黙り込んだあとだった。

 景子アナの表情には笑みがある。この表情、僕は知っている。姉ちゃんが僕を揶揄うときの表情とそっくりだ。


 景子アナはこんな隅にまできて僕を揶揄おうというのだろうか。表彰式では何度も助けてくれたし、とてもそうは思えない。かといって他の理由も見当たらない。景子アナの笑みの理由が分からない。


 だから、少しばかり警戒心を強くしていた僕は、何を言っていいのか分からなかった。『好きとか嫌いとか、よく分からないです』って素直に言えばいいのに。それだけのことが、僕にはできなかった。


 景子アナを警戒しているのもそうだけど、紫亜たん以外の人に言ってしまうと紫亜たんが遠くへ行ってしまう気がするというのが理由で、僕がヘタレだというのが最大の理由だ。


 景子アナの不可思議な笑みの正体は何か。僕が知りたくなるのに、数秒を要した。だから重い口を開いたのは、少しの間、黙り込んだあとだった。


「……そうですね。同年代で紫亜たんが好きじゃないって人は少ないんですよ」

「それはそれは。中2男子の意識調査にご協力いただきありがとうございます」


 景子アナの笑みが深くなる。僕が警戒していることなんか、景子アナにはもうとっくの昔に見抜かれている。それなのに景子アナは僕との距離を詰める。直ぐにそっぽを向いたのは鬱陶しいからではなく、まともにはなす自信がないから。


 景子アナが僕を追うように身を乗り出す。意地悪だなって思う反面、景子アナの笑顔から姉ちゃんっぽさを感じる。景子アナは「で、イダテンくんはどっちの生田紫亜が好きなの?」と、いかにも姉ちゃんが言いそうなことを言う。


 『どっちの』というのは、映像の中の紫亜たんと僕の直ぐ横にいた紫亜たんのことだと簡単に理解できる。僕はそれを隠してはぐらかす。そうした場合、姉ちゃんは退いてくれる。景子アナは姉ちゃんよりは少しだけ意地悪だ。


「どっちのって、紫亜たんは世界に1人ですよ」

「映像の中の生田紫亜か、手に触れることのできる生田紫亜か」


 そのひとことは、全ての逃げ道を完全に封じていた。逃げられなければ攻めるしかない。僕は身体を景子アナに向ける。


 景子アナは僕が思っていたのよりも深く身を乗り出していた。顔と顔が急接近。普通に息が感じられるほどだ。くちびるの柔らかさだって、もう少し詰めれば感じられる。目が合うと、その輝きは紫亜たんにも劣らない。


 景子アナがまた笑う。今度は今までとは違い、意地の悪さが全く感じられない。女神か天使のような慈愛に満ちた表情だ。甘えてもいいのかなって思えた。不可抗力でくちびるが触れても困るので、少し距離を取ってから言った。


「手に触れることのできる紫亜たんとの出会いは突然でした……」


 距離をとった分、景子アナの肩から上全体が視界におさまる。後れ毛を指でくるくるしているのを知る。綺麗な髪が指に巻き付いては弾かれる。不覚にもかわいいと思う。ひとまわり以上も年上なのに。


 まだはなしの途中なのに顔が熱い。どんどん熱くなる。恥ずかしい。それでも上手に甘えてみたい。頑張って「……だから、本当はどっちが好きかなんて、実際、よく分からないんです」と、最後まで言った。


 景子アナがまた笑う。


「そういうところ、本当、弟にそっくりでかわいいわ」


 家族構成についてはなしたことはないけど、景子アナに弟がいるとは初耳。これまでの景子アナの行動が弟思いの姉のそれと思えば、僕なりに納得できる。ただし、景子アナは意地悪だ。だったら僕だって!


「それは奇遇ですね。僕には、姉ちゃんがいるんですよ」

「へぇ。どんな姉ちゃんなの?」


「僕が嫌がってるのに気付いたら、そっと退いてくれる優しい姉ちゃんです」

「なるほど、そう来たか。でもね、私だって弟だったら退いてるわ」


「じゃあどうして構うんですか? どうして退いてくれなかったの?」

「弟じゃないから、かしら。なんだか放っておけないのよ」


「普通逆でしょう。弟は放っとけないんじゃないですか」

「それは、違うと思うわ。弟は放っといても弟のままでしょう」


「他人は違うってことですか?」

「正確には異性の他人と言った方がいいかも。相手が女子なら無視するもの」


「発情期ですか? 異性、異性って」

「イダテンくん、正直者ね。慰めてあげたかっただけなのに」


 景子アナの方が正直だ。母性を感じて甘えたくなる。意地悪く『おばさんの世話にはなりません』と言いたくもなるけど、それは強がり。折角ここまで頑張ったんだ。もう少しの間だけ正直な景子アナに、素直に甘えてみよう。


「慰めるといえば、少年漫画だと年上女子がキスしてくれます、よね」


 かなり頑張った。


「あらそうなの。少女漫画だと年下男子が強引に奪いにくるんだけど、なぁ」


 なんだそれは。少年と少女。どちらの世界でも結局は相手任せってことか。


 景子アナと僕の視線が自然に合う。違うものを見ているのに、同じものを見ているときのようなシンクロを感じる。それは、互いにとって大切なものだ。景子アナが目を閉じる。首を少し右に傾げて、身体を少しずつ前傾してくる。


 これって……。

__________________________________

これって……。


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