メイドの土井メイドさんのペースで進む。
このやわらかさ、とてもなつかしい。何だろう……そうだ! 人間の女性の胸のやわらかさだ。今日は何度ももてあそばれてきた人間の女性の胸。地下空間でも、車の中でも、エレベーターの中でも、今日はずっと悩まされている。
……全部、思い出した。このやわらかさ、間違いない。やすにゃんは、人間であり、猫なんかじゃない。やすにゃんは、紫亜たんの母親で大女優の坂井靖子さんだ! 僕のお義母さんになるかもしれない人だ!
その証拠に靖子さんが言う。
「あーんっ。もう少しで魅了完成だったのにぃ!」
さすがは演技派女優。猫になりすまして中学生の僕を魅了しようだなんて、恐ろしい人だ。でも、どうして靖子さんは僕なんかに興味を持ったんだろう。
「ママ、いくら運のいい人が好みだからって、天太郎くんは私のお客様なのよ」
怒り顔の紫亜たん。僕のことを『天太郎くん』と呼ぶ。ちょっとがっかり。紫亜たんが『あまちゃん』と呼んでくれるのはまだ先のようだ。
靖子さんが上半身を起こし、紫亜たんから顔を背けて「紫亜には分からないわよ。私のダーリンへの思い!」と言ったときは、結果的に咲舞と向き合っていた。咲舞が反撃する。
「分かりません! あまちゃんのことダーリンって呼ぶの、辞めてください」
「あら。貴女、誰なの? ここは私の家。部外者の立ち入りはお断りよ!」
えっ? ここはホテルの33階、単なるスイートルームじゃないの? 怪訝な表情となった僕に、紫亜たんが説明してくれる。ここはホテルのオーナーズルームで、ペントハウスになっているらしい。
つまり、靖子さんはこのホテルのオーナーで、大きな扉の向こう側は紫亜たんの実家というわけだ。なんてこった!
「それじゃあ、僕は紫亜たん家にお呼ばれされてたのか!」
「ええ、そうよ」
それが今日の僕のミッションの1つでもある。家族ぐるみというのを除けば、達成したってことだ。姉ちゃんは知ってるんだろうか? もし知ってて僕をここに送り込んだとすれば、何かしかけてくるかもしれない。周囲を見渡す。
直ぐに目に入ってきたのは、靖子さん。の、胸だ。顔よりも大きいんだからしかたがない。つい目が行ってしまうのもしかたがない。やすにゃんじゃないんだからしかたがない。
慌てて顔に目を向けると、何かを睨みつけているのが分かる。咲舞だ。僕が紫亜たんから説明を受けている間、咲舞と靖子さんはずっと睨み合っていた。一触即発だ。怖いくらい。数瞬後、咲舞が先に言葉を発する。
「部外者じゃありません。私は、あまちゃんの……」
靖子さんがピシャリ「ダーリンの、何だというの!」と、冷静に遮る。咲舞は凍りついてしまい、何も言い返せない。この中では靖子さんの方が1枚も2枚も上手だ。一触即発ムードは続いているが、膠着状態ともいえる様相だ。
ちょっと気まずい空気感をなんとかしたい。けど、僕にはどうしていいか分からない。いたずらに時間だけが過ぎていく。
そのとき、チーンというベルの音がした。エレベーターの扉が開く。出てきたのは今度こそホンモノのメイドのようだ。靖子さんと同じメイド服を着ている。
「おはようございます、若旦那様。靖子お嬢様に紫亜お嬢様。あと、お客様!」
若旦那って僕のこと? 颯爽と歩く姿はメイドらしく気高い。このあとのはなしはメイドのペースで進む。靖子さんでさえ簡単には口を挟めないようだ。
「若旦那様、誰って顔してますね……」
はい、していますとも。いきなり登場したんだから。
「……では、自己紹介いたします」
よろしくお願いします!
「私は、メイドです」
何となく分かっておりました。
「自己紹介は、以上です!」
「って、本当にそれだけですか!」
つい、ツッコミを入れる。いくらなんでも自己紹介が簡単過ぎる。
「はい。他にお知りになりたいことがございますか?」
お名前とかメイド歴とか、いくらでもある。けど強いて聞きたいことというと違う気もする。何を聞こうかと考えていると、メイドさんが耳打ちしてくる。
「あんなことやこんなことは、今夜にもベッドの上で知っていただきますね」
あんなことやこんなことって、何ですか! それは知りたいけど訊いてはいけない気がする。代わりに当たり障りのないことを訊く。さっき紫亜たんと咲舞がはなしていたのに引っ張られたのもある。
「何て呼べばいいでしょうか?」
どう呼び合うかは、2人の距離を現してくれる。大切なことだ。
「はい。メイドとお呼びください!」
ンーンッ。シンプルイズザベスト!
「いやいや、それは職業ですよねーっ」
「職業はたしかにメイドですが、名前もメイドなのです。土井メイドです」
上から読んでも下から読んでもドイメイド。
「ま、まじか……」
「まじです!」
はなしはこのまま、メイドの土井メイドさんのペースで進む。
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土井メイドさん、天太郎の敵でしょうか、味方でしょうか?
ここまでお読みくださいまして、ありがとうございます。
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