど、体はどうしても反応を示してしまう。

けど、しかたない。超絶美人大女優がこれから入浴するっていうんだから。

あんなこととか、こんなこととか、普通に妄想してしまうって!


 これはある意味、恐怖だ!

僕は一生の思い出にさえなり得る至福の妄想を、自ら禁じなければならない。

できるかどうか、不安でいっぱいだ。


 それに、そんなことをしたら一生後悔するのではと思うと、それこそが恐怖!


「あまちゃん。Hな妄想したら、許さないんだからね!」

 と、咲舞が釘を刺してくる。


 ごごご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさーい。

少なくとも心ではHな妄想を封印した僕だけど……相手が悪過ぎる。

状況がヤバ過ぎる。体が勝手に反応してしまうこともある。


 ほんっとうに、ごめんなさーいっ!


「ま、そんなことにはならないと思うけど……」

 と、今度は紫亜たん。


 紫亜たんは僕を信じている。そうだ、僕。何をバカな反応をしているんだ。

僕は紫亜たんからの信頼に応えなければならない。決して裏切らないと誓う!

体が勝手に反応しているという言い訳も捨てて、無反応を貫く覚悟だ!


 そうだ! 目に見えるものだけを信じることにすればいい。

正面のカーテンのにんじんや天井の電球を数えるとか、別のことに集中する。

目に飛び込んでくる靖子さんに関わらない情報を解析すればいい!


 油断からよからぬ妄想をしてしまえば、体が勝手に反応してしまうのは明白。

だが、妄想を完全に封印すれば、体の反応も止まるに違いない!


 いける。これならいける。紫亜たんの信頼に応えることができる。


 ここはまだ、ぎりぎり天国! 『悶絶地獄』なんかじゃなーい!


 と、靖子さんが不意打ちをかける。


「ダーリン、部屋を暗くするね!」


 えっ、どうして部屋を暗くする必要があるんだろう。暗くなるのは不都合だ。カーテンのにんじん柄も天井の電球も数えられない。

視覚情報が薄れて、余計なことを考える余地が生じてしまう。


 こんな環境では自信が持てない……。

僕の脳裏を過ったのは『悶絶地獄』という言葉だった。

__________________________________

『悶絶地獄』に天太郎くんは堪えられるのか⁉︎


ここまでお読みくださいまして、ありがとうございます。

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