『なっ、何者?』だなんて言えなかった。

 修羅場はまだまだ続きそうだ。終わる気配が全くない。


「易々手錠をはめられるなんて、運動音痴ですか」

「ご心配無用です。こう見えて私は、ハイジャンプの中学生チャンピオンです」


 おっしゃる通り、咲舞は運動神経抜群。僕は運動音痴の帰宅部です……。


「なるほどーっ。それでそんなにスッキリAAなんですのね」

「それほど代わりないかと思いますわ。AもAAもっ!」


 咲舞、あんなに柔らかいのに……AAだったんだ。そして紫亜たんは発展途上のA、これからだ。咲舞の倍は柔らかそうだ! 触れてみたいなんて不遜なことを考えている余裕は今は全くないけれど……。




 今にも激昂しそうな紫亜たん。涼しい顔の咲舞。


「よくついてこられましたわね」

「えぇっ。たしか『デートじゃないから』って書いてあった気がするので!」


 メッセージを咲舞に見せたことを紫亜たんに知られた。怒っているのか、紫亜たんはグッと僕に寄ってきて、小声で言う。


「どうして、咲舞さんがメッセージの内容を知っているのです?」

「はい。それは、状況説明する上でしかたなく……」


「ま、私ほどの有名人からのメッセージ。自慢したくなるのは分かりますけど」


 いや、そうは言ってないって。単純に説明するためだったんです。何も言わずにいると、紫亜たんが続ける。


「見せびらかすような真似はしないでほしいです」


 その目の鋭さは、僕にトラウマを植え付けたかもしれない。


 紫亜たんは咲舞の方に向き直る。


 「たしかに、デートではありませんが……」違ったんだ……がっかりだ……。


 「だったら何の問題もないじゃないですか」たしかに、何の問題もない。


 「もしデートだったら、ついてこなかったのですか?」それは不可能かと。


 「あまちゃんの右手首を切り落としていたでしょう」涼しい顔の咲舞、怖い。


 終始笑顔の咲舞だけど、明らかにご立腹だ。何に対してだかは、今一つ分からない。頬を膨らませて怒りを露わにしている紫亜たん、メッセージを咲舞に見せてしまって、本当に申し訳ございません。


 結局、紫亜たんが僕を呼び出した理由も分からないまま20分。家族ぐるみでお呼ばれの約束を取り付けるなんてできるはずがない。恋のスパイスは僕にとってはあまりにも辛い。手に負えない。


 修羅場は、まだまだ続く。




 咲舞がようやくはなしを進めてくれる。


「で、世界1忙しい中2の生田紫亜さんが、あまちゃんに何の用?」

「そうでした。私は天太郎くんと3冠制覇の打ち合わせをするのです」


 3冠について咲舞に説明する必要はなかった。POGのこともほとんど説明しなかったし、咲舞は競馬に詳しいようだ。


「まぁ、3冠制覇ですって? おかしなことをおっしゃるのですね」

「おかしくはありません。天太郎くんは運だけはいいですから」


 はい。運の良さだけは自信ある! でも今日は最悪。美紀先生の車の中では咲舞と梨花先生に挟まれるし、今もこうして……天国のはずが修羅場だし。


「たしかに強運です。でも、そもそも馬主になることは不可能でしょうね」


 咲舞の言う通りだ。


「なっ……何ですって! 馬主になれないだなんて、ひょっとして犯罪者?」


 違います、反社でもない。普通の中学生でーすっ! いや……。


「違うわ! はっきり言って……」


 普通じゃない。はっきり言って普通よりは……。


「……はっきり言って……?」


 紫亜たんは身構えているが、続く言葉が僕には予想できるだけに辛い。咲舞は言い淀んでいるが、貯められるよりひと想いに言ってくれた方がマシだった。


「……貧乏なのよ……」


 予想的中! こんなに悲しい的中は珍しい。


「ななっ……貧乏だなんて……」


 事実だから残酷だ……。僕は、しゅんと下を向く。馬主になるには、それなりの資産が必要だ。そんなもの、井田家にはない。


「そうよ。あまちゃんは貧乏だから馬主にはなれないわ」

「そんな……運がいいのに貧乏だなんて……あり得ないわ」


 それがあるんです。僕、貧乏なんです。紫亜たん、すみません。ほんっとーにすみません。一緒に3冠制覇を目指すなんて夢のまた夢……。


 最初っから分かっていたこと。いつ言おうと思いながらも口にすることができないでいた。下を向いて俯いたまま、顔を上げることさえできない。紫亜たんの顔をまともに見ることもできない。僕はヘタレだ。貧乏ヘタレだ。




 僕は心底落ち込んでいた。2人のとんでもない女子が近付いて来ているのに、声がするまで全く気付かなかった。


「わーっ、はっ、はっ、はっはぁーっ!」

「わーっ、はっ、はっ、はっはぁーっ!」


 とんでもない2人だけど、このときの僕には救いの女神でもあった。だから間違っても『なっ、何者?』だなんて言えなかった。

__________________________________

なっ、何者? 天太郎には分かっているようです。


ここまでお読みくださいまして、ありがとうございます。

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