僕はついに紫亜たん家に足を踏み入れる。

 土井メイドさんには、靖子さんも敵わない。


「靖子お嬢様、メイド服を返してください」


 驚くことに靖子さんはメイドの土井さんに従順で、「はいっ。分かりました」と言うなり、脱ぎはじめた。ただし、それはパンツから。いきなりパンツだ! 薄い黄色の三角形がまぶしい。


「靖子お嬢様、悪ふざけは辞めてください」

「えーっ、いいじゃない」


 靖子さんは完全にわるのりしていて、ちょっと前まで履いてたパンツを指先でくるくるとまわしている。僕はつい、それを目で追ってしまう。そのパンツ、被れと言われれば被ることだってできる!


「こうする方が、ダーリンがよろこんでくれるでしょう!」


 はい。それはもう、おおよろこびです! 僕にも靖子さんのわるのりがうつったか。メイドの土井さんが関西弁を持ち出し、迫力満点に靖子さんを諌める。


「……てんごしとらんと、はようせいや!」


 靖子さんは指先をぴたりと止める。大粒の涙が零れ落ちるのをぎりぎりで堪えて、ひとりそっと立ち上がる。蚊の鳴くような声で「……ごめん……なさい……」と言って頭を下げる。メイドの土井さんは、半端なく強い。


「若旦那様も若旦那様です! わるのりは許しませんよ!」


 僕も涙目だ。




 メイドの土井さんペースは続く。


「靖子お嬢様には入浴していただきます」


 意味不明だ。どうして急に入浴することになるんだろう。


「ねぇ、メイドさん。その間、天太郎くんには私の部屋にいてもらうわ」


 なるほど! 紫亜たんのようにメイドにさん付けなら呼び易い。内容よりもそのことが気になっていた。咲舞が口を挟む。


「自分のテリトリーに連れ込むなんて卑怯よ。5分と5分の勝負にならないわ」

「咲舞は何も分かっていないのね。私の部屋が1番安全なのよ」


 口論に発展する。2人は仲がいいのか、わるいのか。


「どうだか。紫亜は安全でも、あまちゃんが安全とは限らない」

「咲舞! 今、あまちゃんって言った。それは禁止でしょう」


 もはやガキの喧嘩と変わらない。


「あら、あまちゃんはあまちゃんよ」

「それが駄目だって言ってるのよ!」


 そのとき、止に入ったのはメイドさん。


「やめてください。ここは公平にジャンケンで決めましょう」


 なんとも幼稚な提案だ。


「分かったわ」

「望むところよ!」


 意外にも聞き分けのいい2人。


「ジャンケンポン!」


 掛け声とともに出された手は、グーとグーと、パー。咲舞と紫亜たんと……。


「なんでママが参加するのよ」


 3人目は靖子さん。飛び入り参加だ。


「ごめんね、紫亜。どうしても勝ちたかったの。この勝負、譲れないのよ」


 このままだと、今度は母娘喧嘩になりかねない。そんなことになったらイヤだなって思っていると、咲舞が耳打ちしてくる。


「そういえば、坂井靖子ってジャンケン無敗っていううわさだわ」


 さっき、僕に負けたけど。メイドさんが言う。地獄耳だ。


「お客様、それも昨日までのことです。先程、若旦那様に負けましたので」


 たったそれだけで、僕はダーリンだとか若旦那様だとかと呼ばれることになった。紫亜たんはまだ『あまちゃん』とは呼んでくれない。メイドさんが続ける。


「勝負は有効です。若旦那様には靖子お嬢様ご指定場所で待っていただきます」


 靖子さんの指定場所、どこだろう。何をしかけてくるか、身の危険を感じる。


「じゃあ、バスルームってことで……」


 やっぱりだ。お風呂に入る靖子さんをお風呂場で待つ。そんなの、いろいろと待てないに決まってる! 断らないと! 僕より先にメイドさん。


「それは無効です。紫亜お嬢様の部屋かリビングかの2択です」


 靖子さんでさえ口ごたえできない。


「……じゃあ、リビングの南西角付近のソファーにする」

「いいでしょう」


 こうして、僕の待つ場所は決まった。




 直後。今度は咲舞と紫亜たんの会話がはじまる。口喧嘩になるのかーっ!


「これで、部屋に連れ込もうという紫亜の作戦は失敗ね」

「咲舞は分かっていないのよ。我が家の間取りを……」


「間取り? まっまさか!」

「その、まさかよ!」


 ならない! 咲舞は建物の構造とか間取り、調度品に詳しい。何かに気付いたようで、顔がみるみる青ざめるのに、紫亜たんの一言が拍車をかけた。


「そんな……危険過ぎるわ……」


 どうして2人はそんなにも危険を感じるのだろう。間取りとどういう関係があるのだろう。謎だ……。


「ダーリンには最高の眺めを味わっていただくわ!」

「たしかに、見晴らしは最高でしょうね。むしろ、刺激が強過ぎるのでは?」


「あらっメイドさん、心配ないわ。だって、ダーリンはダーリンだもの」

「そうでしたね。若旦那様は、若旦那様ですね」


 青ざめた表情の咲舞と紫亜たん。満面の笑みの靖子さんとメイドさん。僕は「ジャンケンの結果なら、しかたないですね」と、靖子さん指定場所で待つことを受け入れることにした。


 このあと直ぐ、僕はついに紫亜たん家に足を踏み入れる。

__________________________________

そこは天国か! それとも地獄?


ここまでお読みくださいまして、ありがとうございます。

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