あまりにも長い20分が過ぎていった。
エレベーターが24階付近を通過。天国までノンストップだ! 天国というのはもちろん紫亜たんのいるカフェ・ド・ステーブルのこと。あー待ち遠しい。紫亜たんに会うのが待ち遠しい。
浮かれて舞い上がる僕に対して、恋のスパイスは冷静に答える。
「言ったけど、付き合ってって言われたあとだから試写会デートかと思ってた」
これは異なことを! 僕、咲舞に付き合ってって言っただろうか? よーく思い出してみると「あ……たしかに、付き合ってって言ったかも」という頭の中の結論が声に出る。正確には『つきあわせちゃって』だけど、同じような意味だ。
もしかしたら僕は、気付かないうちに咲舞に告白していたのかもしれない……。しかも、咲舞は満更でもないようだ。ど、ど、ど、どーしよーっ! 誤解を解かなくちゃ。
「……けどそれは紫亜たんに会いに行くのに付き合わせちゃってってことだから」
「そそそ、そんなぁーっ。私、告白されたと勘違いしてた! あわわわわーっ」
勘違いに気付いて大慌ての咲舞。どうやって落ち着かせるか戸惑う僕。気まずい空気を切り裂くように『チーン』と無機質なベルの音が甲高く響く。
エレベーターが停止し、ドアが開く。幸せそうなカップルが乗り込もうとして、僕たちが乗っていることに気付く。手錠で繋がってるのを見たようで、一瞬、目を丸くしたあと、どちらからともなく抱き合う。
白昼堂々、中学生を前にして、何をしてるんですかーっ! 対抗してるんですか? 僕たちは付き合ってないですからねーっ。手錠で繋がっているのは何かのプレイではありませんからーっ。
「……分かったわ。あまちゃん、行きましょう!」
咲舞が何を分かったかは不明だが、言ったあとは悠然と歩き出す。さっきまでの大慌てがウソのよう。
相変わらず戸惑っている僕は、はじめは引き摺られるようについて行く。僕も覚悟を決めなくてはいけない! 抱き合うカップルの横を過ぎたところから、自分の力で歩く。いざ、カフェ・ド・ステーブルへっ!
コーヒーつうが集まる喫茶店、カフェ・ド・ステーブル。落ち着いた雰囲気を醸し出す、内装や調度品の数々。コーヒー1杯1100円、アイスミルク1杯2500円の価格設定を忘れれば、毎日でも来たくなるセレブな空間だ。
窓の外には青空。遠くに見えるは東京湾。レインボーブリッジもギリギリ視界におさまっている。最高の景色だ。カフェ・ド・ステーブルは天空の喫茶店であり、紫亜たんのいる天国だ。
店内を見渡せば、読モでもしてそうな3人の女子大生の笑顔が眩しい。羽が生えている? あるいは頭上に輪っかがあるのかも! 言葉なく見つめ合うカップルも多い。会員・予約制で隠れ家的なのが愛を深めるのに適しているのだろう。
カフェ・ド・ステーブルは、まさに天国と呼ぶに相応しい場所だ。はっきり言って居心地がいい……。
目の前に、正確には左右から挟み込んで修羅場が展開されていなければ……。
20分ほど前。
僕と咲舞が手錠をはめているのは何故か。咲舞の説明はそこからはじまった。その口振りでは、姉ちゃんがかなりの悪者にされている。師匠さえも踏み台にするなんて、咲舞はさすが姉ちゃんの1番弟子だと言わざるを得ない。
「なるほどーっ。では、咲舞さんは師匠とやらの仕業だと言うのですね?」
と言い、僕の左で1杯2500円のアイスミルクをストローで吸ったのが、紫亜たんこと生田紫亜。芸能界のサラブレッドと謳われる由緒正しき超絶人気タレント。僕は紫亜たんの古参の大ファンだ。整った顔が今日も眩しい。
コップには2本のストローが挿してあり、紫亜たんが使っていない方がゆらゆらと揺れている。つい、目で追ってしまう。
紫亜たんは業界の眠り姫という変わったあだ名も持っている。どこででも眠るのが根拠。本人は『安心できる場所でなければ眠れない』と否定しているが、昨日のイベントでは僕の横で見事に爆睡! かわいらしい寝顔だった。
でも今日はさすがに眠れないようだ。
「はい。師匠は実弟の焦ったさに業を煮やしたものと推察いたしますわ」
と、咲舞は軽く姉ちゃんをフォローしつつも自慢気で、僕と咲舞を繋ぐ手錠を紫亜たんに見せつける。咲舞、そんなものを自慢してどうするんだ。
咲舞はそのあとストローでアイスミルクをかき混ぜ、そっと吸う。この店のアイスミルクはストロー2本がデフォルトのようで、紫亜たんのとき同様、主人のいないストローをつい恨めしく見つめてしまう僕がいる。
揺れるものには弱いということを自覚せずにはいられない。
2人の敬語は微妙で、怖さを倍増させている。ここが天国ではないということを思い出させてくれる。
「それってつまり、お2人ともヘタレということですわね。お2人とも!」
「あら、いやですわ。ヘタレなのはあまちゃんだけですわ」
すみません。ヘタレでほんっとすみません。僕には何も言えない。いくら運がいいといっても、こういう状況をひっくり返すのはムリゲーだ。何もできないまま、あまりにも長い20分が過ぎていった。
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がんばれ、天太郎!
ここまでお読みくださいまして、ありがとうございます。
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